28 第6章:だらだら村の平和な日常
第6章 第3節
「レオン様とルシア様のお邪魔だけは、何があっても絶対にしないこと――!」
近隣のカルバ村から着の身着のまま逃げてきた農民たちのリーダー・トマスは、村の奥に広がる広大な空き地に到着するやいなや、数十人の村人たちに向かって力強くそう宣言した。
「分かってるな、みんな! あの元勇者・レオン様は『放置型』の超絶太っ腹な神様だが、俺たちが騒ぎ立ててあのお方の『だらだら』を台無しにしたら、あの恐ろしい料理長殿に包丁で刻まれるぞ! 静かに、かつ迅速に、自分たちの住処と畑を作ろう!」
「「「おーっ!!」」」
農民たちは声を殺して力強く頷き合うと、それぞれ手に持った古びた鍬や鋤を構え、目の前の荒れ地に一歩を踏み出した。
彼らはもともと、長年の酷使と「世界のハードモード化」によってカチカチに固まった粘土質の土壌と戦ってきた筋金入りの農民である。一つの畝を作るだけでも、汗をダラダラと流しながら何時間も土を打ち叩き、石を取り除かなければならない苦労を熟知していた。
「よし、まずはこのカチカチの土をほぐすところからだ……みんな、腰を痛めないように気をつけろ――」
トマスが意を決して、使い古した鍬を地面へと振り下ろした。
――サクッ。
まるで、極上の焼き立てパンか、豆腐の塊に刃物を入れたかのような、信じられないほど軽い手応えが手に伝わってきた。
「……え?」
トマスは自分の目を疑った。
力を込めるどころか、鍬の重みだけで土が滑らかに耕され、ふんわりとした黄金色の極上土壌が顔を出したのだ。手に取ってみると、土は信じられないほど柔らかく、瑞々しく、ほのかに甘い森の芳香すら漂わせていた。
「な、なんだこの土は……っ! 鍬が吸い込まれるように入っていくだと……!?」
周りでも同じように作業を始めた農民たちから、次々と抑えきれない驚愕の叫びが上がった。
「おいトマス! 見ろよこれ! 土の中に石ころ一つ入ってないぞ!」
「見てくれ! 雑草を抜こうとしたら、根っこからスルッと抜けて、二度と生えてこない気配がするんだ!」
「こんなの……こんなの、手入れされた王室の庭園だってあり得ねぇぞ……ッ!」
彼らが知る由もなかったが、これぞまさに元勇者レオンの持つ不条理チート能力――パッシブスキル『最高環境創出』の真骨頂であった。
レオンが「勝手に空いてる土地を使っていいよ。ただし俺の邪魔はするな」と放置宣言をした瞬間、スキルが完璧に作動していたのだ。
もし農民たちが畑仕事に苦労し、作業が難航すれば、彼らは「レオン様、助けてください」「土が固くて耕せません」とレオンの家に相談に押し寄せてしまうかもしれない。それはレオンにとって「だらだらスローライフを脅かす最大の不快イベント」である。
したがって、世界環境補正システムはこう結論づけた。
――『農民たちが一切の苦労をせず、一瞬で最高品質の農作物を収穫できるように、土地全体を極限のチート豊穣空間に書き換えるべし』と。
レオンが「面倒くさいから放置したい」と思えば思うほど、世界が気を使って農民たちの作業効率を限界突破のチート仕様へと改変してしまったのである。
「す、すごすぎる……! これなら、今日中に畑の準備が終わってしまうぞ……!」
トマスたちは感動に打ち震えながら、用意してきた米の種籾や、カブや大根、カボチャの種を次々とふかふかの土へと蒔いていった。
水やりも、村の横を流れる小川から汲んでこようとしたのだが、小川の水が勝手に小さな水路を成して畑の隅々へと等間隔に流れ込み、全自動で完璧な水分補給を行ってくれた。
「おいおいおい……水やりまで勝手に終わったぞ……!?」
「神様だ……レオン様はやっぱり豊穣の神様なんだ……!」
農民たちが驚愕に打たれて畑の前に佇んでいた、その時である。
ゴゴゴゴゴ……という地鳴りのような音が微かに響いたかと思うと、先ほど種を蒔いたばかりの畑の表面が、モコモコと盛り上がり始めた。
「な、なんだ!? 何が起きているんだ!?」
緑色の瑞々しい芽が、まるで早送りの映像を見ているかのように、目に見えるスピードでぐんぐんと地上へと伸び出してきたのだ。
小さな芽はあっという間に太い茎となり、青々と茂る葉を広げ、わずか数分もしないうちに、実をたわわに実らせ始めたのである。
「ば、化け物……いや、奇跡だぁぁぁぁぁっ!!」
田んぼの区画では、黄金色に輝く稲穂がズッシリと頭を垂れ、秋風に揺れていた。一粒一粒の米が、まるで真珠か水晶のように巨大でツヤツヤと光り輝いている。
野菜の区画では、大人の頭ほどもある巨大なカボチャや、真っ赤に熟したウソみたいにデカいトマト、地面から自ら飛び出さんばかりの立派な大根が、見渡す限り一面に実っていた。
「な、なんだこの米は……! 一粒が普通の米の三倍はあるぞ!?」
トマスが震える手で稲穂から一粒の米を摘み取り、そのまま生のまま口に含んで噛み砕いてみた。
ポリッ……ジュワッ……!
「う……うああああああっっ!!?? か、甘いっ!! 生の米なのに、噛んだ瞬間に極上の和菓子みたいな濃厚な甘みと旨味が口いっぱいに弾ける……っ! これを炊いたら一体どうなっちまうんだぁぁぁっ!?」
他の農民たちも、次々と採れたての野菜をその場で丸かじりし始めた。
「カブが……カブがメロンより甘ぇぇぇぇっ!!」
「この大根、水分が溢れすぎて喉の乾きが一瞬で癒やされたぞ! 食べただけで長年の持病の関節痛が綺麗サッパリ消えやがった……!」
「神級食材だ……! 噂どころじゃない、ここは天国なんだ……ッ!」
農民たちは全員、採れたての「超高品質(神級)食材」を抱き抱えながら、その場にへたり込んで号泣した。
彼らはこれまで、冷酷な領主や過酷な自然に痛めつけられ、貧困と腹ペコの中で泥を舐めるように生きてきたのだ。それがどうだ。この村に来た途端、一滴の汗も流さず、何の苦労もなく、世界で最も美味しく、食べれば健康になる「奇跡の作物」が無限に手に入ってしまったのだから。
「レオン様……っ! レオン様ぁぁぁぁっ!!」
トマスは村の奥にあるレオンの古民家の方角に向かって、地面に額を何度もこすりつけながら感謝の叫びを上げた(もちろん、ブラッドとの約束通り、大声ではなく感涙の叫び声である)。
「俺たちは……俺たちは生涯、レオン様についていきます! この命、あの神のごとき元勇者様に捧げます……っ!!」
◇◆◇
一方その頃。
古民家の居間では、外部の劇的な奇跡など知る由もないレオンが、こたつの中でルシアと「どっちが長く口の中にミカンを含んでいられるか」という不毛極まりない勝負をしていた。
「ぐぬぬぬ……レオン……私は元魔王よ……! この程度のミカンの甘酸っぱさ……余裕で耐えてみせるわ……!」
ルシアが両頬をリスのようにぷっくりと膨らませながら、白目を剥きそうになっている。
「ふふん……甘いなルシア。俺は元勇者だぞ。この口の中の唾液分泌量を極限まで抑える『だらだら呼吸法』で、一生ミカンを味わい続けられるね」
同じく頬を膨らませたレオンが、自信満々にドヤ顔を決める。
そこへ、台所から焼き立ての神級焼き芋を持ったブラッドが入ってきた。
「お二人とも、何を下らな……ゲホン、微笑ましいお戯れをなさっているのですか。それより、村の奥の農民たちですが……どうやら畑仕事が無事に完了したようですぞ」
「え? もう?」
レオンは口の中のミカンをゴクンと飲み込むと、驚いたように目を丸くした。
「早いなー。もっと一日中クワを振るってバタバタ騒がしくなるかと思ってたのに、めちゃくちゃ静かだったじゃん」
「ええ。何やらレオン様のパッシブスキルの影響で、土が勝手に極上化し、作物が数分で神級食材として実ったようでございます。彼らは今、レオン様の古民家に向かって平伏し、涙を流しながら拝んでおりますよ」
「……は? 数分で実ったの?」
レオンは首を傾げた。「まあ、静かに収穫できるなら何でもいっか。俺、難しそうな農業の知識とか聞かれても『水あげとけば?』くらいしか言えないし」
「ふふん、これでまた美味しいお米と野菜が手に入るわね!」
ルシアもミカンを飲み込むと、満足そうにこたつの中で足をバタバタさせた。
「ブラッド、今夜はあの新しいお米で『神級おにぎり』握って! 具は神級野菜の漬物で!」
「かしこまりましたルシア様! レオン様のおかげで手に入った至高の米、私の全身全霊の技をもって握らせていただきます!」
「「おーっ!!」」
外の世界では、勝手に生えてきたチート食材の収穫によって「伝説の神級農村」が爆誕していたのだが、レオンたちは相変わらず「今夜の飯が美味くなるならラッキー」程度の認識で、どこまでも呑気に笑い合うのだった。




