第13話「逃げられない鳥籠と美しい鎖」
厚いガラス窓の向こうで、長く厳しい冬が終わりを告げようとしていた。
白い雪が少しずつ溶け出し、黒い土の表面から森の木々が緑の若葉を覗かせている。
生命の息吹が雪の下でうごめき、季節が確実に巡っていることを視覚的に証明していた。
しかし、塔の窓はイグニスの魔術によって分厚い魔力の壁で封鎖されており、春の風が室内に吹き込むことは決してない。
セレンは窓枠に指先を這わせ、ガラス越しに伝わる微かな冷気だけを皮膚で感じ取っていた。
部屋の中央には、豪華な衣装がいくつも並べられている。
王都の職人に特別に作らせ、転移魔術を用いて取り寄せた最高級の絹や、緻密な金糸の刺繍が施された上着の数々だった。
イグニスは毎日、少しでも時間があればセレンの体を飾り立てることに没頭していた。
「こちらを向いてくれ。今日は、この青い服を着てみよう」
イグニスが手にしたのは、セレンの瞳と同じ色合いをした薄手のローブだった。
布地は光の当たる角度によって色が変わり、水面のように滑らかな光沢を放っている。
セレンは静かに振り返り、言われた通りに両腕を上げる。
イグニスがセレンの着ていた簡素な衣服を脱がせ、新しいローブの袖を丁寧に通していく。
かつての公爵家では、セレンが常に地味な色の使用人服を身にまとい、イグニスの華やかなローブを整えるのが日常だった。
今ではその役割が反転し、セレンはただ立っているだけの着せ替え人形として扱われている。
イグニスの長い指が、胸元の細かなボタンを一つずつ留めていく。
その指先がわずかに震え、時折セレンの肌に触れるたびに、ひどく冷たい汗がにじんでいるのがわかった。
失われた心を見ないようにするかのように、イグニスはセレンの外見を完璧なものに仕上げることで精神の均衡を保とうとしている。
衣服を整え終えると、イグニスは重厚なベルベットの箱を開いた。
中には、大粒のサファイアをあしらった銀の首飾りが収められている。
イグニスはそれをセレンの首に回し、後ろのうなじで留め金を固定した。
冷たい金属の感触が皮膚に張り付き、物理的な重量が首筋にのしかかる。
セレンは重力に従うように、かすかに目を伏せた。
「よく似合う。本当に美しいよ、セレン」
イグニスの赤い瞳は、熱に浮かされたような奇妙な光を宿している。
ただの観賞用の鳥を愛でるような、あるいは己の作り上げた芸術品を讃えるような、ひどく歪んだ眼差しだった。
「ありがとうございます、イグニス様」
セレンは鏡の前で学習した模造品の微笑みを浮かべ、決められた台詞を正確に口にする。
イグニスは満足そうに表情を緩めるが、その笑顔はどこかひきつっていた。
「……外は春になった。雪も溶けたようだが、森を歩きたいと思うか」
イグニスが首飾りに触れたまま、ひどく警戒したような、探るような声で問う。
もしセレンが外に出たいと答えれば、彼はどのような手段を使ってでもそれを阻止しただろう。
しかし、セレンの思考にそのような願望が浮かぶことはない。
「外気は不安定であり、予測できない危険が伴います。私は、イグニス様の用意されたこの空間にいるのが最も安全だと判断しています」
論理的で無機質な回答が、部屋の静寂に落ちる。
その言葉を聞いた瞬間、イグニスはひどく安堵したように息を吐き出し、セレンの肩に自分の額を押し当てた。
「ああ、そうだ。外にはお前を傷つけるものしかない。ずっとここにいればいい」
セレンの首に巻かれた重いサファイアの首飾りが、見えない鎖としての役割を完全に果たした瞬間だった。
逃げられない鳥籠の中で、セレンはただ美しいだけの羽を広げ、主人のための置物として静かに呼吸を続けていた。




