第17話「終わらない夜の舞踏」
塔の下層に位置する大広間は、本来ならば大人数を招いて晩餐会を開くための広々とした空間だった。
長い間使われることなく放置されていたその場所に、今夜はイグニスの魔術によっていくつもの燭台が灯されている。
オレンジ色の炎が静かに揺らめき、磨き上げられた大理石の床に二つの長い影を落としていた。
イグニスは漆黒の夜会服を身にまとい、セレンには純白の礼服を着せている。
上質な絹が肌に触れる滑らかな感触と、首元を飾る重いサファイアの冷たさ。
セレンの右の足首に繋がれた銀の鎖が、一歩歩くたびに微かに擦れ合って鈍い金属音を立てていた。
音楽を奏でる楽団はどこにもいない。
静まり返った広間の中央で、イグニスはセレンの右手を取り、もう片方の手を細い腰へと回した。
「私に合わせて、ステップを踏んでくれ」
低く甘い声が、冷たい空気に溶けていく。
セレンは主人の要求を分析し、過去の記憶の底から社交界の舞踏に関する手順を引き出した。
右足を前に出し、体重を移動させる。
重心を低く保ちながら、相手の動きに追従して円を描くように後退する。
それは感情の伴わない、骨格と筋肉の動きを連動させるだけの無機質な作業だった。
イグニスが静かに、古い民謡のメロディを口ずさみ始める。
その低くかすれたリズムに合わせて、二人は誰もいない大広間をゆっくりと旋回していった。
布が擦れる音と、靴底が大理石を滑る音だけが規則正しく刻まれていく。
イグニスの熱い吐息が、セレンの耳元をかすめた。
「……美しいな。まるでお前が、私のために舞い降りた本物の天使になったようだ」
仄暗い陶酔が、彼の赤い瞳を濁らせている。
かつての傲慢で誇り高かった天才魔術師は、自分の作り上げた箱庭の中で、完全に理性を手放していた。
彼はセレンの腰を抱く手に力を込め、自分の体温を押し付けるように密着してくる。
セレンはステップを踏みながら、足首の鎖の重さを正確に計算する。
旋回による遠心力で生じる負担、金属が皮膚に擦れて微かに熱を持つ感覚。
それらはすべて、この塔で生きていくための単なるデータにすぎず、痛みや不快感として処理されることはない。
イグニスは踊りを止めることなく、セレンの首筋に顔をうずめた。
「このまま、二人で永遠に踊り続けよう。誰にも邪魔されない、この閉ざされた夜の底で」
呪いのように重く、逃げ場のない愛の告白だった。
セレンは機械的に口角を引き上げ、彼を安心させるための微笑みを作る。
「はい、イグニス様。ご命令のままに」
感情のない音声が、炎の揺らめく広間に虚しく響く。
イグニスはその答えに満ち足りたように目を閉じ、さらに強くセレンを抱き寄せた。
二人の影は重なり合い、終わることのない舞踏のステップが、冷たい床の上でいつまでも繰り返されていった。




