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感情と記憶を失った空っぽの従者なのに、次期公爵のヤンデレ天才魔術師が「永遠に俺のそばにいろ」と狂気の愛で迫ってくる  作者: 月夜 闇花


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番外編「誰も届かない狂気の塔」

 ◇テオ視点


 北の辺境に広がる黒い森を、テオは深い雪に足を取られながら進んでいた。

 彼がヴォルデリア公爵家の見習いを卒業し、王立魔術院の正式な魔術師となってから、すでに数年の歳月が流れている。

 天才と謳われた次期公爵イグニスが、すべてを投げ打って王都から姿を消したあの事件。

 彼を探す公爵家の捜索隊もとうに解散し、人々がその名前を口にすることも少なくなった現在、テオは独自の魔力探知だけを頼りにこの過酷な地へと足を踏み入れていた。

 冷たい風が頬を切り裂き、吐き出す息が白く凍りついていく。

 しかしテオの足を重くしているのは、物理的な寒さだけではなかった。

 森の奥深くへと進むにつれ、空気をひどく歪めるような異様な魔力の壁が、物理的な圧迫感となって皮膚にのしかかってきたからだ。

 木々の隙間から、古い石造りの塔がその姿を現す。

 塔の周囲は、雪が不自然な円形を描いて溶けており、目に見えない高密度の魔力が巨大なドーム状になって空間を完全に隔絶していた。


「……見つけた。ここに、いらっしゃったんですね」


 テオは震える手で杖を構え、その結界の構造を読み取るための解析魔術を放とうとした。

 杖の先端から青い光の粒子が飛び立ち、見えない壁へと接触する。

 次の瞬間、テオの脳内に信じられないほどの情報の奔流が流れ込んできた。

 テオは全身がゾッとするような悪寒を感じ、悲鳴を上げそうになるのを必死に堪えて杖を雪の上に落とした。

 それはかつて、王立魔術院で誰もが称賛したような、美しく論理的な術式ではない。

 何重にも絡み合い、決して解けないように複雑に編み込まれた、執念と狂気の塊だった。

 誰も中に入れない。そして何より、中のものを絶対に外へ出さない。

 その一つの目的だけのために、イグニスの持つ膨大で天才的な魔力のすべてが注ぎ込まれている。

 テオは膝から雪の上に崩れ落ち、荒い呼吸を繰り返した。

 少しでも無理に干渉すれば、この結界は侵入者の魂を容赦なく引き裂くだろう。

 テオは解析を諦め、代わりに遠視の魔術を自身の瞳に付与した。

 塔の最上階、厚いガラスに覆われた窓の奥を静かに覗き込む。

 そこには、二つの影があった。

 一人は銀色の髪を持つ青年。

 セレンだ。

 彼は窓辺の長椅子に腰掛け、微動だにせず虚空を見つめている。

 かつて工房の隅でいつも控えめに微笑み、温かいお茶を淹れてくれた彼の面影は、そこにはもうなかった。

 そして、そのセレンの足元にひざまずいているのは、漆黒のローブをまとったイグニスだった。

 イグニスはセレンの足を両手で愛おしげに包み込み、何かを囁きながら深く顔を押し当てている。

 テオの記憶にあるイグニスは、誰よりも傲慢で、他者の献身を当たり前のものとして切り捨てる冷酷な男だった。

 しかし今の彼は、ただ一人の従者の存在にすがりつき、その体温を確かめることでしか生きられないほどにひどく脆く、歪み果てている。

 外の世界のすべてを拒絶し、二度と心を取り戻すことのない人形を抱え込んで、永遠に終わらない後悔の泥濘の中で生きていく。

 それが、あの天才が自ら選んだ結末だった。

 テオは理解した。

 あの塔の中は、すでに一つの完成された世界なのだと。

 外の世界の人間が踏み入る隙間など、どこにも残されていない。

 テオは雪の上に落ちた杖を拾い上げ、塔に向かって深く頭を下げた。

 そして、二度と振り返ることなく、王都へと背を向けて立ち去る。

 冷たい風の音だけが、黒い森の静寂をいつまでも支配していた。

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