29. 蛮行
それは、あっという間の出来事だった。
まさかの出来事に俺達は固まった。
まさか、あのルサが赤ちゃんを殺そうとするなんて!
「ううっ……痛ったぁいヨウ!」
ビッチの声で我に返った。改めて状況を確認する。
ルサと赤ちゃんの間に割って入るような形でビッチが立っている。
ルサの振り下した剣は、ビッチの伸ばした左腕に刺さっている。そこから流れ出た血が、赤ちゃんの頬に垂れた。
「ルサさんっ!」
師匠がルサを突き飛ばす。
身を挺して赤ちゃんを庇ったビッチは左腕の出血箇所を押さえている。
「いやはや……なんということを」
呆然としていたオッサンがようやく声を発した。
固まっていたのは俺も同じで、ルサの蛮行に少なからずショックを受けた。
「何してんのヨ!」と、ビッチが珍しく大きな声を出す。
ルサは答えない。だが、激しい怒りに満ちた目で赤ちゃんを見ている。
師匠も信じられないと言った表情でルサに問う。
「どうして、この赤ちゃんを殺そうとしたの?」
ルサはぷいと顔を背ける。そして俺から奪った剣を落とす。
マズイな。険悪な雰囲気。パーティの和が乱される。
そこで「ふぎゃあ」と、赤ちゃんが泣きだした。
「アララ、起きちゃったヨ」
ビッチが慌てて赤ちゃんを抱こうとする。しかし、「やっぱ重いヨ!」と、ベッドから抱き上げることができない。
「そんなバカな。ビッチ、下手糞なんじゃないか」
「そんなこと言うなら、オレ君が抱っこしてヨ!」
「ほいほい。まあ、気が乗らないけどこれぐらい……ん!?」
本当に重い。ずっしり重いどころか、ベッドに張り付いているんじゃないかと思った。
「無理だ! ぜんぜん持ちあがらねえ」
ミルクのバカ力なら、と思ってミルクに声を掛ける。
「ミルク。頼むわ」
ところがミルクは「ムィイ」と唸って首をブンブン振る。
そこでビッチがフォローする。
「ミルクちゃんは赤ちゃんが苦手なンだよネ。アレルギーなんだヨ」
「そうなのか? じゃあ、仕方ない。少々、手荒くなるがよいしょっと!」
今度は腰を入れて全力で持ち上げようとした。
そもそも、赤ちゃんの背中に手が入らないのが問題だ。
左手で頭を、右手で尻のあたりを掬い上げる形で持ち上げる。
「うぐぐぐ……マジでこれ、どうなってんだ」
ようやく上がった、と思いきや、ダンボールに張り付いたガムテープを無理やり剥すみたいな音がした。
「やべ、力入れ過ぎたか?」
赤ちゃんを抱き上げて驚愕した。
「げっ!? こ、これは……」
なんと、赤ちゃんの背中からコードやパイプやらが出ていてベッドに繋がっている。これは無理に引き剥がしてはいけない奴だ。
「ひっ!」と、師匠が顔を覆った。ビッチも唖然とする。
医療用の管とかではない。どう見てもケーブルだ。まるで、スーパーコンピューターの裏側みたいな配線が赤ちゃんとベッドを繋いでいる。
師匠が諦め顔で呟く。
「置いて行くしかないわね……可哀想だけど」
何か色々間違っている。こんな場所に赤ん坊が放置されているのも大概だが、配線で繋がれているというのも意味不明だ。
「仕方ないな」と、赤ちゃんをベッドに下す。
そこで再び地面が揺れ出した。
師匠が「きゃっ! また地震!?」と、ペタンと座り込む。
なんとなく、その女の子座りに萌えてしまった。だが、そんな悠長なことは言ってられない。揺れは、さっきよりも大きく、随分と長かった。
揺れが収まったところで師匠が「帰るわよ」と、ビッチにリターンの魔法を求めた。これでダンジョンの入口まではテレポテーションで戻れる。
だが、なんだか腑に落ちない。この奇妙なダンジョンも、赤ん坊の存在も謎のままだ。ルサの暴走も理由が分からない。
何とも言えない疲労と脱力感で俺達はダンジョンを出て、バグの町を去ることにした。
* * *
町を出てユニコーン馬車で南南西に向かう。
結局、何の手がかりも得られなかった。バグと転移の関係性は一切、見つからなかった。
それもあるが、俺達に口数が少なかったのは、やはりルサの行動が影を落としていた。
師匠がポツリと呟く。
「もし、あの時、ルサさんが赤ちゃんを殺してたら、バグは収まったかもしれない」
師匠の言葉にハッとした。
「それ、俺も考えてた。そうでもないと、ルサがあんなことする理由が分からない」
それに対してビッチは批判的だ。
「そんなの酷いヨ。あの赤ちゃんのせいじゃないもん」
オッサンは横目でルサの様子を伺いながら頭を掻く。
「いやはや、正直、ルサ殿の乱心には参りました。ですが、ワタクシも師匠殿や先生のお考えに同意いたします。おそらくあの赤子が周辺のバグの原因だったかと思われます」
「オッサン。今まで、ルサが暴走したことはあったか?」
「いいえ。一度も。ですので、ワタクシも戸惑っております」
「もしかしてルサには分かってたのかな。あの赤ん坊が原因だって」
「いやはや。それはどうでしょうか」
俺達の会話は聞こえているはずなのに、ルサは他人事のように聞き流している。そして、流れゆく風景を飽きもせず眺めている。
その横顔は見とれてしまうほど美しい。白い髪がなびく様も神秘的だ。
なのに、あんな残酷性を秘めているというのが信じられない。
彼女は普通のNPCではない。断じて。
* * *
午後の街道を淡々と進んでいると、なにやら後方からドラゴンが迫ってきた。
飛行タイプのドラゴンは主に移動手段に用いられている。それが俺達を追ってきたらしい。
「誰か追いかけてきたみたいね」と、師匠がドラゴンを見て首を傾げる。
「おーい! 待ってくれ!」と、声が降ってくる。ドラゴンの方向からだ。
それを聞いてミルクがユニコーンに鞭を入れた。そのせいで馬車が急加速して俺達は荷台を転がり落ちそうになった。
「おい! ミルク! 止めれ!」
なんとか荷台にしがみつきながらミルクにストップをかける。
「ムィィ」と、ミルクは嫌そうな声を出して、さらにスピードを上げる。
転がり落ちないように荷台の縁を掴んでミルクの背中に向かって怒鳴る。
「止まれって! なんで逃げるんだ?」
それには答えずにミルクは黙々と馬車を駆る。
そうこうしているうちに、ドラゴンが追いついてきた。そして道を塞ぐ形で着地する。
仕方なく馬車を止めたミルクが「フィィ」と、手綱を放り出して荷台の方に避難してきた。
「なんか変だぞ。お前」
仕方なくミルクを迎える。
とその時、ビッチが「ア! 運営の人だヨ」と気付いた。
「え? 運営?」
そう言われてみれば見覚えのある出で立ち。タキシードにシルクハットの紳士。以前、俺達の前に現れた自称、運営の人間だ。
「いやはや、あの方が例の……どれ、ワタクシが話をしてきましょう」
そう言ってオッサンが名乗りを上げた。
オッサンは荷台を降りると前方に向かう。そしてドラゴンから降りてきた運営の男と何やら話し始めた。
師匠は注意深くその様子を観察している。ビッチは不安そうに俺の袖を握った。ミルクは隠れるように俺の身体にくっついて離れようとしない。ルサは無表情で視線を向けるだけだ。
やがて、オッサンが運営の男を連れて戻ってきた。
「いやはや、この方はどうやら本物の関係者のようですぞ」
オッサンに紹介されて運営が「この前はどうも」と、お辞儀をする。
前に会った時はミルクに投げ飛ばされて痛い目にあっただろうに、そんなことはおくびにも出さずに運営は冷静だった。
「今日は君達に報告しに来たんだ」
運営がそう言うからには、リアルの世界で何か動きがあったのかもしれない。
俺達はルサとミルクを残して荷台を降り、運営の話を聞くことにした。
「ほーん。で、あれから何か変わったのか?」
俺の質問に運営が力強く頷く。
「うむ。病院に君達の身体を集めた。ワンフロアを借り切って厳重に管理している」
師匠が驚く。
「え? 何で私達の住所が分かったの?」
「運営だからな。この前会った時に控えていた君達の名前。そこからログイン履歴、アカウント設定、会員情報から特定した」
「俺達の身体を勝手に入院させたってことか?」
「いや、勝手にではない。勿論、ご家族のご理解を得て、極秘裏に都内の病院に身体を運び込んだ。概ね、協力して頂いたので助かった。ただ……」
そこで運営がビッチの方を見て苦笑いする。
「君のところは少し大変だったがね。なにしろ、じむ……」
「ワァアア! ダメェ!」
ビッチが突然、大声をあげて運営の言葉を遮った。
そして運営にボソボソと耳打ちする。すると運営は何度か頷いてから「分かった」と納得した風な表情をみせた。
師匠が探るような目つきで尋ねる。
「その病院、大丈夫なんでしょうね? 治療法のあてはあるのかしら?」
その質問にはオッサンが答えた。
「それはご安心くださって結構かと。さきほど病院の名前を聞いて安心しました。ワタクシも知っておりますが、大学の系列なので様々な対応が期待されます。ただ、治療法については……」
オッサンの言葉を受けて運営が軽く咳払いをして続ける。
「そこは試行錯誤しているようだ。今のところ、身体に刺激を与えて脳波や代謝の変化を検査している」
それを聞いてビッチが顔を顰める。
「嫌ぁネ。イヤらしいことしないでよネ」
「し、しとらん! ちゃんとした検査だ!」
運営はそう否定したうえで、やれやれといった風に肩を竦める。そして、一息ついて続けた。
「ところで、君達。時々、感じたことは無いかね? 急に腕がかゆくなったとか、誰かに触られている気がするとか? 何でもいいんだ。違和感のようなものは感じなかったか?」
師匠がしばらく考えるそぶりをみせて答える。
「うーん。無いわね。それって、本体に刺激を与えた時に、こっちの世界に居る私達に感覚が伝わっているかの実験なんでしょ?」
「そうだ。身体に刺激を与えるが、この世界で知覚できない。ということは身体と繋がっていないことを意味する。なので、重要な検査なんだ。頼む。私と一緒に来て、治療を受けてくれないか?」
そこで、俺が口を出す。
「それって、どこかで大人しくしてろってことか?」
「いや、監禁するという意味ではない。現実世界と連動して治療を受けて欲しいんだ」
それはそれで嫌だ。せっかく、この世界を冒険しているのに拘束されるのはつまらない。それは師匠とビッチも同じようで、運営の提案に苦い顔を見せる。
運営は結構、焦っている。
「手掛かりはそれだけなんだ! どちらかで受けた刺激がもう一方の世界に伝わるか? 色々と試してみないことには手の打ちようが無い」
そこで思い当たる節があった。
「あ、そういえば……」
俺は運営に耳打ちした。
「実は俺、この前……」
現実世界とこの世界の繋がり。転移組は、その相互関係が分断されている。通常なら共有されるべき感覚が断絶しているせいで、現実世界の俺達は意識不明となっているわけだ。しかし、こっちで受けた刺激が、現実世界に伝わっていたとすると希望が見えてくる。それが、この前の体験だ。
「俺……漏らしちゃったかもしれない」
何日か前に、すねたビッチの魔法から師匠を守った時のことだ。
もちろん、この世界では何も出ないから、本当にそうだったのかは分からない。ただ、もしかしたら、こちらの刺激が伝わって、現実世界の俺も漏らしていたかもしれないと思いついた。
運営が食いつく。
「何だって!? それはいつのことかね?」
「確か……ビッチがパーティ抜けるとか騒いでた時だったら4日ぐらい前かな」
「思い出してくれ! これは重大な手掛かりだよ! 確かに、確かにお漏らししたんだな? いつ、どこで、どういう状況でお漏らしした?」
「あんまりお漏らしって言うなよ。恥ずかしいじゃねえか」
「病院に戻ったら直ぐに君のパンツを確認する!」
運営が興奮気味にそんなことを口にしたので、師匠とビッチが変なものでも見るような目でこっちを凝視している。
慌てて話題を変える。
「そ、そうだ。俺等、転移者に会ったぜ。で、倒しちまった」
それを聞いて運営がさらに興奮する。
「なんだって!? そ、それは本当か?」
「ああ。ダークマターって名乗ってた。転移者というのは本当だと思う。かなり手強かったからな」
「そのような名前の人間は把握していなかったが……分かった! 戻ったら調査してみよう」
「頼むぜ。で、分かったら教えてくれよ。現実世界の奴がどうなったかを」
そこで師匠が珍しく弱々しく呟く。
「結果を知るのは怖いけど……」
そんな師匠の様子を見て運営が察する。
「なるほどな」
運営は俺達の考えを理解した様子で微かに首を振った。
この世界でゲームオーバーになった人間は現実世界でどうなってしまうのか? 意識は戻らないかもしれない。それどころか、最悪の場合は死んでしまうことも考えられる。ダークマターの本体を見つけることが出来れば、結果が分かるはずだ。そして、運営ならそれが可能だろう。
運営が苦しげな表情を見せる。
「もし、悪い結果だった場合は? どうする?」
俺は迷わず答えた。
「それでもいい。そのときはそのときで、このゲーム内で生き残るだけさ。解決方法が見つかるまで頑張る」
俺の言葉に師匠とビッチがハッとしたような表情を見せる。
「いやはや、流石、先生です! よくぞ、申されました! 素晴らしい男気ですぞ」
なぜかオッサンにベタ褒めされる。
運営の紳士は、重大なヒントを得たせいか今回はあっさりと引き下がった。前回はミルクに絡んで放り投げられてしまったが、結局、ミルクは荷台に隠れたままだった。
運営の背中を見送りながら俺達は、何とも言えない気分でしばらく黙り込んでしまった。




