17 第4章:残された勇者パーティの変異
第4章 第2節
王国最強のパーティーと称される「勇者パーティー」の剣聖レイガーと聖女マリアは、裏社会の最強暗殺者ブラッドの失踪という不穏な影を抱えたまま、魔王城へと続く深層ダンジョン「黄昏の回廊」の攻略へと足を踏み入れていた。
本来、このダンジョンは彼らの実力であれば、雑魚の群れなど一蹴しながらサクサクと進めるはずの場所だった。しかし、足を踏み入れた瞬間から、二人は言い知れない違和感と、全身を縛り付けるような重苦しい疲労感に襲われていた。
「はぁ……はぁ……なんだこれ……っ!?」
レイガーは愛用の聖剣を地面に突き立て、荒い息を吐きながら膝をついた。彼の額からは、玉のような冷や汗がポタポタと流れ落ちている。全身の筋肉がまるで鉛のように重く、一歩一歩を踏み出すのすら億劫だった。
隣にいる聖女マリアも、純白の聖衣を汗でびっしょりと濡らし、杖を支えにしながらよろめいていた。
「おかしいわ……魔力の燃費が最悪よ。ちょっとした結界を展開しただけで、魔力がごっそり持っていかれる……。それに、この空気、妙に湿っていて息苦しい……!」
二人の前方に、ダンジョン内ではどこにでもいる最弱の雑魚モンスター、ポヨンとした青い「スライム」が数匹現れた。
普段の彼らであれば、見向きもしないか、通りすがりに指先一つで消し飛ばすような相手だ。
「ちっ……! たかがスライム風情が、私たちの進路を塞ぐ気か……!」
レイガーは怒気を孕んだ声で、浑身の力を振り絞り、聖剣を力任せに振り下ろした。本来なら、その一撃で周囲の空間ごとスライムを両断できるはずの必殺の剣閃である。
――ズドンッ!!
鈍い、まるでお餅でも叩いたような奇妙な音が響いた。
スライムは切り裂かれたが、なぜかその感触が異常に重かった。まるで、数トンもある鉄の塊を無理やり押し潰したかのような、信じられないほどの抵抗感がレイガーの腕を伝わってきた。
「ぐあっ……!? なんだこの手応えは……っ!?」
レイガーの腕の骨がきしむ。スライムを倒したというのに、体力の消耗は、かつて上位のドラゴンを討伐したときよりも激しい。
さらに、倒したはずのスライムの残骸が、なぜかネバネバと異常なまでに床にへばりつき、レイガーのブーツを強力な吸盤のように捉えて離さない。
「なっ、なんだこれ! 足が抜けない……っ!? たかがスライムの粘液ごとなぜこんなに強力なんだ……!」
マリアが慌てて回復魔法と浄化の光を放とうとするが、彼女の手から生み出されるはずの聖なる光は、どこか頼りなく、すぐにパチパチと音を立てて消え失せてしまった。
「うそ……魔力が……! 魔法のコントロールが全くきかない……! 空気の密度が濃すぎて、呪文が唱えられないのよ……!」
二人はパニックに陥った。
彼らは自分たちの能力が落ちていることを、最初は「自分たちのコンディションの調整不足」だと思い込んでいた。しかし、ここまでダンジョンの環境が過酷で、すべてのモンスターの攻撃や手応えが異常に重く感じられるのは、個人の体調不良というレベルを超越していた。
「なぜだ……! なぜこんなにも世界が私たちを拒絶するように重いんだ……!」
レイガーは歯噛みしながら叫んだ。
彼らが気づいていない真実はただ一つ。
この世界全体の物理法則や環境補正は、これまで「勇者レオン」という規格外のパッシブスキル持ちがパーティーに存在していたことによって、常に「極限まで快適で、戦闘の負荷が最小限に抑えられるように」自動調整されていたのだ。
レオンがいる世界では、空気は常に爽やかで、モンスターの重みや抵抗は軽減され、仲間たちの疲労や魔力の消耗は驚異的な効率でカバーされていた。いわば、レオンの存在そのものが、世界全体の「難易度をベリーイージーにする隠しチート装置」だったのだ。
そのチート装置を、「派手な技が使えないから」という自分たちの勝手なエゴで放り投げ、遠く離れた田舎の農村へと追放してしまった。
その結果、世界は本来の「容赦のない、過酷で、重苦しいハードモードの物理法則」へと強制的にリセットされてしまったのである。
雑魚スライムが異常に重く感じるのも、空気の密度が高いのも、すべてはレオンの「世界環境補正」が失われた代償だった。
「くそっ……! こんなはずじゃない……! 私たちは世界を救う勇者パーティーだぞ……!」
レイガーは這うようにして立ち上がろうとしたが、自分の足の重さに耐えきれず、再び泥まみれの床に倒れ込んだ。
最高峰の誇りを持っていたはずの剣聖と聖女は、たった数匹の雑魚スライムと重力にすら勝てず、ダンジョンの入口付近で文字通り「絶望的なまでの無力感」に打ちひしがれることになったのである。




