29 第6章:だらだら村の平和な日常
第6章 第4節
放任主義という名の完全放置と、レオンの無自覚なパッシブスキル『最高環境創出』によって、わずか一日で天国のような神級畑と極上田んぼを手に入れた農民たち。
彼らの胸を満たしていたのは、かつて経験したことのない圧倒的な感謝と崇拝の念であった。
「なあトマス、俺たち、ただで土地をもらった上に、こんな奇跡みたいな米や野菜を分けていただいたんだぞ……」
「そうだ。何の恩返しもしないなんて、それこそ神罰が下る! 何かレオン様とルシア様に、俺たちの手で感謝の品をお届けしようじゃないか!」
農民たちは知恵を絞った。
年貢は要らないと言われたし、大層な財宝など持っていない。だが、彼らには自分たちの手で作った「自慢の品」があった。
神級食材として勝手に爆速実ったあの凄まじい米を使い、さっそく小さな木桶で醸してみた「自家製仕込み酒」。そして、同じく一瞬で巨大かつ瑞々しく育った神級の野菜や、山で採れた木の実を使い、農家秘伝の製法で丁寧に仕込んだ「特製おつまみ」の数々である。
「よし……! これをレオン様とルシア様へ献上しに行こう! ただし、お二人のお邪魔にならないよう、息を殺して静かにだぞ!」
トマスを筆頭とする数人の代表農民たちは、極上の木桶と竹籠を恭しく抱え、足音を消しながらレオンの古民家へと向かったのだった。
◇◆◇
同じ頃、古民家の居間。
ぽかぽかとした小春日和の陽気が、縁側から部屋の中へと温かな光を注ぎ込んでいた。
レオンとルシアは、いつものように特製こたつに下半身を沈め、猫のように丸くなってぼんやりと日向ぼっこを楽しんでいた。
「ふあぁぁ……今日も平和ねぇ、レオン……」
「だなー。なんかもう、一生この温度のまま世界が止まってくれればいいのに……」
トロンとした目で天井を見上げる元勇者と元魔王。
そこへ、廊下をサッサッと静かに歩いてくる足音が聞こえた。
「レオン様、ルシア様。少々お時間よろしいでしょうか」
現れたのは、頭に手ぬぐいをきりりと巻いた料理担当助手――元暗殺者ブラッドであった。その手には、先ほど農民たちから受け取ったばかりの小さな木桶と、竹籠に盛られた色とりどりの料理が乗せられていた。
「ん? ブラッド、なにそれ? お昼ご飯にはまだちょっと早いよね?」
レオンが不思議そうに首を傾げる。
「はい。実は、村の奥に居住を始めた農民たちが、『レオン様のご恩にどうしても報いたい』と、感謝の品を届けてまいりましてね」
「感謝の品……? 年貢はいらないって言ったのに……」
ルシアが面倒くさそうに眉をひそめたが、ブラッドが竹籠の布をスッと払った瞬間、その瞳がカッと大きく見開かれた。
ふわぁぁぁん……!
部屋の中に広がったのは、言葉を失うほどの芳醇な甘い香りと、香ばしい醤油と出汁の匂いだった。
「こ、これは……ッ!?」
「農民たちが、あの一瞬で実った神級の米を使って仕込んだ『自家製仕込み生原酒』。そして、神級大根の甘辛味噌漬け、神級カボチャのほくほく煮、神級カブの昆布和え、さらに山で採れた栗と胡桃の炙り塩焼きにございます!」
ブラッドの解説とともに、木桶から白濁したツヤツヤの清酒が、小さな土瓶へと注がれていく。
その酒は、まるで真珠の雫のように美しく輝き、漂う麹の香りは嗅ぐだけで脳の疲労が一瞬で吹き飛ぶほどの清涼感を放っていた。
「さ、自家製の酒と、つまみ……!?」
レオンの目が輝いた。
かつて勇者パーティーにいた頃、酒といえば遠征先の泥臭い酒場での乾杯か、緊張で味が分からない宴席くらいのものだった。昼間から、こんな日当たりの良いこたつの中で、美味いつまみと一緒に酒を呑むなどという贅沢は、人生で一度も経験したことがなかった。
ルシアに至っては、すでに涎が唇の端から垂れかかっていた。
「ちょっとブラッド! 今すぐそのお酒注いで! つまみもこたつの真ん中に置いて!」
「ははっ! かしこまりましたルシア様!」
ブラッドは手際よく、二人の前に小さな猪口を置き、トクトクトク……と音を立てて冷や酒を注いだ。
「よし……! それじゃあ、農民のみんなの感謝に免じて……乾杯!」
「乾杯よーっ!」
カチン、と小さな土器が触れ合い、清らかな音が響く。
二人は一気に、その自家製酒を喉へと滑り込ませた。
――ぐびっ、ぐびっ……。
――じわぁぁぁぁぁぁっっ……!!
瞬間、二人の全身に衝撃が走り抜けた。
「んぐぅぅぅぅぅぅっっっっ!!????」
ルシアが両手で自分の頬を抑え、こたつの上で激しく身悶えした。
「甘い! フルーティー! ていうか喉越しが凄まじく滑らか! なにこれ、本当にお酒!? 飲むエステ!? 飲む天国なんだけどぉぉぉぉっ!!」
レオンも目を見開き、喉を鳴らしながら感嘆の息を吐き出した。
「う、美味すぎる……ッ! なんだこの酒……! 雑味が一切なくて、米の旨味だけが喉の奥でフワァァって弾けるぞ……! 酔い心地がめちゃくちゃ優しくて、体がポカポカ温まってくる……!」
それもそのはずである。
この酒は、レオンの『最高環境創出』の波動を浴びて一瞬で極上化した「神級米」と、神級の井戸水を使って醸された奇跡の酒なのだ。一口飲むだけで全身の血行が良くなり、ストレスや疲労が完全に浄化されるという、酒の形をした最高級の回復薬(アルコール入り)であった。
「レオン、次はこの『神級大根の甘辛味噌漬け』を食べてみなさいよ!」
ルシアが震える手で箸を伸ばし、パリッと音を立てて大根をかじった。
ポリポリポリ……。
「んんっ! 旨いっ! 大根の瑞々しい甘みと、濃密な味噌のコクが、この冷や酒と合わさると無限ループが始まるわ……! 酒、大根、酒、大根……止まらない! 止まらないわよレオン!!」
「どれどれ……あ、マジだ! なんだこのカボチャのほくほく煮! 口の中でトロッと溶ける! 酒が進みすぎてヤバい……っ!」
二人は完全にノックアウトされた。
農民たちの真心のこもった献上品と、神級食材の威力が完璧なシナジーを引き起こし、二人の「だらだらエンジン」に最高級の燃料が注入されてしまったのだ。
「ブラッド! おかわり! 土瓶ごと持ってきて!」
「私にも注いで! 猪口じゃ小さすぎるから、大きめのお椀でちょうだい!」
「ハハハ! お気に召していただけて何よりでございます! ただいま、おつまみのおかわりも追加で調理してまいりますぞ!」
ブラッドは嬉しそうに目を細めると、厨房へと嬉々として向かっていった。
時刻はまだ、太陽が空の真上よりやや西に傾いたばかりの「真っ昼間」である。
本来なら、冒険者はダンジョンで血を流し、農民は畑で汗を流し、王国の兵士たちが訓練に励んでいる時間帯だ。
しかし、この古民家の居間では――。
「あはははは! レオン、顔が赤いわよー!」
「ルシアこそ、もう目がトロンとしてるじゃん! ほら、この栗の塩焼き食べなよ、飛ぶぞ」
「んぁ~、美味しい~! 幸せ~! もう私、一生ここから動かない~!」
昼間からの大呑み会が、盛大にスタートしていた。
こたつで下半身を温め、ぽかぽかの日差しを浴びながら、神級の自家製酒と至高のおつまみを味わう。
酒が回るにつれて、ルシアの『全戦意蒸発』のオーラはさらにふんわりと部屋全体に拡散し、レオンの『最高環境創出』は二人の酔い心地を「頭が痛くならない最高のほろ酔い状態」へと完璧にコントロールしていく。
「ねえレオン……」
酔っ払ってふにゃふにゃになったルシアが、レオンの肩にぽてんと頭を預けてきた。
「んー?」
「私ね……魔王だった頃、お酒って嫌いだったの……」
「へー、そうなの? こんなに好きなのに?」
「だってぇ……魔族のお酒って、毒が入ってないか警戒しながら飲むか、戦勝祝いの荒っぽい宴会でガブ飲みするくらいだったんだもん……。こんな風にね、日向ぼっこしながら……美味しいおつまみと一緒に、大好きな人と呑むお酒の味なんて……知らなかったのよ……」
ルシアは蕩けそうな笑顔を浮かべ、レオンの顔を見上げた。
「……そっか。まあ、今はこうやって毎日呑めるんだから、いいじゃん」
レオンもほろ酔いの赤い顔で、優しくルシアの頭をポンポンと叩いた。
「うん……! レオン、だーいすき……」
「はいはい。ほら、ブラッドが揚げたての『神級野菜の天ぷら』持ってきてくれたぞ」
「わーい! 天ぷら! お酒追加ー!」
居間からは、楽しそうな二人の笑い声と、お椀が触れ合う賑やかな音が絶え間なく響き渡っていた。
庭の境界線から、その様子を遠目からこっそり見守っていた農民のトマスたちは、感涙を流しながら静かに手を合わせていた。
「よかった……! レオン様とルシア様が、俺たちの作った酒とつまみを、あんなに喜んでくださっている……!」
「ああ……お二人があんなに嬉しそうに笑っていらっしゃる……。俺たちの感謝の気持ちが届いたんだ……!」
「みんな、明日からももっと美味い米と野菜を作ろう! そして、レオン様たちに最高の酒を献上し続けるんだ!」
「「「おーっ!!」」」
農民たちの決意はさらに強固なものとなり、村の生産力と幸福度は、レオンたちの自堕落さに比例して無限に跳ね上がっていくのであった。
一方、その頃。
深層ダンジョンの泥沼の中で、腹を空かせ、激しい疲労と重力に苦しみながら「なぜだ……なぜこんなに辛いんだ……っ!?」と泣き叫んでいた剣聖レイガーと聖女マリアの姿など、酔っ払った二人の頭の中には1ミリたりとも存在していないのだった。
「ひっく……レオン、もう一杯~!」
「おう、呑め呑めー! 今日は朝まで呑み明かすぞー!(※まだ昼の二時)」
平和で、自堕落で、どこまでも幸せな酒宴の歌声が、秋の爽やかな空へとどこまでも高く溶けていくのだった。




