第四話 死の向こう側
月明りの下、走り続けた優人とティナは、町外れにある震生湖と呼ばれる小さな湖の畔にたどり着いた。
自転車を降りるなり、優人は両手を膝に付き肩で息をした。
「こっちだ、優人」
呼吸が整わないまま、優人がティナのもとに駆け寄ると、そこに初老の男性と自転車が倒れていた。
「えっ、この人、死んでるの! まさか通り魔、警察呼ばないと!」
「落ち着け、優人」
おろおろする優人を一喝したティナは、冷静に死体を見据えた。
「通り魔じゃないわ、おそらく飲酒運転ね。お酒を飲んだ後、ここに涼みにでも来たのかしら。その時に自転車で転んで打ち所が悪かったみたいね。じゃあ始めるわよ」
ティナの両手が光り輝き、右手に手鏡、左手に大鎌が握られた。
「ほら、これを持って死体を見てみろ、落ち着いてな」
手鏡を渡された優人は、目の前の状況に驚愕した。
「なにっ、さっきまであんなの見えなかったよ。僕の目、おかしくなったの!」
死体から白いヒモのような物が立ちのぼり、その先に白い玉が繋がれ宙に浮いていた。
「使役者が手鏡を持つと見えるようになるの。あの白い玉が魂、そして死体と魂を繋いでるヒモみたいなのを、冥府の住人は『最後の線』と呼んでいる。今から私は大鎌で最後の線を切る。すると魂は完全に死体から切り離され、自我を取り戻すから、こっちに来て優人」
死体から少し離れた場所に、二人は移動した。
「その木の陰に隠れて。こっちに魂を追い込むから、私が合図したらそこから飛び出して、魂に向かって手鏡をかざすんだ。そうすると手鏡の中に魂が吸い込まれるから」
「うん、わかった!」
状況が理解できないまま、優人は不安に満ちた表情でそう答えた。
ティナが死体の前に立ち、大鎌を横一線に振り抜くと最後の線は切断され、魂は死体から切り離された。
「ワシはいったい……」
自我を取り戻した魂が声を発した。手鏡を持つ優人にもその声が聞こえるようになっていた。
「あなたは死んだの、下を見て」
「なぜワシが倒れているんだ!」
「あなたは死んで、魂となり肉体から切り離されたの。さあ冥府に行ってもらうわ」
「嫌だ、ワシには家族がいるんだ、まだ死にたくないんだ!」
魂は倒れている自分の体の中に戻ろうとした。
「無理よ、もう体の中には戻れないの。死を受け入れて冥府に行って、従ってもらえないなら強制的に送るわ」
「嫌だ、嫌だ、嫌だー!」
錯乱した魂は叫びながら、優人の隠れる木の陰に向かって逃げ出した。
「今だ、優人!」
合図と共に優人は木の陰から飛び出し、手鏡をかざした。
魂は突然現れた優人を避けようとしたが時すでに遅く、手鏡の放つ光の中に吸い込まれていった。
「よし、うまくいった。残り四つ。さあ帰るか優人」
ティナは達成感あふれる表情でそう言ったが、優人は言葉を返すことなく手鏡を持ったまま、呆然と立ち尽くした。
人は死ぬと存在は失われ、遺族には想い出が残る。両親を事故で失った優人の考える人の死とは、そういうものだった。しかし、この考えは覆された。
人は死ぬと魂に変わり、冥府に送られる。優人は今日この瞬間、死の向こう側にあるものを知った。
「優人、優人、大丈夫か?」
「えっ、あっ、うん……」
ティナに二度名前を呼ばれ、優人は我に返った。
「冥府に送られた魂はどうなるの?」
「閻魔大王の名の下、天国行か地獄行か審議されるんだ」
「そうなんだ……」
生に執着し、叫びながら逃げまどう魂の姿が、優人の心に影を落とした。
「さあ、人が来ないうちに帰るぞ、優人」
「うん……」
気のない返事をして優人は、重い足取りで帰路についた。
二人が帰宅すると、時計は二十二時を示していた。
「大丈夫か、優人」
ティナは暗く沈んだ表情の優人を気遣った。
「少し疲れたかな……」
「それじゃ、シャワー浴びてもう休んだら?」
「僕は後でいいから、ティナが先にお風呂使ってよ」
そう言うと優人はリビングのソファーに腰を下ろし、静かに目を閉じた。
優人は精も根も尽き果てていた。
そんな優人の横顔を見つめていたティナに、深い罪悪感がこみ上げてきた。
「ごめん、優人。私、無神経だった、今初めて分かった。ほかの死神が冥府の生物や、人間界の犬なんかを使役者にして、人間を使役者にしない理由が……同じ人間の死んでる姿を見るのは辛いだろ、もう送魂は手伝わなくていいから」
そう言ってティナはうつむいたまま、リビングから立ち去ろうとした。
「待って、ティナは人間の死を見て何とも思わないの?」
呼び止められたティナは、過去を振り返るように話し始めた。
「最初は辛かった。魂と死体を前にためらい戸惑っていた。Dクラスより下位の死神は最後の線を斬った後、魂と会話し死を宣告することが義務付けられてるの、死の重みを知るために。でも私は最初の頃、最後の線を斬ることができても、死を宣告することができず、魂に逃げられていたの」
「逃げた魂はどうなるの?」
「人間界を彷徨い続け、場合によっては悪霊化するわ」
「そうなんだ……」
冥府へ送ることのできなかった魂の行く末を知った優人の声は、尻つぼみに小さくなった。
「嫌な思いさせてごめんね、もう手伝わなくてもいいから。ここに少しの間だけ住ませてもらえれば、それでいいから」
「手伝うよ」
優人は立ち上がり、そう言った。
「なぜ、どうして?」
思いがけない言葉に、ティナは驚きの声をあげた。
「どうしてって言われても、手伝うって一度決めたことだから」
「でも辛いよ、本当に辛いよ」
「うん、わかってるよ。でも死んだ父さんがよく言ってたんだ、初志貫徹、最初に決めたことは最後まで貫き通せって、だから最後まで手伝うから」
亡き父の言葉を胸に、優人は決意を語った。
「本当にいいの? 残酷な死の現場に立ち会うことになるわよ」
「覚悟はできてるよ。それよりも聞きたいんだけど、魂を冥府に送った時、『残り四つ』って言ってたけど、どういうこと?」
「Cクラスになるためには、失敗せずに連続で管理局に指定された三十の魂を冥府に送る事になっているの。今までに二十六集めていて、残り四つっていうことなの」
「そうか、じゃ残り四つ、二人で頑張ろう」
ティナの罪悪感を和らげようと、優人は精一杯の笑顔を作った。
「うん、ありがとう。けど無理しないでね、これ以上は手伝えないと思ったら言ってね」
優人の優しさを前に、これ以上断れなくなったティナは、自責の念にかられながら、複雑な思いで言葉を返した。




