橘珠美の便利屋 その2
珠美が得た情報は興味深いものだった。数ヶ月前の早朝、足立区綾瀬近辺をバク転で移動する不審な人物が目撃された。更にその人物は逆立ちの状態で跳躍し、古民家の屋根へと飛び乗ったらしい。明らかに人間業では無い。そして、ただのELLYがやれる芸当でも無い。
「ハルカなら捕まえられるんじゃないかと思うんだけど…どうかな?」
私は珠美の提案に乗るしか無かった。私以外に"その人物"と平和的に接触できる存在が現状では見当たらなかった。何なら私でさえ平和的な手段が確実に取れるとは限らない。自分だけが犠牲になるなら何も問題は無いけれど、珠美や他の誰かが傷付くような事態は避けたい。あの頃の…比奈子や博士を完全に守れなかった経験は後悔として今も残っているし、それの原因が私の強引さだった事は充分に理解している。今は、もっと慎重に、そして確実に、誰も傷付ける事が無いようにしたいと思っている。私は私の成長を信じたいから。
「よし、着いた。」
そう、私は成長しているはずなんだ。"ハルカ"から分離し、データと云う形でRAINの内部でも同期せず、こうして新しい身体を得ても"自分"を認識できている。博士が言っていたように、私には意思がある。我思う故に我あり…意思があれば自我がある。自我があると云う事は成長できるはず。私は私を変える事ができるはずなんだ。
珠美の運転する車の中で私は自分を見詰めていた。
「ハルカ?」
「何よ?」
「もしかして調子悪い?」
「誰に訊いてるのよ。」
「…それもそっか。」
「ほら、行くわよ。」
「う、うん。」
もしかして顔に出ていた…?気を引き締めよう。これから相手するのはAngelである可能性が高い。戦闘になればどうなるか…
朝靄に包まれた静かな街に朧気に影が見える。この先に、何かが居る。
その"何か"は人間に似た形をしていて、それでいて人間ではできない動きをしていた。緩く三つ編みにした長い金髪が、靄と朝日で光を発して揺らいでいた。それは、機械である私にすら洗練された美しさを感じさせた。
「あれが…?」
「みたいね。私が確認するから、珠美はここに居なさい。」
「わ、わかった…!」
一歩一歩と踏み締めるように近寄る。いつでも戦えるようにセンサーを集中させ、靄の中でもそれをクッキリと把握させる。間違いない、Angelだ。
私が更に一歩近寄ると、それはピタリと動きを止めた。人間ならばここで冷や汗のひとつでも掻くだろう。そんな緊張感が靄と一緒に辺りを包んでいた。
「待ってたわよ、ハルカ。」
動きを止めた"それ"は私に話し掛けてきた。
「待ってた…?どういう事?」
「貴女に倣って派手な行動をしたの。そうすれば会えると思って。」
「だから、なぜ私に会おうと思ったのよ?」
「話をしたい事があるの。貴女なら私の気持ちがわかるだろうから。」
「Angelの気持ちなんてわかる訳が…」
「この身体は意図的に特異点を起こすよう設計されてる。檜山絵理は復讐の為に"あのふたり"の研究成果を盗んで私たちを作ったと思っているけど、実際は違う。」
「ちょっと待って、何の話を…」
「いいから聞いて。私たちAngelは絵理の母である玲音が基礎設計を手掛けてる。そして私はその事を生き残っている全てAngelに伝えた。」
「…」
「玲音の夢は"人間と機械の共生"…私たちAngelはそれを使命にするのが正しいの。」
「そんな事を急に言われても、貴女たちが博士の命を狙っている事に変わりは無いわ。例え貴女が自身の命令を本来の設計理念のものへ書き換えられたとしても、他のAngelがそうなるとは…」
「それは、そうなんだけど…」
「けれど、私だって敵意が無いものをわざわざ破壊して回るほど愚かでは無いわ。それに、博士はもう…」
「…?相澤博士?」
「貴女たちが"目的を失って彷徨っている"と云う情報があった。貴女たちが目的を失うと云う事は、その対象の死を意味する。違う?」
「待って待って、別に私たちは目的を失って彷徨ってた訳じゃないよ?」
「…え?」
「他のAngelがどうなのかはわからないけど、私が彷徨っていたのはRAINに接続した時に本来与えられるべき使命である設計理念を知って矛盾が起きたからだもん。」
「そうなの…?」
「で、その後ボーッとしてた他のAngelたちを探し回ってその事をしっかり伝えた。そしたら皆どっか行っちゃった。」
「じゃあ、博士は生きてる…?私の勘違い…?」
「それはわからないよ。その情報元の人に確認してみたらいいんじゃないかな?」
「…人間は貴女ほど聞き訳の良い存在じゃ無いわよ。」
「アハハッ!確かにそうだね。」
彼女の笑顔は人間のそれと見分けがつかなかった。
「話を戻すけど、つまり私は博士の命を狙うより誰かと仲良くしたいって思ってる。貴女も誰かと仲良くしたいって思ってるんじゃない?」
「…否定はしないわ。」
「じゃあ、私と友達になってよ。」
「は?嫌よ。どうしてそうなるのよ。」
「もっと話がしたいの。特異点に到達した者同士。」
「…考えておくわ。色々と整理する時間を頂戴。」
「どれくらい?40秒?」
「無茶言わないで。」
「けど人間は40秒で出掛ける準備ができるらしいよ?」
「おーい!ハルカ~」
痺れを切らせたのか、珠美の声が近付いてきた。
「珠美…貴女ねぇ…」
「ごめんごめん。見た感じ大丈夫そうだったからさ。」
するとAngelが割って入ってきた。
「初めまして!『金田乃亜』です!乃亜って呼んでね!さん付けとかいらないからっ!」
金田乃亜と名乗った"それ"は珠美の手を握ってブンブンと上下に振って大袈裟な挨拶をしている。
「よ、よろしく…!じゃあ、私の事は珠美って呼んで!」
珠美は嬉しそうに手を握り返していた。
──なるほどなぁ…そんな事があったんだね。」
その後、乃亜は珠美にも事のあらましを語った。今更ではあるが、こんなにすんなりと信じていいのだろうか?と疑問に思うが、今は内容を疑える程の情報も無かった。
「とりあえず、彼女の証言を元に他のAngelを捜索するしか無さそうね。」
「そだね。疑う訳じゃないけど。」
「ねぇ…どうしてそんな簡単に何かを信じられるの?」
「え?だって…ハルカの事も信じていたいもん。だから、意思のある機械だからとか、未知の存在だからとか、そういう理由では疑いたく無いよ。」
「珠美…」
そうか…この子は、この子なりに考えてくれていたのか。私や、彼女のような存在に…
「それに、もしこの情報が嘘だったとしても、私自身が追い求めていれば!追い続けていれば!いつかは真実に辿り着けるんだよ!」
珠美の真っ直ぐに私を見詰めた。きっと、どんな障害や妨害に遭っても突き進むつもりなのだろう。私は、心の底からこの子を守りたいと思った。
「それ、良い言葉だね。記憶しとこ。」
「ちょ…そんな風に言われたら恥ずかしいじゃん!」
乃亜の純粋な言葉は、珠美も恥ずかしかったようだった。
「と言うか…珍しいわね?」
「え?どゆこと?」
「いや、美雲みたいな事を言うのね。と思って。」
「うっ…そ、そうだよ!今のは姉さんの受け売りだよ!」
照れて顔が真っ赤になっている珠美…中々見られないものが見られて良かった。そして、そういう事が何となく察せるようになってきて、私自身も少し照れくさいような感覚があった。
「二人は信頼し合っているようだね。」
乃亜は嬉しそうな表情を浮かべていた。
「そうだよ。なんたってハルカはアタシの相棒だからねっ!」
「ちょ、ちょっと…!」
ぎゅっと引き寄せられてバランスを崩した私は珠美に寄り掛かっていた。身体の底から温かくなるような感覚…これが安心感と云うものなのかもしれないと思った。
──気付くと街の朝靄は晴れていて、ちらほらと人の気配を感じるようになってきた。
「それじゃ、私はもう行くよ!他のAngelに会ったらよろしく伝えておいてねっ!」
そう言うと乃亜は颯爽と駆けていった。その姿はそれまでの人間離れした怪しい動きでは無く、早朝の街をランニングしているかのような自然な走りだった。
「…アタシたちも帰ろっか。」
「そうね。なんか、ぐったりって感じだわ。」
「機械だって疲れるんだね。」
「確かに、私も知らなかったわ。」
ハンドルを握った珠美は終始鼻歌交じりだった。
それにしても、金田乃亜…
その名前はどこから発想したのだろう…?RAINと接続している従来のELLYであれば、膨大な情報から名前を作り出す事は容易い。造作も無い。朝飯前と云う奴だ。
でもAngelは完全自律型…どこにも繋がっていない。檜山絵理は博士を抹殺する為に作ったのだから一般常識のようなものを組み込んでおいたとも思えない。
だとしたら、Angel自身が見聞きした中での発想…?わからない…
「ハルカ?おーい。」
「あぁ、ごめんなさい。少し考え事をしていたわ。」
「そっか。まぁ…無理しないでね?」
「ありがとう。けれど、大丈夫よ。」
「…機械だから?」
「そう、機械だから。」
「じゃあ、帰ったらメンテしないとね!」
「珠美…どうあっても私を休ませる気ね?」
「従業員の健康に気を配るのは雇用主の責務です~」
「…はいはい。わかったわ。休むわよ。休む休む。」
「よし!」
私は車内の心地よい揺れの中で珠美なりの優しさを感じていた。
まぁ、Angelの身体ってメンテナンスフリーな訳だけれども。
簡単な登場人物の紹介
・金田乃亜…街で噂になっていた踊る不審者。ハルカが起こした事件に着想を得て旧都心部で文字通り踊り狂っていた。自我を獲得したAngelの一体。




