#18 あと何回
二日走って、ようやく追手の気配が切れた。
辿り着いたのは、川の合流点にある、そこそこ大きな町だった。人の出入りが多い町は、隠れるのに向いている。俺たちは、川沿いの安い宿の、いちばん奥の部屋を取った。
俺は疲れを感じない体だが、シエラは、目の下に隈を作っていた。
彼女は、部屋に入るなり、床に座り込んだ。そして、そのまま十分ほど動かなかった。
それから、荷の底から、紙と、炭の棒を出した。
*
「計算する」
「何を」
「あと何回できるか」
俺は、答えなかった。
答えなくても、彼女は始めた。彼女は、俺の返事を待って何かをする人間ではない。
彼女は、残量計を横に置き、紙に線を引いた。
そして、書き出した。
賭博場、数十人、屋内、一刻。マイナス35。
塗料の広場、五十人、屋外、半刻。マイナス11。
巡礼の広場、三百人、屋外、四半刻。マイナス13。
「人数だけじゃないんだよね」と彼女は言った。炭の先で、三つ目の行を指す。「巡礼のは、三百人いたのに13で済んでる。塗料のは五十人で11。人数が六倍で、消費は二割増し」
「時間か」
「たぶん、それもある。でも、それだけじゃない」
彼女は、しばらく紙を睨んでいた。
「巡礼のときは、聖人が先に静かにしてくれてた。塗料のときは、あなたが最初に集めて、説明して、それから鳥を出した。長かった」
彼女は、炭の棒で、こめかみを叩いた。
「たぶん、『届かせるのにかかった手間』なんだと思う。人数じゃなくて。何人が受け取ったかじゃなくて、受け取らせるのにどれだけ押したか」
俺は、その見立てに、ぞっとした。
つまり、この体は、俺が人に「聞かせよう」と力を込めた分だけ、減る。相手が自分から聞く気でいるなら、安い。こちらが押せば押すほど、高くつく。
——値段のつけ方が、あまりに趣味が悪い。
「いま、いくつだ」
彼女は、残量計の蓋を開けた。
「29」
*
彼女は、指を折りはじめた。
「賭博場みたいなのが、あと一回。塗料の広場みたいなのが、二回。それか、巡礼みたいなのを二回」
親指、人差し指、中指。
「細かいのを混ぜたら、もうちょっと増える」
薬指。
「でも、大きいのは」
小指。
彼女は、五本目を折り終えて、顔を上げなかった。
「片手で足りるくらい」
*
俺は、その言葉を、天井を見ながら聞いた。
俺は、この体になってから、一度も本気で数えたことがなかった。数えないほうが動けたからだ。今夜、数えられてしまった。数えられたものは、もう数えない状態には戻らない。
「シエラ」
「うん」
「聖起の丘には、どれくらいある」
彼女は、そこで、初めて顔を上げた。
「技術書には、八個って書いてある」
「八個は、目盛りでいくつだ」
「分かんない。組合の八個が、この人形の百と同じ大きさなのか、千なのか」彼女は、紙の端を折った。「でも、たぶん、桁が違う。丘の機構を210年動かしてる霊晶だから」
俺は、天井を見たまま、その事実を並べ直した。
この世に残っている、まとまった霊晶は、聖起の丘にしかない。
聖起の丘の機構は、この国の建国の嘘そのものだ。
つまり——俺が暴くべきいちばん大きな嘘の内側に、俺が生き延びる手段が、埋まっている。
「うまいな」と俺は言った。
「なにが」
「誰が組んだのか知らんが、こういう仕掛けを、俺は組めない」
シエラは、紙を畳んだ。
「誰も組んでないよ、これ」
「ああ」
「たまたまだよ」
「たまたま、こういう形になるのが、いちばん質が悪い」
*
その夜、階下の酒場から、話し声が上がってきた。
宿の床は薄い。俺は眠らない体なので、上がってくる声を、一晩じゅう拾っていた。
三人組の行商が、酒を飲みながら話していた。
「南の山んなかの村な」
「ああ、あれか。泉の」
「行ってきたんだよ、先月。道が悪くてな。荷馬車が入らん。三刻歩いた」
「効くのか」
「効くらしいぞ。うちの姉の姑が、あれで楽になったって」
「本当かよ」
「本当かどうかは知らん。ただな」
そこで、男は少し声を落とした。
「あそこ、末期の病人が、あれ飲んで、穏やかに逝ったんだと。苦しまずに」
「……そりゃ」
「そういう話が出るとな、人は行くわけよ。治るかどうかじゃねえんだ。楽に死ねるかどうかだ」
三人は、しばらく黙った。
それから、話は麦の相場に移った。
*
俺は、その話を、床板の下から聞いていた。
シエラは、寝ていた。左肩を下にして、膝を抱えて、丸くなって寝ていた。彼女は疲れると、そういう寝方をする。
俺は、天井を見ていた。
見ながら、頭の中で、勝手に組み立てはじめていた。
泉。鉱物。水の成分。一時的な鎮痛。土地の地形。
やめておけ、と思った。
思いながら、組み立てるのは止まらなかった。三十年、そうやって生きてきた頭は、勝手に動く。目の前に仕掛けの気配があると、俺の頭は、俺の許可を取らずに手を伸ばす。
朝までに、俺は、その泉について三つの仮説を立てていた。
三つとも、後で当たっていた。




