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第五十章 雪の朝
雪は、夜のあいだに降り積もった。
江戸は、白い。
屋根も、
門も、
石も、
すべてが静かに覆われている。
人の声は低い。
足音も、柔らかい。
雪は、音を吸う。
直弼は、朝の支度を終え、庭に出る。
白の上に、
新しい足跡が残る。
冬の空気は澄み、
息は白い。
江戸の朝としては、
よくある景色だ。
だが、
静かすぎる。
鳥の声も、
風の音も、
遠い。
直弼は、白い庭を一度見渡す。
この静けさを、嫌いではない。
雪は、すべてを均す。
争いの跡も、
怒りの声も、
いったん覆う。
世界は、
白の中で整っている。
「出立の刻にございます」
声がかかる。
直弼は、うなずく。
外套を整える。
刀を帯びる。
いつもと同じ朝。
何も違わない。
門の外では、
駕籠の支度が整っている。
供の者が、
雪を踏み固める。
白の上に、
いくつもの足跡。
それは、
すぐに新しい雪で薄れるだろう。
直弼は、門を出る。
白い道。
江戸城へ向かう、
いつもの道。
空は高く、
雲はない。
遠くで、
まだ誰も知らない足跡が、
同じ朝を踏んでいる。
雪は、
そのすべてを静かに覆っている。
白の中に、
赤が立つまで、
あとわずか。




