#24 庇った代償
手紙は、十二歳くらいの少年が持ってきた。
石橋の下で三日目の朝だった。少年は、シエラに紙を渡すと、俺のほうを一度も見ずに走って帰っていった。見るなと言われていたのだろう。
封はなかった。折り目だけで留めてある。急いで書いた紙だ。
『レンさんへ
明後日の朝、東の渡し場から、北の司祭区へ発ちます。
先日の教区会議で発言いたしました。通達第二項の実例として引かれた北方の教区の件は、当該司祭が己の外套を売って薪代に充てていた記録が残っており、これを「善き目的の演出」の先例として一般に用いるのは、その司祭の窮乏を制度の弁明に使うことである、と申し上げました。
私の言い方が拙かったのだと思います。三度言い直しましたが、三度とも同じことを言ってしまいました。
左遷ではなく、転任という扱いです。北の司祭区は、冬に街道が閉じるそうです。
言ったことは、後悔していません。
ベネット』
*
俺は、シエラに背負ってもらって、渡し場へ向かった。
一日半かかった。人形の足は、歩けはするが、速くない。関節の油が街道の土を噛んで、半日ごとに拭かなければならなかった。シエラは一度も休もうと言わなかった。彼女は彼女で、ベネットに何度か食い物を分けてもらっていた。
明後日の朝に、半刻遅れて着いた。
だが、渡し舟は出ていなかった。上流の雨で水が濁り、朝の便が止まっていた。
ベネットは、渡し場の桟橋の脇の、石段に座っていた。
*
荷が、少なかった。
木箱が一つ。それだけだ。祭服の替えが入っているのだろうと思ったが、彼が蓋を開けて何かを探したとき、中身が見えた。
紙束だった。
「靴です」と彼は言った。俺の視線に気づいたらしい。「北の教区の、孤児院の。十九人分の、足の寸法を書いてあります」
彼は、束の一枚を摘まんで、俺に見せた。細い線で足の形が写し取ってあり、脇に名前と、日付が二つ書いてある。前の冬に測った寸法と、今年の春に測った寸法だ。
「子どもは、半年で伸びますので。去年の靴が、今年は履けない子がいます」
「……これを、あんたが」
「回状を作って、革の商いをしている教区に回すつもりでした。三つ、返事をもらっていたんです」彼は、紙束を箱に戻した。「引き継ぎ先が、まだ決まっておりません。北へ着いたら、そちらから手紙を書いてみます。ただ、冬に街道が閉じますので、間に合うかどうか」
俺は、答えられなかった。
この男が失ったのは、地位ではない。地位を失ったこと自体は、彼はたぶん、あまり気にしていない。彼が失ったのは、三つの返事を四つにして、十九人の子どもに冬までに靴を届けるという、その仕事だ。
「俺のせいだ」と俺は言った。
ベネットは、少し笑った。
「レンさん。私は、あなたのことを庇ったのではありません」
「……」
「ヨナス司祭のことを申し上げました」彼は、川を見ていた。「私は、あの方に会ったことがありません。名前も、あの通達で初めて知りました。ただ、報告書は読みました。あの几帳面な字を読んだときに、この方は、自分がやっていることを恥じながら、それでも一行も誤魔化さずに書いたのだと思いました」
濁った水が、桟橋の杭に当たって渦を巻いていた。
「あの報告を、四条の実例として使うのは、あの方に二度目の恥をかかせることです。私はそう申し上げました。三度」
「それで、飛ばされた」
「はい」
「後悔していない、と書いていた」
「していません」ベネットは、そこで初めて、俺のほうを向いた。「ただ、上手ではありませんでした。上手にやれば、通ったかもしれません。私は、正しいことを言えば通ると思っていました。三十を前にして、それは違うと知りました」
俺は、その言葉を、長いこと噛んでいた。
正しいことを言えば通ると思っていた。
俺が三十年やってきたのは、その逆だ。正しいことを、通る形にして客に渡す。それが芸だ。俺はその技術で飯を食ってきて、そして、その技術を、この世界へ来てから一度も使っていない。
俺は、告げてばかりいた。渡し方を、一度も考えなかった。
技術は、持っていたのだ。
置いてきたのではなく、使わなかった。
*
渡し舟が出たのは、昼を過ぎてからだった。
ベネットは、木箱を抱えて立ち上がった。
「レンさん。一つだけ、申し上げてよろしいですか」
「ああ」
「あなたは、あの村の件を、ご自分のせいだと思っておいでです」
俺は、答えなかった。
「そう思っておいでのほうが、たぶん、楽です」と彼は言った。
俺は、顔を上げた。
「全部が自分のせいなら、次は自分が気をつければいい、ということになります。話が、あなたの中だけで済みます」
彼は、木箱を持ち直した。
「済まないと思います。私は、そう思います」
「じゃあ、どうすればいい」
「分かりません」ベネットは、あっさりそう言った。「私は、三度同じことを言って飛ばされた人間ですので。手本にはなりません」
彼は、桟橋を歩いていった。
途中で一度、振り返った。
「北の司祭区は、写本の紙が余っているそうです。冬は暇だと聞きました」と彼は言った。「暇なうちに、いくつか書いてみようと思っています。読む人がいるかは分かりませんが」
舟が出た。
濁った水に、櫂が二本差し込まれ、舟は斜めに流されながら、向こう岸へ寄っていった。ベネットは、木箱を膝に抱えたまま、こちらを見ていなかった。
*
帰り道、シエラは長いこと黙っていた。
日が暮れて、街道脇の木の下で足を止めたとき、彼女は言った。
「これで、味方は何人」
俺は、数えた。
数えるまでもなかった。
ヨナスは、俺の名を知らない。トビアスは、俺に助けられた男として、あの町で生きている。あの村の長老は、俺を殺したくならないために、自分に言い聞かせている。ベネットは、川の向こうへ行った。
「一人だ」と俺は言った。
シエラは、答えなかった。
答えなかったことに、俺は気づいた。気づいて、何も言わなかった。
彼女は、あの神殿でエドガルに嵌められて以来、俺の解体を一度も面白がっていない。留め金を締める手つきが、あの村の夜より、確実に遅くなっている。
一人だと言った俺の言葉を、彼女は否定しなかった。
肯定も、しなかった。




