橘美雲の喫茶店 その4
──碧の調子はドン底に落ちていた。詳しく云うと、寝癖はそのまま、服もだらしない、食事は溢すし、段差は躓くし、転ければ顔面から激突。何をするにも散々な様子で表情も虚ろになっていた。
原因はわかりきっていた。碧が推してるアイドルグループ、Sugarのメンバーであるエレナが何者かに襲われて、現在も入院している事。ニュースでは詳細な情報は得られず、ネットでは憶測が飛び交っていた。
そんな状態だから喫茶店は貴重な人員を欠いた状況で、私も厨房に廻される事が増えていた。モーニングでもランチでも相変わらず盛況なのは嬉しい事ではあるけど…
「碧…大丈夫かな。いい加減病院とか連れてった方がいいんじゃ…」
フリフリの衣装に身を包んだ珠美が店内の清掃をしながら呟く。
「流石にそこまではできないわよ。そもそもお医者さんに何て言えばいいのよ?」
美雲はいつも通りカップを磨きながら話していた。
「一緒に暮らしてるけど、あそこまでハマってるってわからないものなのね…」
「瑠璃でもわからなかったんだ?」
「そういう詮索はしないわよ。バカなAIとは違うんだから。」
「私たちもそうよ。もういい歳だし、一々身内の趣味にとやかく言ったりしないわ。」
「けど、その結果がコレじゃなぁ…」
「デートは尾行したのにね。」
「貴女たち、やっぱり行ってたのね…」
美雲も珠美も碧がここまでSugarに入れ込んでいた事を知らなかったらしい。
──怒涛のランチタイムが終わり、客足が落ち着いた頃。
「お疲れ様。」
「まだ終わりじゃないけどね。」
「それにしても…やっぱ瑠璃って凄いわね。」
「レシピ通りなら何も問題無いわ。」
「珠美はそれができないのよ。」
「だってぇ…ちゃんと測ったりするの苦手なんだもん。」
「だもんじゃないわよ。だもんじゃ。」
「うぇー…」
「よぉ!やってるか?」
「加賀さん!いらっしゃい。」
「いらっしゃいませ~」
「また来たの?」
「…相変わらず辛辣なアンドロイドだな?」
「ごめんなさい加賀さん、瑠璃も謝って。」
「悪いわね。」
「…まぁいいけどな、コーヒー…とサンドイッチくれるか?」
「かしこまりました。」
珠美から伝票を受け取った私はそのまま厨房へ…ひとり居ないだけでワンテンポ遅くなる。
「瑠璃が調理してるのか…」
「心配?」
「まぁ、さっきの態度を考えたらな…」
「それでもちゃんと作ってくれると思うわよ?」
「だといいんだが。」
失礼な会話が聞こえる。まぁ、私が悪いんだろうけど、正体がバレた今となっては加賀の来店は私の監視が目的だとしか思えない。
とは云えサンドイッチに何かアレンジを加えて排除しようなんて愚かな行為は考えていない。喫茶店は私にとって大切な場所だ。壊したくない。
「…お待たせしました。」
レシピ通りのサンドイッチをカウンターに置いて私は厨房に籠った。あくまでも店の効率を考えての選択だ。
「ねぇ加賀さん。Sugarの事件ってどうなってます?」
「ちょっと!?珠美…!」
「急にどうしたんだ?」
「碧がさぁ…Sugarのファンでさ。ショックで寝込んじゃって。」
「ん~…俺の管轄じゃないからわからんな。」
「管轄でも話せないでしょうに…」
「そうでも無いぞ?記者にベラベラ喋る奴とか居るしな。」
「それってアリなの?」
「個人的にはアリだな。わざと情報流して犯人側を揺さぶったりできるしな。」
「ダメですよ。」
「うわぁ!?朔夜!?」
「さぁ、帰りますよ。」
…ざまぁ。
──閉店間際。道路から店内へ夕陽が射し込む時間。碧が下りてきた。
「…大丈夫?」
「うん…ごめんね。お姉ちゃん、珠ちゃん、瑠璃……」
「気にしない気にしない!そういう時もあるよ!」
「そうよ。ちゃんと休んでて心の整理をするのだって大事なんだから。」
「うん…ありがとう。」
「碧、まずは湯船に浸かって身体を温めるといいわ。手伝うから。」
常連達がざわついた気がしたけど、私は半ば強引に碧を奥へ連れて行った。
「瑠璃…そんな、自分でできるから…!」
「ダメよ。貴女が抱え込むタイプなのは今回で判明してるんだから。大人しく私に心の洗濯されなさい。」
「うぅ…」
そういえば比奈子が徹夜でボロボロになってた時に似たような事をした気がする。分離した今でも看護師的な精神が私の中に残っているのかもしれないわね…
シャワーの温度を気持ち高めにして、碧の背中に当てる。
「大丈夫?」
「うん…丁度いいかも。」
碧の身体を洗い、湯船に浸かる頃には普段の調子を取り戻しているようだった。
「瑠璃も入りなよ。」
「肩まで浸かったら流石に冷却が間に合わなくなるわ。」
「そ、そっか…!」
「調子はどう?」
「少し、落ち着いたかも。」
「よかったわ。」
「ねぇ、瑠璃。」
「なに?」
「エレナを襲った犯人、何とかできないかな…?」
「警察に任せるのが賢明だと思うわよ?」
「そうなんだけど…」
「…わかったわ。可能な限りは調べてみる。」
「ホント…!?」
「けど、個人的に調べるだけだから満足のいく結果にはならないと思うわよ?」
「それでも、何かしてほしい…」
これで碧が落ち着くなら安いものだと思った。
それに、この事件について気になる点があった。襲われた理由だ。
ニュースでは、"帰宅途中の近隣住人が自宅側の公園で倒れている所を発見した"と報道していた。なぜ彼女だったのか?話題のアイドルだから?二世タレントだから?それとも彼女の歯に衣着せぬ言動が原因?どれも逆恨みに遭いそうな要因ではあるけど、どれもが"そこまでやるのか?"と思えるような…つまり決定打に欠けているように感じられた。あの稲田朱莉の一件と同じ空気を感じる。
「とにかく、後は私に任せて貴女は美雲と珠美に笑顔を見せてきなさい。」
「うん…笑顔になれるかはわからないけど、瑠璃を信じて心配させないようにする…!」
「それでいいわ。良い子ね。」
「えへへ……って、子供じゃないんだけど…!?」
「大人なら自分が大切だと思う人たちにちゃんと弱い部分を見せなさい?貴女が想っているように、周りも貴女を大切に想っているんだから。」
「うん…ありがと。」
碧は頼りない笑顔を見せた。せめてもの、と云った風なのかもしれない。私の事も大切に想ってくれてる…そういう事なんだろう。
──碧の身支度を整えて喫茶店に向かうと、既に閉店時間を過ぎていたにも関わらず常連達が居た。
「ほら、みんな碧を心配して残ってくれていたみたいよ?」
常連達は口々に碧を励ます言葉を掛けていた。
「皆さん……!ありがとうございますっ!」
美雲も珠美も安心してるようでよかった。
「瑠璃、ありがとう。碧の事…」
「あの子には笑っていてほしいと思っただけよ。美雲もそう思ってるでしょ?」
「そうね…大切な妹だもの。」
「私は貴女たち三姉妹に救われている。少しでも恩返しできてよかったわ。」
「恩返し…益々人間くさくなったんじゃない?」
「そうかもしれない。私自身、自分が何なのかよくわからないけど、この込み上げてくる何かは大切だと思ってる。」
気付くと常連達が缶ビールを開けて飲み会を始めていた。珠美も碧も楽しそうにしているのを、私と美雲が見ている。
「美雲も行ったら?」
「…そうね!そうする!」
Angelってアルコールはいけるのかしら…?確か力也はコーヒー飲んでたけど…まぁ、いっか。
私は厨房を片付けてから飲み会に混ざった。
──翌日。
「う~…頭痛い。」
「三人共、珍しく羽目を外したものね?」
「今日は喫茶店も便利屋も休みね…」
「…そう。じゃあ私は少し出掛けてもいい?」
「いいけど…あ、二日酔いに効くの買ってきてぇ…」
「わかった。」
私は行動を開始した。碧との約束を果たす…!
私は近所にある大学へやって来た。ビビの通っている大学…そこで一騒動起こすのは気が引けるけど、学生達には囮になってもらおうと思う。
大学の図書室にはPCが備え付けられている。そこから警視庁のサーバーにアクセスし、エレナの入院先を調べる。
「ここは…」
警察病院に運ばれたものと思っていたけど、どうやら違ったらしい。そこは、私にとっては馴染みの場所だった。
「三多摩メディカルセンター…」
私は大学を後にした。
私が知りたいのはエレナの容態だった。怪我の具合から犯人の憎悪や悪意を推測し、そこから次の行動を決める。さっき図書室でついでに心理学などの知識も仕入れておいた。と言うのも、朱莉の事件にウロボロスが関わっていたように、同じグループであるエレナの事件にもウロボロスが関わっている可能性があると思った。
調べる中で不自然な何かがあれば、それは第三者が介在した可能性と言えるからだ。
あまり目立った行動をすれば加賀達に見付かるし、中々に面倒な事をしていると思った。
──三多摩メディカルセンター。勝手知ったる元職場のセキュリティは2年前の事件を経て強化されていた。見たところ常駐している警備員の数も以前の倍近くになっているし、玄関口にはアンドロイドを見分ける為の探知ゲートが設置されていた。
「流石にAngelでもバレるかしらね…」
裏口にも警備員が居る辺り、正攻法での侵入は無理そうだった。後の可能性は…
私は一旦、二日酔いに効く飲み物を幾つか買って喫茶店へ戻り、準備を整えた。
夜。私は珠美の私物や便利屋の備品から動きやすい装備を整えて病院へ向かった。非常階段のゲートを飛び越えて屋上まで上っていく。
私はまた、あの頃と同じような事をしていた。
屋上の鍵を弄って潜入した。電子ロックなんてAngelからすれば無いようなものだ。
看護師の巡回はどうにでもなるとして、ひとつだけ問題があった。
「さて…どうしようかしら。」
エレナの病室の前には制服姿の警察官が立っていた。




