第15話「完成された箱庭」
塔での時間がどれだけ過ぎたのか、セレンには正確に計測する手段がなかった。
窓の向こうの景色は、イグニスの魔術によって常に一定の光量と気候に保たれている。
外界から完全に切り離されたこの空間は、まるでガラス細工のスノードームのように自己完結した箱庭だった。
午後のお茶の時間が終わると、イグニスは必ず古い本を抱えてセレンの隣に座る。
かつてはセレンが彼の研究のために難解な魔術の文献を読み上げていたが、今はイグニスがセレンのために童話や詩集を読み聞かせていた。
暖炉の火が静かに爆ぜる中、重厚な革張りの表紙が開かれる。
「……その従者は、主人の身代わりとなって恐ろしい呪いを受けました」
イグニスの低く落ち着いた声が、静かな部屋に響く。
彼が選ぶ物語は、なぜかいつも「自己犠牲」や「取り返しのつかない喪失」をテーマにしたものばかりだった。
まるで、物語の中の悲劇をなぞることで、自分自身の罪を反芻し、痛みと向き合おうとしているかのように。
「呪いは従者の体を黒く染め上げ……彼は最後に、主人に向かって微笑みました。私があなたの代わりになれて、本当によかったと」
そこで、イグニスの声が微かに震え、途切れる。
古い紙のページをめくろうとした手が空中で止まり、小刻みに震えていた。
古いインクと埃の匂いが、二人の間に漂っていた。
セレンは本に向けられていた視線を上げ、主人の顔を観察する。
イグニスは奥歯を強く噛み締め、呼吸を浅く乱していた。
赤い瞳の奥には、物語の登場人物に自分たちを重ね合わせたことによる、激しい後悔と自責の念が渦巻いている。
「ごめん……すまない、セレン」
イグニスは本を床に落とし、セレンの膝に顔をうずめて泣き崩れた。
肩が激しく上下し、喉の奥から絞り出すような嗚咽が漏れる。
セレンは床に落ちた本を一瞥し、主人の行動の起因を分析した。
謝罪を要求されるような物理的、あるいは精神的な損害は、セレンの側には一切発生していない。
「謝罪の理由が不明です。私はイグニス様に対して、何の不満も抱いておりません」
事実のみを淡々と告げながら、セレンは夜の寝室で行うのと同じように、イグニスの頭を一定のリズムで撫で始めた。
一、二、三。
メトロノームのような正確なリズムで、銀色の髪に覆われた主人の頭を撫で続ける。
その機械的な慰めが、イグニスにとってどれほどの猛毒であるかを理解する機能は、セレンにはもう残されていない。
自分が愛した過去のセレンは、物語の最後に見せたような「心からの微笑み」をもう二度と浮かべることはない。
その残酷な真実を突きつけられながら、イグニスはセレンの膝にすがりついて泣き続けるしかなかった。
セレンは主人の悲しみの意味を理解しないまま、プログラムされた動作をただ忠実に実行し続ける。
閉ざされた箱庭の中で、二人のすれ違いは修復不可能なほどに完成されていた。




