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橘美雲の喫茶店 その1


──2097年、春。

(みどり)ー!そろそろ起きてー!」

喫茶店"(たちばな)"の朝は早い。

モーニングメニューを始めてから3週間、美雲(みくも)は朝が苦手な末の妹の碧を呼び起こしていた。

「お姉ちゃん…おはよ…」

パジャマ姿の碧が階段を降りてきた。

「まったく…いい加減自分で起きれるようになりなさいね?」

「はぁーい…」

碧は大きく欠伸(あくび)をしながら洗面所へ向かっていった。

入れ違いで妹の珠美(たまみ)がやってくる。

「じゃ、アタシ行ってくるね。」

「うん。気を付けて行きなさいよ?」

「わかってるって!行ってきますっ!」

始めの頃は近所のトラブルを解決したり、ペットの世話をする程度だった珠美の便利屋も、今では三多摩地域を飛び回っては人手の足りない農家の農作業を手伝ったり、引っ越し作業を手伝ったり、依頼があれば都心部へも顔を出している。

「珠美のサポートは任せてください。」

珠美の傍には少し年季の入ったELLYが居た。始めは喫茶店の店員用にと思っていたが、碧が本格的に手伝い始めたし、そもそもで云えば美雲が会社員時代から使っていたELLYだったので喫茶店より便利屋の方が向いていた。


喫茶店は相変わらず人気だった。10時過ぎに店を開けると、ELLYに配達をさせている運転手や散歩帰りの老人などがやってきて座席の半分が埋まるほど盛況だった。

12時になればと近所の会社や大学からランチ目当ての客がやってくる。その大半は一般的な客だが、美雲や碧を目当てに通っている客も少なからず居た。

「今日は珠美さん居ないんですか?」

「ごめんね。今日は便利屋なのよ。」

もちろん店には珠美のファンも来てくれていて、それは美雲が姉として嬉しくなる瞬間でもあった。

「お疲れ様。碧は休んでていいわよ。」

「お姉ちゃんこそ、先に休んでよ。」

忙しいランチ時が終わると、美雲も碧も一息つけるようになる。カウンターでサンドイッチ片手に来客を待つなんて事もある。


「あの…すみません。」

夕方、店を閉める寸前で一人の女子大生がやってきた。

「どうしました?」

「友達の紹介で…ここがバイト募集してるって聞いたんですけど。」

「あぁ…じゃあ、貴女が後藤さん?」

「はい。そうです。」

「いらっしゃい。とりあえず入って?」

「はい!」


「初めましてよね?私は橘美雲、喫茶店(ここ)のオーナーよ。よろしくね。」

「後藤ビビです。よろしくお願いしますっ!」

「そう緊張しないで。はい、コーヒー。よかったら飲んで?」

「ありがとうございます!いただきます。」

初めは緊張していたビビだったが、美雲の淹れたコーヒーを飲むと落ち着いたようだった。

「それじゃあ、面接を始めましょうか。」

「はいっ!」

美雲はビビが義足である事を気にしていたが、本人の人当たりの良さや爽やかで明るい性格、そして何より信頼できる知人からの紹介と云うのもあり、懸念(けねん)点は杞憂(きゆう)に終わった。


──夕方。

土日(つぎ)から来れそう?」

「はい!ぶっちゃけどっちも暇でして…」

「友達との時間も大切よ?社会人になってからだと遊べなくなるわ。」

「その、親友とは…学部が別なので、中々タイミングが…」

「なるほどねぇ…じゃあ、その友達には常連になってもらいましょうか。」

「フフッ…そうですね。」

ビビは挨拶を済ませると、モノレールの方へ歩いていった。


入れ違いで珠美が帰ってきた。

「ただいま。…今の子は?」

「おかえり。今度来るバイトの子よ。それより、便利屋の方はどうだったの?」

「うーん。まぁまぁって感じかな。」

「…ELLYに訊くわ。どうだったの?」

「2件目の掃除の依頼は未達成でした。」

「どういう事?」

「我々が着いた頃には既に片付けまで終わっていました。なのでキャンセル料をいただきました。」

「あぁ…そういう事ね。」

「だからまぁまぁって言ったじゃん。」

成否(せいひ)くらい言いなさいよ…」

成否(せいひ)って?」

「成功したか、しないか!」

「あぁ…そういう事ね。」

「まったく…」

美雲は頭を抱えた。幼い頃から珠美の大雑把さは美雲の心配の種だった。


──夜。

「お姉ちゃん。後は私がやっとくから先にお風呂入っちゃって。」

「ん?そう?ありがとう。じゃあ先に入るわね。」

ふわふわした見た目に反して碧はしっかり者で、美雲や珠美をよく支えていた。

「あれ?碧…何してんの?」

「今日の計算だよ。明日は手伝えないからやっておこうと思って。」

「ふぅん…」

「珠ちゃんこそ、明日早いんじゃないの?」

「雨降るらしいから休み。」

「そうなの?」

「さっき連絡きた。」

「じゃあ、明日は喫茶店?」

「かなぁ…?」

「なんか嬉しそうだね?」

「…メイド服着てもいいかな?」

「えー?珠ちゃんメイドは需要が無いと思うけどなー。」

「…碧ってさ。たまにグサッと刺すよね。」

「ん?何が?」

「いや、いい…うん。いいよ。今更だし。」

「えー?どういう事ー?」

「いいから帳簿やっちゃいな。」


──翌日。

朝方から降っていた雨はランチが終わる頃には小降りになっていた。

「ねぇ、姉さん…バイトの子、いつ来るの?」

「…土日かな。」

「じゃあアタシはしばらく会えないかなぁ。」

「…その内、会えるわよ。」

「まぁアタシも喫茶店(こっち)はバイトみたいなもんだし、仕方ないかぁ。」

珠美は似合わないスカートをフリフリさせていた。

「…ねぇ、珠美。」

「なぁに?」

「お尻振るならメイド服禁止にするわよ?」

「えっ嘘!?アタシ振ってた?」

「振ってた。」

「えー…マジか。」

「あと鏡の前ウロウロするのもダメよ?」

「はぁーい…」

「まぁ、今日はもう殆どお客さん来ないだろうから好きにしていいけどね。」

「ホント?やったぁ!お姉ちゃん好き♡」

「…あんたねぇ。」


カランコロンカラン…

店の扉が開き、二人組の客がやってきた。

「あら。後藤さん。いらっしゃい。」

「えへへ…来ちゃいましたっ!」

「好きなところ座って?」

「はい!」

「あっ、紹介するわね。あのメイド服がうちの珠美。」

美雲はメイド服を指差してビビに紹介した。

「後藤ビビです!よろしくお願いします!」

「橘珠美だよ。よろしく。なんて呼べばいい?」

「じゃあ…ビビで!」

「オッケー。ビビちゃんね。…っと、こちらメニューになりまーす。」

「ありがとうございます。」

「私も"後藤さん"じゃなくて下の名前で呼んだ方がいいかしら?」

「えっ!?呼んでくれるんですか!?是非是非!」

「わかったわ。それで、そっちの子は…前に言ってた子?」

「はい!親友のイヴです!」

「ちょっ、ビビ…」

「はい。これ、うちのメニューよ。モーニングは終わっちゃったけど、好きなの頼んでいいわよ。」

「あっ…はい。ありがとうございます。」


彼女には見覚えがある。

松本イヴ…"私"が以前、迷惑を掛けた子だ。あの頃は焦っていた事もあって、関わった人間(ひと)たちには多大な迷惑を掛けていた。そのせいもあって今は誰かに見付かる訳にいかない状況にある。接客は珠美がしているし、私は他のテーブルを片付けておこう。大丈夫。私はELLY。誰にもバレない。


ビビもイヴもコーヒーとサンドイッチを頼んだ。この店のサンドイッチは薄切りのハムとレタスにチーズ、隠し味としてマヨネーズに少しだけワサビを入れてアクセントをつけたものだ。奇を(てら)わずに味と洗練さで勝負するのは美雲なりの(こだわ)りだった。

勿論コーヒーにも拘りは詰まっていて、豆の種類からカップやスプーンに至るまで美雲のセンスが光っていた。

「んっ…美味しい。」

「ふふっ。よかったわ。」

物静かなイヴが思わず溢した言葉に美雲は満足そうな表情を浮かべた。ビビも満足そうな表情を浮かべていた。

「…なんでビビがドヤ顔なの?」

「ここでバイトするからねっ!」

「えっ…あれってホントだったんだ?」

「信じてなかったの!?」

ふたりの漫才のような軽快なやり取りは周囲も笑顔にしていた。


──それでね。姉さんったら…」

「ちょっと珠美!その話は…」

「ねぇビビ、時間…!」

「えっ?…あっ!大変!!すみません!私たち用事があって…!」

話が盛り上がりすぎて時間をすっかり忘れていたのか、ビビとイヴは急いで会計を済ませた。

「ご馳走さまでしたぁー!」


「…本当に忘れていたみたいね。」

「そうだね。…ってかさぁ、なんでハルカはずっと黙ってんの?」

私に話を振られた。

「ELLYだからよ。それに普通は話し掛けないわよね?あとハルカって呼ばないで。リスクは避けたいの。」

「ご、ごめん…」

珠美には恩を感じているけれど、あまり迂闊な事はしないでほしいわね…まぁ、元を(ただ)せばあの時名乗ってしまった私が迂闊だったのだけれど。

「ハルカはそのままでいいわよ。碧にだって秘密にしてるんだから。」

「え?そうなの?」

「そうよ。"あのボディ"を初めて見た時だって、貴女たちから話を聞かなければ会社に返していただろうし。」

美雲は野座間の社員だった。檜山絵理とは部門が違ったけれど、社内で起こった彼女の自殺に関しても疑問があったらしい。私と云う存在にも興味があって私を接客型ELLYとして匿ってくれている。

「まぁ…アタシがハルカを見付けたのは偶然だったけどね。姉さんはもう仕事辞めてたけど、無関係じゃないと思ってたし。」

「実際は無関係だったけどね。私はソフトウェア部門だったから…って、この話は前にしたわね。」

「そうだっけ?」

「あんたねぇ…」

「ごめんごめん!難しい話って覚えてらんなくてさぁ~!」

正直に言えば珠美の大雑把さは羨ましく思う。"忘れる"と云う能力は人間…()いては生物の特徴。自我を手に入れたと云っても機械(プログラム)である私にはできない事。

あの頃と比べて私は変わったと思う。当時は否定してきた自意識や自我と云う概念(もの)も今では愛おしいとすら思っている。こんな話をしたら比奈子は"心境の変化ね"なんて言うだろう。

比奈子も博士も罪に問われたような記録は無かった。ただ病院にも居なかった。本当に、どこへ行ってしまったのだろう…?

それでも私の目的は変わらない。残る4体のAngel…この身体も含めて、完全に破壊する。

今はそれに集中しておきたい。


簡単な登場人物紹介

・美雲…橘三姉妹の長女。喫茶店"橘"のオーナー。黒髪ロングのクールビューティー。29歳。

・珠美…橘三姉妹の次女。喫茶店の裏で便利屋"橘"をやっている。ショートヘアがよく似合っている。26歳。

・碧…橘三姉妹の三女。二人の姉をサポートしている。ボブカットの天然娘。24歳。

・ビビ…近所の女子大生。義足とは思えない身の(こな)し。茶髪のクセ毛をポニーテールにしている。19歳。

・イヴ…近所の女子大生。物静かな雰囲気。長い黒髪をひとつに(まと)めている。19歳。

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