橘美雲の喫茶店 その2
あの日から珠美は喫茶店の手伝いができなくなっていた。"Angelを捜索する"と云う手掛かりゼロの依頼を引き受けてしまったからだ。加賀がなぜ珠美に…場末の便利屋に捜索を依頼したのかはわからないが身を隠している私としては迷惑な話だった。
「このままハルカと呼んでいて大丈夫なのかしらね…?」
美雲に心配をされるくらいには影響が出ていた。
「…大丈夫よ。ハルカなんて、ありふれた名前だし。」
わかってはいるものの、比奈子が初めてくれたものだから切り捨てられなかった。私も随分と人間くさくなったと思う。
──今日は週末。駅前は朝から人通りが多く、喫茶店も混む予感がしていた。
「おはようございまーす!」
ビビが元気よく入ってきた。今日は彼女のバイト初日だ。
「おはよう。ビビちゃん。」
「おはようございます!」
美雲と碧が挨拶を返す。後藤ビビのコミュニケーション能力は高い。
「ハルカも挨拶して。」
「ビビ、おはよう。今日から一緒に頑張りましょう。」
本当は真っ当な挨拶をしたいと思いつつ、一般的なELLYの受け答えとして100点の対応をする。秘密と云うのは、いつどこで誰から漏れるかわからないから。
──挨拶を終え、ビビは碧に連れられて制服に着替えた。
「あの、美雲さん…ホントにこれで接客するんですか?」
クリーニング済みのメイド服に身を包んだビビの胸元には"バイト(研修中)"の名札がついていた。
「大丈夫大丈夫!似合ってるわよ。」
多分そういう事を言っている訳じゃないだろうけれど、店長のお墨付きを貰ってしまったビビに他の選択肢は無かった。
「大丈夫だよビビちゃん!今日はもう1人メイドが居るからね!」
「え?」
──10時過ぎ、モーニングメニューを求めて喫茶店へやってきた客たちは色めき立っていた。
「「お帰りなさいませ~!ご主人様~!」」
今日の"橘"は碧の提案でメイド喫茶と化していた。初々しい新人ギャルメイドと…メカメイドだ。
「美雲さん、バイト雇ったんだ?てか今日はメイド喫茶かい?」
常連客たちが楽しそうにしているので安心した。よく考えれば、決して正統派な喫茶店では無い"橘"に通う客たちがメイド喫茶になった程度で戸惑う訳が無かった。
「客の注文はここに表示される。それは美雲と碧が作る。できたメニューはここに置かれて、私たちが運ぶ。伝票に番号が書いてある。運んだ帰りに客が居なくなったテーブルをクリーニングする。これが一連の流れ。」
「な、なるほど…」
「マニュアルは無いけど、言葉遣いは丁寧にする事。」
「わ、わかった!」
「"わかりました"よ。急には出来ないわよ?」
「わかりました!」
説明を終えてから、自分がELLYの振りを忘れてる事に気付いた。普段から慣らさないといつかボロが出そう。
急には出来ない…自分の言葉が刺さった。
──ランチタイムが近づくと、客足は一層増して私たちは厨房とホールを忙しなく行き来する。接客する側からすれば、それは戦場と云えるものだった。
「バイトの子、可愛いよな。」
「後で声掛けてみる?」
客からそんな声が聞こえてきた。普段ならナンパの類いが起きる前に私が嗜めている所だけれど、今はそんな暇も無いくらいには忙しかった。食器を厨房へ下げてホール側へ戻ると、ビビがナンパ男たちに呼び止められていた。
「ねぇキミ!バイトいつ終わるの?」
「連絡先交換しようよ。ね!」
私も美雲も見える範囲に居ながら、忙しさで助けに行けない。
「ごめんなさい!付き合ってる人が居るので…!」
ビビはそう言ってさっさと厨房に避難してきた。
こうなると私の出番だ。配膳した帰りにナンパ男たちの座席で止まる。
「店員への私的な誘いはご遠慮いただけますか?」
淡々とした機械的なアナウンスは割と効果があるのか、ナンパ男たちは大人しくなってくれた。美雲の方を見ると安心した表情を見せていた。
戦場はまだ終わらない。
「これ、頼んだ奴と違うんだけど…?」
「す、すみませんっ!」
ナンパされた影響か、初日からの激務のせいか、それまで順調だったビビが配膳を間違えてしまったようだ。透かさず美雲が座席へ向かい、頭を下げる。
「申し訳ございません。すぐお持ちします。」
「すみませんでしたっ!」
ビビも続いて頭を下げた。迅速な対応は客を落ち着かせ、大事には到らなかった。
「ビビはテーブルの清掃をしてください。後の配膳は私に任せて。」
今の私はウェイトレス。偽装しているとは云え、Angelの性能を発揮すればこの程度は幾つかのセンサーを切っていてもできる。
気付けば14時を過ぎ、ランチタイムは落ち着きを見せていた。
「ただいまー」
裏口から珠美の声がした。私が心配する事でも無いけれど、便利屋の依頼はどうなったのだろう…?
しばらくするとエプロン姿に着替えた珠美がホールに入ってきた。
「なん…だと。」
珠美はホールに入るなり固まっていた。視線の先にはメイド姿のビビがあった。珠美と同じく凛とした立ち振舞いをしつつ、クラシカルなスカートを靡かせている。それは珠美がやろうとして出来なかった風を感じさせる"正解"の動きだった。
「ま、負けた…圧倒的敗北感…」
「珠美、ホールで膝つかないでくれる?」
「」
美雲の正論に打ち拉がれる珠美。ライフはゼロだった。
「うわぁーーーん!」
わざとらしい泣き声を上げて珠美は去っていった。
「な、なんだったんだ…?」
これには常連客も困惑していたが、ナンパ男のせいで張り詰め掛けた場の空気は珠美によって和やかになっていた。
──夕方。ナンパ男たちも現れていたので美雲は早めに店を閉めた。
店の控えではエプロン姿のまま椅子に座って朽ち掛けている珠美と着替え中の碧が居た。
「珠ちゃん、元気出して?」
「ありがと…碧。」
「"若くて美人でスポーツ万能なビビちゃん"と"格闘一筋脳筋珠ちゃん"とじゃ月とスッポンって事だよ。」
「月と…?なぁに、それぇ?」
「わからないならいいんだよー」
碧が珠美の頭を撫でている。前々から思っていたけれど、碧は珠美にだけ当たりが強い気がする。
「…ってか、脳筋って事は褒めてないよねぇ…?」
「あれ?わかっちゃった?」
「みぃどぉりぃ~…」
珠美への言葉のボディブローが終わった頃、美雲とビビが入ってきた。
「碧、その辺にしてあげなさい?」
「はーい。」
「姉さん…今日はごめんね。」
「ホールに出るならお客様の前に立ってる事を自覚なさい。いいわね?」
「うん…」
美雲は喫茶店の店長として珠美に注意していた。機械である私よりも物事を冷静に処理している気がする。
「あ、あのっ!珠美さん…!」
「ふぇ?」
「私、明日もバイトなのでっ!その時は一緒に働きましょうねっ!」
ビビのキラキラとした眩しい視線に晒される珠美は今にも消えて無くなりそうだった。
「あ、あぁ…そ、そだね。明日、明日…」
メイド姿で負け、姉妹に揃って釘を刺され、仕事に対する熱意で負け…散々だった。
便利屋の話題ならば多少はメンタルを回復できるかもしれない。
私はみんなが着替え終わって店の控えから出て行ったのを見計らって珠美に声を掛けた。
「便利屋の方はどうだったの?」
すると珠美は一言だけ呟いた。
「後で話すね…」
Angelの捜索は私自身もやっておきたい事のひとつ。始めは絶対に破壊すべき対象だったけれど、今は表舞台へ出て来なければいいと思っている。私同様に"Angelとして"活動しなければ…それで…
"後で"と言いつつ、珠美と話せないまま翌日を迎えた。
「さぁ!メイドやるぞーっ!」
珠美は寝たらリセットされるタイプの人間でなので、太陽と共に快活で溌剌な姿を見せていた。
「よく眠れたみたいね?」
「へへっ!碧がココア作ってくれたんだよね~」
子供か!とツッコミそうになったけれど、それでちゃんと眠れたのならよかったと思い、グッと踏み止まった。
「珠美ってココア好きだったっけ?」
「う~ん…その、自衛隊辞めてから甘いものが止まらなくて~…あはは。」
「…太るわよ?」
「その分めちゃくちゃ動いてるってば!」
確かに珠美の身体は引き締まっている。均整の取れた完璧と云っていいバランスをしている。こうして見ていると私の…Angelの身体が如何に人間を模しているものかを実感する。全てを片付けたら檜山絵理が目指していたものを探ってもいいかもしれない。
「珠美、今日も頑張るわよ。」
「もちろん!」
「おはよ~…」
碧が起きてきた。
「おはよう。また夜更かし?」
「うん~…ちょっとね~…」
「顔、洗ってきなよ。」
「はぁ~い…」
碧は朝が弱い。いつも以上にふわふわした雰囲気で、当然とでも言わんばかりにパジャマも乱れている。ただでさえ勘違いさせたりナンパされたりするのだから普段から気を付けてほしいと思う。碧の安全の為にも。
──案の定、今日の碧は接客中に声を掛けられていた。普段は主に料理を担当している彼女が表に出ているのだから前々から狙っていた男連中はそうなるだろう。珠美はメイド服のせいで掛かっているし、私はできるだけ"ただの接客型ELLY"として振る舞っているし、美雲に到っては止める気配すら無い。
「ありがとうございます~」
碧はナンパ客に対してニッコリ笑い掛けるとそのまま去っていった。
"今度遊びに行かない?"などに対する返答がお礼だけ…その先に言葉は何も無い。ブツンと切れた会話で暖簾に腕押しと云った様子でナンパしていた客たちも立ち去る碧に唖然とした雰囲気だった。
「美雲、今の会話…成立してないわよね?」
私は思わず会話の不備を美雲に問う形で反応を伺った。
「碧は昔から"ああ"なのよ。安易に踏み込まれると最速で会話が終わる…そしてその場から居なくなる。今回みたいにね。」
「おじさんも前に声掛けたら逃げられたなぁ…『大丈夫かい?』って言っただけだったんだけど…」
カウンターに座ってる常連の中年男が会話に加わる。
「あれはセクハラでしたよ?」
「そうなのかい!?」
「碧はそうなりそうだと感じたら"ああ"なりますから。」
「そんなつもり無かったんだけど、そうだったら悪い事したなぁ…」
「じゃあ、もう一杯飲みますよね?」
「美雲ちゃんは抜け目無いなぁw」
そう言いつつコーヒーをおかわりする常連客。この店にとって良い関係性ならば私が何かをする必要は無い。
それに、どちらかと云うと気になるのは碧の察知力だ。異様なまでに空気を先読みして素早く行動しているように見える。機械である私でもあそこまで敏感に察知はできないかもしれない。
私は機械として人間の可能性を感じた。




