26 第6章:だらだら村の平和な日常
第6章 第1節
秋の終わりを告げる冷たい風が、王国の辺境地域を吹き抜けていた。
近隣の貧しい農村「カルバ村」の惨状は、日を追うごとに深刻さを増していた。
かつては細々とでも麦やカブが育っていた畑は、ここ最近の異常な「世界の重苦しさ」によって土が粘土のようにカチカチに固まり、どれほど耕しても作物が芽を出さなくなっていたのだ。
「またダメだ……。芽すら出てこねぇ……」
「水だってそうだ。井戸の水がやけに濁ってて、おまけに飲むと酷い胸焼けがする……」
農民たちは頭を抱えていた。
彼らが知る由もなかったが、これもすべて「勇者パーティー」がレオンを追放した影響であった。レオンが持っていた無自覚のパッシブスキル『最高環境創出』が失われたことで、世界全体の物理法則や自然環境が過酷なハードモードへと戻り、土地の栄養は枯渇し、水質は悪化し、農民たちの体調すらも常に重く重だるくなっていたのだ。
このままでは冬を越せずに餓死してしまう――そんな絶望が村を支配していた。
そんな折、村の若い農夫の一人であるトマスが、息を切らしながら村の集会所に飛び込んできた。
「みんな! た、大変だ! 凄い噂を聞いたぞ!」
「なんだトマス、騒々しい。どうせまた幻のキノコでも見つけたとかいう話だろ」
長老が深いため息をつきながら応じる。
「違うんだよ長老! 隣の山を越えたところにある、あの『開拓を諦めて捨てられた廃村』のことだ! あそこ……いま、とんでもないことになってるらしい!」
「捨てられた廃村? あそこは数年前に土が痩せすぎて誰も住めなくなった死の土地だぞ?」
「それが違うんだよ!」
トマスは目を輝かせ、興奮を抑えきれない様子で語り始めた。
「木こりのギルバートが近くを通ったらしいんだが……あの村の敷地に入った瞬間、体がフワッと軽くなって、長年痛んでた腰の痛みが一瞬で消えたんだそうだ! それに、村の中心からは今まで見たこともないようなデカくて瑞々しい大根やトマトがゴロゴロ育ってて、湧き出てる水は飲むだけで元気が湧いてくる極上の名水なんだと!」
「な、なんだと……!? 夢でも見たんじゃないのか!?」
農民たちに激震が走った。
「それだけじゃない! 村からは昼も夜も、鼻が落ちそうになるくらい美味そうな出汁の匂いが漂ってて、温泉まで湧き出てるらしい! で、そこに住んでるのが……世界を追放されたって噂の『元勇者様』と『元魔王様』なんだそうだ!」
「元勇者に……元魔王……!?」
絶句する村人たち。
「最初は俺も半信半疑だった。だけど、行ってみた奴らが口を揃えて言うんだ。『あそこは神様が作った極楽だ』って……! このままここで餓死するのを待つくらいなら……俺、お願いしに行ってみようと思うんだ。あの村で暮らさせてくれ、って!」
トマスの言葉に、場は一瞬静まり返った。
しかし、飢えと疲労で限界を迎えていた農民たちの目に、かすかな希望の光が宿り始めていた。
「……そうだ。賭けてみる価値はあるかもしれない」
「元勇者様も元魔王様も、人里離れて静かに暮らしてるんなら、根は優しいお方なのかもしれないぞ」
「よし……! みんなで頼みに行こう! 俺たちの村を捨てて、その『極楽の村』へ!」
こうして、絶望の淵にいた数十人の貧しい農民たちは、わずかな家財道具をリアカーに積み込み、噂の廃村を目指して決死の行軍を開始したのだった。
◇◆◇
同じ頃、レオンたちの住む古民家の縁側。
ぽかぽかとした小春日和の日差しの中、レオンとルシアは、いつものように特製こたつに身を沈めて、だらだらと日向ぼっこを楽しんでいた。
「ふあぁぁ……今日のひなたぼっこも最高ねぇ……」
ルシアがクッションに顔をうずめ、猫のように喉を鳴らしそうな声を上げる。
「だなー。なんか秋から冬にかけてのこの絶妙な気温が、こたつのありがたみを引き立てるよな」
レオンもトロンとした目でお茶を啜っていた。
その傍らでは、元暗殺者にして至高の料理長ブラッドが、テキパキと庭の掃除をしながら、神級野菜の収穫を行っていた。
「レオン様、ルシア様。本日の昼食は、収穫したての神級白菜と神級ネギをたっぷり使った『極上出汁のつくね鍋』にしようかと考えておりますが、いかがでしょうか?」
「「採用!!」」
二人の声が完璧にハモった。
「ハハハ、かしこまりました! では、早速つくねの仕込みに――」
ブラッドが威勢よく台所へ向かおうとした、その時である。
ガラガラガラ……。
村の入り口の方から、大勢の人間が足を引きずりながら歩いてくる賑やかな音が聞こえてきた。さらに、大人の会話声や子供の泣き声までもが、静かな村に響き渡る。
「ん……? なんだ? お客さんか?」
レオンがめんどうくさそうに首を傾げた。
「刺客かしら? でも殺気はゼロよ。むしろ……もの凄くひもじそうな気が漂ってるわね」
ルシアも半目になりながら村の入り口の方を見つめる。
ブラッドがサッと先回りし、警戒しながら村の境界へと向かった。
そこには、ボロボロの服を着て、痩せこけた体でリアカーを引く数十人の農民たちの姿があった。
彼らは村の敷地に一歩足を踏み入れた瞬間――全員がハッと息を呑み、その場に立ち尽くした。
「な、なんだこれは……!?」
「足が……体が軽い! 長年の腰痛が……嘘みたいに消えたぞ!?」
「空気が……甘くて美味しい……! 寒くない……!?」
レオンの『最高環境創出』の空間補正が、彼らの疲弊した肉体を瞬時に包み込み、細胞レベルで癒やし始めていたのだ。さらに、ルシアの『全戦意蒸発』の波動によって、彼らの胸の中にあった不安や絶望感まですっきりと消え去っていく。
「ほ、本当だった……! ここは……本当に極楽だ……ッ!」
農民たちは感動のあまり、その場に崩れ落ちて号泣し始めた。
そこへ、腕組みをしたブラッドが静かに歩み寄ってきた。頭には手ぬぐい、腰には前掛け姿だが、元最強暗殺者としての圧倒的な存在感が醸し出されている。
「お前たち、何者だ? この村はレオン様とルシア様が静かに『だらだらスローライフ』をお過ごしになる聖域だ。怪しい者ならば、即刻立ち去ってもらうが」
「ひっ……!」
農民たちはブラッドの威圧感に一瞬怯えたが、先頭に立つトマスが勇気を振り絞り、地面に平伏して頭をこすりつけた。
「お願いです! お頭様! 俺たちは隣のカルバ村の農民です! 土地が痩せ衰え、水も腐り、このままでは冬を越せずにみんな死んでしまいます!」
トマスに続いて、後ろの農民たちや子供たちも一斉に土下座した。
「噂を聞いて、藁にもすがる思いでやってきました! どうか……どうか俺たちをこの村に住まわせてくだされ! どんな辛い労働でもします! 畑仕事でも薪割りでもなんでもしますから! ここで暮らさせてください!!」
悲痛で切実な叫びが、村の空気に響き渡った。
物音を聞きつけて、こたつからモゾモゾと抜け出してきたレオンとルシアが、縁側からその様子をぼんやりと眺めていた。
「えぇー……『辛い労働でもなんでもします』だってさ、ルシア」
レオンが困ったようにポリポリと頭を掻く。
「困るわねぇ。私たち、労働とか一番嫌いな人種なのに、そんな暑苦しいこと言われてもねぇ……」
ルシアも困惑気味にミカンを弄ぶ。
農民たちの切実な直訴と、平穏なだらだら生活を愛するレオンたち。
予期せぬ「開拓希望者」たちの来訪によって、だらだらスローライフの舞台であるこの廃村は、さらなる波乱(と発展)の渦へと巻き込まれていくことになるのだった。




