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23 第5章:隠密ブラッドの「沼」体験レポート

第5章 第3節


うどんの出汁の美味さをめぐる涙の承認欲求爆発イベントから数日。元暗殺者ブラッドは、すっかり「村専属の至高の料理長代行」としての誇りと自信に満ちあふれていた。


毎朝のうどんの仕込みはもはや神業の域に達し、レオンとルシアの「だらだらスローライフ」における食のクオリティは、日に日に留まるところを知らない進化を遂げていた。


そんなある日の午前中。

ブラッドは、古民家の裏手に広がる小さな家庭菜園の前に立っていた。


もともとこの畑は、何年も前に村人が捨てて去った荒れ地であり、土はカラカラに乾き、雑草すら満足に生えないような痩せこけた土地だった。到着した初日、レオンが「まあ、なんか勝手に生えてきたら儲けものだな」と適当に余っていた野菜の種をパラパラと蒔き、そのまま「面倒くさいから」と一度も水やりも耕しもせず完全に放置していた場所である。


ブラッドは、うどんの具材や薬味に使える山菜や野菜を調達しようと、半ばダメ元でその畑に足を踏み入れたのだった。


「……む?」


畑の前に立った瞬間、ブラッドは己の目を疑った。

そこにあったのは、荒れ果てた土壌などではなかった。まるで神話に登場する「豊穣の女神の庭園」のごとく、濃密な生命の輝きを放つ、瑞々しい極上の畑だったのだ。


「な、なんだこれは……っ!?」


ブラッドは思わず膝をつき、目の前の野菜たちをまじまじと見つめた。


地面からは、赤くつややかに熟したトマトの成る木が、まるで巨大な赤宝石のように眩しい光を反射している。その隣には、一本で大人の腕ほどもある太く真っ直ぐに伸びた大根が、土を押し分けて押し寄せるように顔を出していた。さらに、葉の先までピンと張り詰めた濃緑のネギからは、甘く爽やかな芳香がふんわりと漂っている。


「バカな……! 肥料もやっておらず、手入れもされていない放置された畑だぞ!? なぜこれほどまでに完璧な……いや、異常なまでの生命力を宿しているんだ!?」


ブラッドは震える手で、土から一本の大根を引き抜いてみた。


――すぽんっ!!


驚くほど軽い力で抜けた大根は、表面に一筋の傷もなく、まるで磨き上げられた白磁の彫刻のように美しかった。切り口からは、まるで果汁のように甘く澄んだ水滴がポタポタと滴り落ちている。


思わず、その生の大根の端を一口かじってみたブラッドの脳裏に、電撃が走った。


「っ……!? 甘い……っ!! これは大根ではない、まるで最高級の梨やリンゴのような果汁の甘みと、スッキリとした旨味だ……! エグみや苦味が一切存在しない……ッ!」


驚愕したブラッドは、続いて赤く熟したトマトを手に取り、丸かじりしてみた。


ジュワッ……!


弾ける果肉から溢れ出したのは、芳醇な濃縮された旨味と濃厚な甘み、そして完璧な酸味のハーモニー。一口食べただけで、体内の血の巡りが一気に良くなり、全身の魔力と生命力がみなぎってくるのを感じた。


「な、なんだこの野菜は……! 食べただけで身体の傷や疲労が癒え、魔力が限界突破して充填されていく……! これはただの野菜ではない……神々の食卓に捧げられる『エリクサー級の神級食材』だ……ッ!!」


冷汗をダラダラと流しながら、ブラッドはその場にへたり込んだ。


なぜ、放置されていた貧弱な畑が、これほどまでの「チート食材の宝庫」へと変貌を遂げてしまったのか。

その答えに思い至るのに、そう時間はかからなかった。


(……間違いない。レオン様だ……!)


そう、すべての元凶(あるいは奇跡の源泉)は、縁側で呑気に昼寝をしている元勇者レオンの規格外のパッシブスキル『最高環境創出』にあった。


このスキルは、レオンが「だらだらしたい」「動きたくない」と怠惰を貪れば貪るほど、彼の周囲の環境を「レオンが最も快適かつ美味いものを食って自堕落に過ごせる空間」へと強制的に書き換えていく。


井戸水が神級名水に変わり、庭から極上温泉が湧き出たのとまったく同じ原理であった。

「美味しい野菜が食べたいけど、自分で栽培したり畑仕事をするのは面倒くさい」というレオンの無自覚な潜在的欲望に反応し、土地の土壌菌、水分、養分バランス、さらには野菜の遺伝子レベルの構造までもが、レオンの怠惰のオーラによって「勝手に最高品質の神級食材に進化する」という暴走を引き起こしていたのだ。


レオン本人は、ただ縁側でゴロゴロ転がりながら「あー、美味しい野菜食べたいなー」と鼻くそをほじっていただけなのだが、世界の方が勝手に気を使って、世界上で最高の野菜を作り上げてしまったのである。


「す、すごすぎる……! レオン様のだらだらパワーは、土地の生態系すらも神の領域へと引き上げてしまうというのか……!」


あまりの事態に打ち震えたブラッドは、採れたての神級野菜を抱えられるだけ抱えると、脱兎のごとく居間へと駆け戻った。


「レオン様! ルシア様! 大変です! 大変なことが発覚いたしました!!」


バシャッと障子を開け放ち、息を切らすブラッド。

こたつの中で「どっちが長くミカンの皮を途切れずに剥けるか」という不毛な対決をしていたレオンとルシアは、驚いて目を丸くした。


「うわっ、びっくりした。どうしたのブラッド、そんなに大量の野菜抱えて」

「朝からそんなに興奮して、仕込みの出汁でもこぼしたの?」


二人の呑気な問いかけに対し、ブラッドは熱弁を振るった。


「違います! 裏の放置されていた畑です! レオン様のだらだらパワー……不働の聖域の加護によって、畑の野菜たちがすべて『神級食材』へと進化を遂げていたのです!」


「……え? 神級食材?」

レオンは首をかしげた。「いやいや、俺、種撒いてから一度も水やりすらしてないよ? 雑草も抜いてないし」


「それです! その『放置』こそが、レオン様の最高環境創出スキルを極限まで発動させるトリガーだったのです! ご覧ください、この大根を! このトマトを! 一口かじれば、伝説の回復薬をも凌駕する生命力が体に満ち溢れます!」


ブラッドは興奮気味に、採れたてのトマトを一口大に切り分け、レオンとルシアの前の皿へと置いた。


「えー、ほんとに? ただの放置野菜でしょ……?」

疑わしそうに、ルシアがフォークでトマトを一口口に運んだ。


次の瞬間――。


「んんんんんんっっっっ!!????」


ルシアの全身がビクンと硬直し、瞳からハートマークが飛び出さんばかりに輝いた。


「な、なにこれぇぇぇぇ!? 甘い! 旨い! ていうか、一口食べただけで、昨日夜更かししてできたニキビが一瞬で消えたんだけど!? 肌がモチモチのピチピチになっていく感触がする……!!」


「マジで……?」

レオンも大根の浅漬け風(ブラッドが速攻で漬けたもの)を一口かじってみた。


パリッ……。


「う、うっま……! なんだこれ、瑞々しさがハンパじゃない! 出汁の味が染み込んで、無限に食えるぞこれ……!」


二人は目を見開き、ブラッドが持ってきた野菜を次々と平らげていった。


「でしょ!? でしょ!? これぞレオン様の生み出した『神級食材』です!」

ブラッドは我が事のように誇らしげに胸を張った。


「すごーい! レオン、あんた本当に歩くパラダイスね! 動かないだけで最高の名水が出て、温泉が湧いて、今度は神級の野菜まで生えてくるなんて!」

ルシアは嬉しそうにレオンの肩をゆすった。


レオンは「うーん」と首を捻りながら、ポリポリと大根を噛みしめた。


「まあ……美味しい野菜が食べられるなら、それに越したことはないか。水やりもしなくていいなら最高だし」

「相変わらずの思考回路ですね、レオン様! しかし、この神級食材があれば、私の作るうどんや料理はさらに上の次元……『神の領域』へと到達いたします!」


ブラッドは料理人としての魂を激しく燃え上がらせていた。

レオンの湧き出させた神級名水、ルシアの戦意蒸発オーラで育まれた平和な空気、そしてレオンのだらだらパワーが生み出した神級野菜。それらの素材が、元最強暗殺者ブラッドの完璧な技術によって料理されるのだ。


この小さな廃村の食卓は、いまや世界のどの王侯貴族すら味わったことのない、究極の「食の至福空間」へと昇華していたのである。


「よし! 本日の昼食は、この神級大根とネギをたっぷり使った『極上みぞれ天ぷらうどん』に決定です! お楽しみにお待ちください!」


「わーい! ブラッド大好きー!」

「よろしく頼むよー」


料理作りに意気揚々と台所へ向かうブラッドと、それを見送りながら再びこたつの温もりに身を沈めるレオンとルシア。


自分たちの「だらだら」が、また一つ世界を揺るがすレベルの奇跡(とチート食材)を生み出してしまったことなど、二人は一切気に留めることなく、今日も今日とて最高に自堕落で平和な一日を貪るのだった。

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