橘美雲の喫茶店 その3
──8月。煌々(こうこう)と照る太陽の威光をビルの群れと漆黒のアスファルトが反射させ街行く人々を干上がらせる…そんな殺人的酷暑に見舞われる地獄のような都市"三多摩"。
そんな過酷な地にある私の喫茶店は都会のオアシスだと自負している。
「ありがとうございましたー」
「いらっしゃいませー」
「ご注文の碧スペシャルでーす!」
今日も店内は沢山の声で溢れていた。
そんなある日の昼下がり。客足が落ち着いたタイミングでビビちゃんが私に相談してきた。
「義足の調子が悪い?」
「はい。あたしの義足、ちょっと特殊な奴で…」
「…見せてくれる?」
「どうぞ。」
渡された義足は、私にとっては親の顔以上に見慣れたものだった。
「これ…ELLY?」
「そうなんですよ!ひなちゃ…比奈子先生が作ってくれて。」
「比奈子って…あの岩木比奈子?」
「え?そうですけど…?」
じゃあ、この子はあの事件の…
「そうだったのね。あぁ、大丈夫。これなら私でもどうにかできそう。」
「ホントですか!?」
「これでも元野座間重工の社員だからね。」
まさか、こんな所で役立つなんて…
所属はソフトウェア部門だった私だけど、ソフトはハードあってのものだから、自社ハードであるELLYに関してはほぼ頭に入っていた。
「ここのネジを締めすぎた事が原因みたいね。遊びが無くなって関節の具合が悪くなってるわ。」
それにしても、この義足は凄い。所謂改造品であるはずなのに、ELLYの仕組みを理解している人物ならば誰でもメンテナンスとパーツ交換ができるように簡単な作りになっている。岩木比奈子とは面識がある訳では無いけど、この義足が使う側に立って設計された事はわかった。
「こうやって…これでよし。ビビちゃん、装着してみて?」
慣れた手付きで義足を嵌めた彼女は嬉しそうな表情を浮かべた。
「大丈夫そう?」
「はいっ!ありがとうございますっ!美雲さんっ!」
「今日はもう上がって大丈夫よ。大事を取って。」
「じゃあ、そうしますね。」
ビビちゃんと入れ違いで瑠璃が来た。
「お疲れ様です。ビビさん。」
「うん!瑠璃も頑張って!」
「ありがとうございます。」
「はぁ…中々大変だわ。」
「ELLYの振り?」
「えぇ、やり過ぎても怪しまれるだろうし、かと言ってやらない訳にもいかないし…」
「Angelって不思議ね。本当に人間と話してるみたい。」
本当に、これを檜山さんが作ったのかと思うと改めてあの人は天才だったのだと実感する。
私が野座間重工に勤めていた頃、社内では既に檜山絵理の名を知らぬ社員は居なかった。政府の開発プロジェクトに深く食い込んでいた野座間にとって彼女の革新的かつ核心的な開発センスは最も重要とされていたから、彼女の開発プロジェクトは非常に待遇が良かった。私なんかは日頃の鬱憤を趣味で開発した手品プログラムをELLYに仕込んで上司にドッキリを仕掛ける事で発散していたけど、プロジェクトチームの中では彼女や上層部に対して不平不満や愚痴を溢す事は珍しくなかった。
それだけの人物だっただけに、私は彼女の死に納得ができなかった。研究室での拳銃自殺…上層部は黙殺でもしているかのように何もかも不明瞭なまま早期決着された。
前々から会社に不信感があった私にとっては、それが決定打となって仕事を辞めた。
──店長?おーい、美雲さん?」
気が付くと瑠璃が私の顔を覗き込んでいた。
「あぁ、ごめんなさい。少し考え事をしていて…」
「そう…ならいいけど。美雲ブレンドひとつよ。」
「了解。」
カランコロンカラン…
「いらっしゃいませ~…」
ブレンドを作りながら横目で入口を見る。見覚えのある女性。カウンター席に座った彼女は私に声を掛けてきた。
「久しぶり。美雲。」
「『千翠』…!?久しぶりじゃない!元気そうね?」
「そっちこそ、元気そうで何よりだわ。」
千翠は私が野座間で働いていた時の同僚で、私が会社を辞める時に親身になって話を聞いてくれた。
「驚いたよ。偶々(たまたま)見た雑誌に載ってんだもん。」
「それで平日にわざわざ?」
「まぁこっちの方でやる事もあってね。だから丁度良かったわ♡」
千翠は瑠璃が持ってきた水を飲みながらメニューを眺めた。
「おすすめは?」
「美雲ブレンド。」
「じゃあ、エスプレッソで。」
「はいはい。」
知ってた。彼女が他人の勧めに従う訳が無い。同僚だった時も幾度となく衝突した。
「あ、シュガーラスクもほしい。」
「畏まりました~」
エスプレッソを抽出しながら、バケットをスライスする。フライパンにバターをたっぷり…ここでケチケチすると失敗する。表面がカリッカリになるまで弱火で両面じっくりと焼いていく。焼き上がったらトレイに移して犯罪的な量のグラニュー糖を振り掛ける。余熱で軽く溶けたグラニュー糖がバケットに馴染んだら完成。
「お待たせしました。シュガーラスクです。」
バターの香りに釣られたのか、数人から同じ注文が入る。奥の厨房で碧が忙しなくしているのが視界に入った。ビビちゃんを帰したのは失敗だったかもしれない。
「ん~♪美味しい♡」
ラスクを頬張る千翠の表情は本当に幸せそうだった。彼女は昔から感情が顔に出やすいタイプで、上司の小言なんかには露骨に不快感を示したりしていたっけ…
「ふふっ…よかった。」
「何よ。ニヤニヤして。」
「お客様が満足そうだから嬉しいのよ。」
「美雲…少し変わった?」
「そう?」
「まぁ、職場が変われば変わるか。」
「何よ。自己完結して。」
「私も転職しよっかなぁ…」
「またベタな事を…」
「なんかね、いい企業に入ってさぁ…勝ち組?みたいな風になるじゃない?」
「まぁそうね。」
「けど私がなりたかった"一番"ってこういうのだったかなぁ…ってさ。」
「最近思っちゃう感じ?」
「そ。」
「けど転職したからって何か変わるものでも無いんじゃない?」
「そうなんだよねぇ~…なんて言うか、やりたい事?無いなぁ…って。」
「結局、根本的な悩みって学生の頃から変わらないのよ。」
「学生かぁ~…そう考えるとここまでずっと無理して決めてたなぁ…」
「そうなの?」
「受験でも何でも、"勝たなきゃいけない"って空気になるじゃない?同級生だったり、同期だったり、競合相手だったり…けど人生って本当は自分との戦いじゃない?自分を越えていくっていうか…」
「そうね。だから私は喫茶店をやってるのよ。」
私は千翠に美雲ブレンドを出した。
「呑んでみて?」
「うん。」
千翠がカップに口をつける。私の、最高の一杯に。
「……美味しい。」
「良かった。」
「これが美雲の"自分を越えたもの"って訳ね?」
「そうね。喫茶店始めてから、私は常に過去の自分を乗り越えてる気がするのよ。」
「そういう意味では転職って意味あるわね?」
「ふふっ…そうね。」
固い空気が少しずつ柔らかくなっていく。
──シュガーラスクを食べきった千翠は再びメニューを見ていた。
「何か本格的にお腹減ってきた。」
「普通逆じゃない?あれだけ糖分取ったのに。」
「ホントにね。…あ、ナポリタン食べたい。」
「畏まりました。」
私は注文票を厨房へ送った。甘いものと苦いものはカウンターで作る。それ以外は厨房で作っている。
「はぁ~…彼氏ほしい。」
「あれ?別れたんだ?」
「とっくにね。30過ぎた辺りで。」
「あー…」
「美雲はその辺どうなの?」
「どうかな~?」
「え…居るの?」
「どうでしょ~?」
「私にだけ教えなさいよ。」
「今度ね。」
何人かの常連がこちらに聞き耳を立てていたけど、残念ながらメニューに書かれているもの以外で私がお客様に提供できるものは無い。
そうこうしている内にナポリタンが完成した。
「はい。ナポリタン。」
「ありがと。」
「…美味しい?」
「美味しい。」
「良かった。」
気付けば時計は15時を過ぎ、空席が目立つようになってきた。
「そろそろラストですか?」
「そうね。お願い。」
瑠璃が座席からメニューを回収していく。
「ん…?」
「どうしたの?」
「あれ、ELLY?」
「そうだけど…?」
「純正?」
「…調整はしてるわね。」
「やっぱりか、変だと思った。」
「わかっちゃう?」
「多少ね。違和感って云うかさ。わざとゴテゴテさせてない?」
「…重心下げて安定化してるのよ。」
「…なるほど?」
「他にも"やってる"けどね」
「やりすぎないでよ?公式サポート外れると面倒なんだから。」
「そうね…ありがと。」
…ふぅ。セーフ、かな?
「さてと。そろそろ行こうかな。」
「どうだった?」
「満足!また来るよ。」
「ありがとうございます。」
「んじゃね~」
空気を変えたい時に恋バナし始めるのは変わらないな。私が辞めようと考えていた頃、彼女も野座間の方針に疑問を抱いていたから、転職したいのは本当だろうなぁ。
「看板、しまったわよ。」
「ありがと。今日もお疲れ様。」
「まだまだ余裕よ。」
「そうは言っても、喫茶店と便利屋で休まず働いてるでしょ?」
「それが可能なのがアンドロイドの強みよ。」
「まぁ、そうだけど…」
「けど確かに疲れたわね。自分で言うのも何だけど、自我があるからこそなのかしら?」
「人も心を殺して働けば疲れを感じなくなるもの。きっとそうよ。」
「それじゃあ、少しゆっくりできる時間を確保するわ。」
「…後は、同じ経営者として便利屋の代表にクレームでも入れようかしらね。働きすぎって。」
「そうね。それに、珠美は人間だもの。壊れたら代えが効かないわ。」
この後、事務所で書類に涎を垂らしていた珠美を発見したのは言うまでも無い。
簡単な登場人物の紹介
・野呂千翠…美雲の野座間重工時代の同僚。




