#16 使われていた
ベネットは、七日後に、また来た。
前より、叩き方が上手くなっていた。二度、間を置いて二度。今度は、迷いのない叩き方だった。人目を忍ぶことに慣れるのに、七日かかったのだろう。
彼は、部屋に入るなり、祭服の内側から、羊皮紙の束を出した。
「写しです。三晩かけて、私が書きました」
俺は、彼の指を見た。人差し指と中指の付け根が、墨で黒くなっていた。
「原本は、持ち出せませんので」
*
束は、二十枚あった。
一枚目は、表だった。
『非公認しるし摘発記録 当年度』
以下、日付と、地名と、内容が並んでいた。
第一行に、あの宿場町の賭博場があった。
第二行に、田舎町の悪霊憑きがあった。
第三行に、巡礼広場の治癒の聖人があった。
そして、その右の欄に、同じ言葉が三度、書かれていた。
『非公認』
『非公認』
『非公認』
*
俺は、その欄を、何度も見た。
見ながら、頭の中で、自分がこの半年に潰したものを、順番に並べた。
聖水の粉。あれは村の司祭に囁いただけで、記録に残っていない。
賭博場の賽。非公認。
壁の鉛。非公認。
降霊術。耳打ちで済ませた。記録に残っていない。
掌の血糊。非公認。
——一つも、教会公認のものがない。
「偶然ではありませんね」とベネットは言った。
「……ああ」
「最初の二つは、偶然だったと思います。認可されていないほうが、仕掛けが粗いのです。粗いものは、目につきます」
彼は、束の四枚目をめくった。
そこに、名簿があった。
『巡回日程 交付先一覧』
短い表だった。日付と、交付した相手の名。
俺の名は、載っていなかった。載っていたのは、『人形一体・随行の女一名』だった。
交付者の欄に、名前が一つ。
ゾラン・ヴァイス。
*
俺は、あの日のことを思い出した。
集落の裏路地。古びた革の作業着。油と金属の匂い。彼は俺の前に立ち止まって、俺の体を設計図を眺めるように見て、それから、書付を一枚置いていった。
『これは、君が次の案件で関わることになる、ある「奇跡」の巡回日程だ』
俺は、それを受け取った。
受け取ったとき、俺は、この男に試されていると思った。この男は俺を利用しようとしている、とも思った。思ったうえで、受け取った。理由は、あの書付に書かれていた男が、本物の悪党だったからだ。
——実際、悪党だった。
腕を吊った子どもがいた。添え木を外させた男だった。俺は正しかった。
正しかったから、俺は、その紙をどこから受け取ったかを、一度も検算しなかった。
「賭博場です」とベネットが言った。
「なに」
「ヴァイス管理官は、あの日、あの賭博場におられました。記録に残っております。『視察』とだけ書かれていますが、あの町には、視察すべき教区がありません」
俺は、あの夜の広間を思い出した。
割れんばかりの喝采。8年ぶりに浴びる舞台の音。あの音を、俺は、この体で味わえるとは思っていなかった。俺は、あの夜、自分がまだあれを欲しがっていたことに気づいて、少し嬉しかった。
広間の後ろに、襟に紋章を付けた男が立っていた。
俺は、それを見た。
見て、意に介さなかった。喝采のほうが、大事だったからだ。
「彼は、あの夜、何かを決めたのだと思います」とベネットは言った。「翌週から、交付が始まっています」
*
「潰すより、使うほうが安い」
俺は、そう言った。
言ってから、それが自分の口から出たことに驚いた。
「……はい」とベネットは言った。「私も、そう推察しております」
俺は、木の指を、膝の上で組んだ。
「取り締まりの人員は、何人減った」
「え」
「減っただろう。俺が半年やっていたことは、それだ」
ベネットは、束をめくった。めくって、しばらく探して、見つけた。
「……当年度、七人」
「その七人ぶんの俸給は、どこへ行った」
「南部の施療院の、薪代と記載がございます」
俺は、しばらく、動かなかった。
*
俺は、半年、教会の取り締まり係だった。
無償で。それどころか、自分の命を削って。
一件やるたびに、俺の残量は減った。賭博場で35、塗料の広場で11、巡礼広場で13。俺は、それを「正しさの代金」だと思って払った。払った先が、どこの帳簿に載っていたかを、考えたこともなかった。
考えなかったのは、俺が愚かだったからではない。
考える習慣が、なかったからだ。
俺は三十年、舞台の上のことだけを考えてきた。幕が下りたあとは、他人の時間だ。金の流れも、次に誰が得をするかも、俺の担当ではなかった。
この世界では、幕が下りたあとが、全部だった。
「レンさん」
「……ああ」
「あなたは、悪いことをしておられません」ベネットは、はっきり言った。「あの巡礼広場の男は、子どもの腕を潰しました。あなたが止めなければ、もっと潰れていました。それは、変わりません」
「変わらんな」
「変わりません。ただ、あなたの正しさは、無償で回収されておりました」
俺は、その言い方を、頭の中で二度、繰り返した。
無償で、回収されていた。
うまい言い方だ。この若い司祭は、時々、こういう言葉を出す。
*
ベネットは、束を揃え、そして、床に膝をついた。
「お願いがございます」
「やめてくれ。俺は人形だ。頭を下げられる筋合いがない」
「聞いていただけますか」
「聞く」
彼は、顔を上げなかった。
「ヴァイス管理官を暴くのは、構いません」
「……」
「あの方は、この仕組みの頂点におられます。あの方が何をされたかは、明らかにされるべきです。私は、それを止めません」
彼は、そこで、少し言葉を溜めた。
「ですが、管理院そのものを、潰さないでください」
「……」
「孤児院が、この国に百二十三あります。施療院が四十一。冬に麦を配る穀物蔵が、十九」
彼は、そこで、初めて顔を上げた。
「全部、あの組織が回しています」
俺は、答えられなかった。
「あの方が『秩序だった希望』と仰るとき、その秩序の中身は、孤児院と施療院と穀物蔵です。中身が空っぽの秩序なら、私はとっくに辞めております」
「……ベネットさん」
「はい」
「あんたは、それを分かっていて、俺のところへ来たのか」
「はい」
彼は、隠さなかった。
「私は、あの組織に、あの方に、辞めていただきたい。ですが、組織には残っていただきたい。それは、都合のいい話です。分かっております」
彼は、束を、俺の膝の上に置いた。
「都合のいい話をしに来ました。ですので、頭を下げております」
*
彼が帰ったあと、シエラが、束をめくっていた。
「ねえ」
「なんだ」
「この人、あなたと同じこと言ってる」
「どこが」
「潰すか、残すか、じゃなくて、どう残すか、って言ってる」彼女は、四枚目の名簿を指で叩いた。「あなたが、いつも分からなくなるとこ」
俺は、その指の先を見ていた。
『人形一体・随行の女一名』
俺の名も、彼女の名も、そこには書かれていなかった。俺たちは、この半年、この国の帳簿の上では、道具の欄に一行、載っていただけだった。
「シエラ」
「うん」
「怒っていいぞ」
「うん、怒ってる」
彼女は、束を閉じた。
「でも、あなたに怒ってるんじゃないから、そこは間違えないで」




