第9話 泥酔したお嬢様が部屋で吐きそうなのでデトックスしたら、都の酒飲みたちが神と崇めてきた
ウツノ都には、いくつもの顔がある。
魔導列車『雷都レール』が走る最先端のインフラ都市であり、美味しいギョーザが並ぶグルメの街であり、そして――夜になると、凄腕の魔導バーテンダーたちが腕を競い合う「カクテルの街」でもあった。
今夜は、年に一度の『カクテルカーニバル』。
都の大通りには、七色に揺らめく美しい魔力のネオンが灯され、無数の屋台が立ち並び、幻想的に発光する「魔法のカクテル」が至る所で振る舞われていた。グラスを傾ければ、青や赤の美しい光の粒子がシュワシュワと弾け、街全体がまるでおとぎ話の国のような喧騒に包まれていた。
俺はと言えば、当然ながら屋敷のベッドで丸くなって二度寝を極める予定だったのだが、やはりパトロンであるエレナお嬢様の命令には逆らえなかった。
「先生ぇ〜! 見てくださいませ、このカクテル、すっごく綺麗に光ってますわ〜!」
ネオンの光が反射する大通りで、俺の右腕に全力で抱きついているのは、完全に酔っ払ったエレナお嬢様だった。
この世界の成人は十五歳。十七歳のエレナがお酒を飲むのは合法なのだが、彼女はアルコールに対して極めて脆弱だったらしい。甘くて飲みやすいが、飲むと口の周りが星屑のようにキラキラと光るフルーツ系の魔導カクテル『雷都コリンズ』や、飲むと吐息が数時間バラの香りになる『フタアラサンライズ』を短時間に何杯も煽ったせいで、彼女の理性のネジは完全に消し飛んでいた。
しかも、彼女が俺の腕に絡みついているせいで、ワンピースの薄い生地に包まれた規格外の巨乳が、俺の右腕をこれでもかと包み込むように押し潰し、強烈な柔らかさと温もりで密着していた。
(うおっ!? 柔らかっ! 冷たい風が吹く夜なのに、腕のだけ妙に熱い! というか、お嬢様、おっぱい揺しすぎだろ! 歩くたびにその二つの大きな果実が俺の腕を挟み込んで形を変える! 胸の弾力で俺の右腕の骨が溶けて無くなりそうだ! ……ハッ、冷静になれ俺。ここで少しでも鼻の下を伸ばせば、明日から『賢者』ではなく『ただのスケベヒモ』として都を追放されるぞ!)
俺は心臓がドラムロールのように激しく鳴り響くほどの緊張感に襲われていたが、長年のブラック労働で鍛え抜かれた無表情をフル稼働させ、死んだ魚のような目で夜空の月を見上げていた。
「先生ぇ、先生はどうしてお酒を飲まないのですかぁ〜? 先生のそのクールなお顔、すっごくかっこいいですわぁ〜……えへへっ」
エレナがとろんとした瞳で俺の顔を覗き込み、アルコールの熱を帯びた甘いバラの香りの吐息を吹きかけてくる。
隣を歩くルナはと言えば、かつて最前線で戦った凄腕騎士だけあって酒に滅法強く、何十杯もカクテルを飲みながら涼しい顔をしていたが、やはりその頬は微かに紅潮していた。
「先生……私も、少し酔ってしまったようです。足元がフラつきますので、その、左腕を……お借りしてもよろしいでしょうか……?」
そう言うが早いか、ルナは俺の左腕を抱きかかえてきた。
当然、彼女の規格外の巨乳もまた、俺の左腕を完全に挟み込む形でムギュッと密着する。
(お前もか!!! 右からエレナの爆乳、左からルナの爆乳! 何だこの両側からのダブル質量攻撃は! 俺を肉のクッションで左右から均等に圧殺する気か!? 歩くたびに二つの異なる柔らかさと重厚な弾力が交互に腕を押し潰し、小心者の俺の脳のニューロンが完全にショートしそうだわ! 助けてくれ!)
俺は内心で白目を剥いて卒倒しかけていたが、なんとか二人の巨乳に挟まれたままゾンビのように歩き、深夜、相談所の屋敷へと連れ帰ることに成功した。
リビングの大きなソファに、完全にぐったりしたエレナを横たえる。
ルナが「冷たい水と毛布を持ってまいります」と言って千鳥足でキッチンへ向かったため、リビングには俺と、出来上がったエレナだけが残された。
「うぅ〜……頭がぐるぐるしますわぁ〜……。先生ぇ……」
エレナはソファの上で身悶えしていたが、突如としてその美しい顔面を真っ青に染め、両手で口元を強く押さえた。
「う……うぷっ……」
(えっ!? ちょっと待て! その「うぷっ」は、前世でも現世でも最も不吉な警報音だろ!!! まさか……吐くのか!? ここで!?)
俺の脳内に、最悪の光景がフラッシュバックした。
前職のブラックギルド『王立魔法構築ギルド』時代、魔導師たちが「納期前3日徹夜」という極限状態で、魔力回復液(泥水のような味がする栄養ドリンク)をガブ飲みした結果、職場の床に次々と胃の中のものをぶちまけるという地獄絵図が頻発していた。
深夜2時、「バ、バグが消えない……!」「魔力回路が繋がらないぞ!」と叫びながら次々と倒れ、汚物をぶちまけるエリートたち。
誰もが目を背ける中、「お前は無能なんだから、汚物の片付けくらい綺麗にやっておけ」と上司たちに怒鳴られながら、雑巾とモップを持って床に這いつくばっていたのだ。あの時の、部屋中に広がる酸っぱい臭いと、モップを持つ手が震えた記憶は、俺の魂に消えない暗黒のトラウマを刻み込んでいる。
(いやだ!!! ゲロの掃除だけは絶対に嫌だ!!! あの酸っぱい悪魔の臭いがこの極上の最高級ソファとリビングに充満したら、俺は二度とこの部屋で快適に昼寝ができなくなる! 俺の安眠ライフが、お嬢様の逆流物によって汚染されることだけは、何としてでも阻止する!!!)
ゲロ掃除に対するトラウマと、安眠環境の清潔さを死守したいという、俺の凄まじい防衛本能が炸裂した。
俺はポケットから大急ぎで使い古した魔導杖を引っ張り出すと、エレナに向けて突き出した。
「……ふぅ。状態異常を検知。……排気する」
俺が放ったのは、前職のブラックギルドで、徹夜明けで吐き気と偏頭痛を訴える魔導師たちを「いいから朝まで働け」と無理やり稼働させるために開発した、超極悪な状態異常一括解除魔法。
名付けて『全自動状態異常浄化』。
これさえかければ、肉体のアルコール毒素、胃の中の不快感、偏頭痛、さらには疲労度に至るまで、すべての負のステータスを一瞬にして「ゼロ」に初期化してくれるという、ブラック職場の結晶である。
(ゲロの予兆を1ミリも残さず、完全に消し去ってやる! ……出力? そんな細かい設定をいじる時間はねえ! 最大出力でぶっ放す!)
俺は焦りのあまり、魔力制御をサボって最大出力のままエレナに向けて浄化光線を放った。
キィィィィィィン……ッ!
淡く美しい聖なる光がエレナの体を包み込み、次の瞬間、相談所の窓を突き抜けて、夜空へと巨大な光の柱となって広がっていった。
「……は?」
光が収まると、ソファの上のエレナは、すっきりと爽やかな顔で起き上がっていた。
青白かった顔色は元通りの可憐なバラ色に戻り、瞳はキラキラと澄み渡っている。
「……あら? わたくし、さっきまであんなに気持ち悪くて頭が痛かったのに、なんだかもの凄く体が軽いですわ! 頭が完全に冴え渡って、まるで十時間ぐっすり眠った後のようです!」
そこへ、水を持ったルナが戻ってきて、完全にシラフに戻ったエレナを見てコップを落とした。
ガチャリと音を立てて床で水が弾ける。
「お、お嬢様!? アルコールの毒素と、体内に蓄積していた魔力の淀みすら一瞬で中和してしまわれるなんて……! これは、神殿の最高司祭でも一生に一度しか使えないという、伝説の『神聖浄化』の魔法……!」
「先生……! わたくしのために、そんな貴重な魔法を……!」
(違うから! ただ単に汚物の掃除が死ぬほど嫌だっただけだから!)
俺は内心で安堵の溜息をつき、杖をしまった。
とりあえず、リビングのソファの清潔さは守られた。俺は満足して、二人が感動しているのを無視し、寝室へと向かった。
「……ふぅ。これで静かになった。……俺は、寝る」
「はい! 先生、ごゆっくりお休みくださいませ!」
二人は深く頭を垂れ、俺の背中を見送った。
だが、俺はこの時、全く理解していなかった。
俺がゲロ掃除を避けるために放った、その最大出力の「浄化光線」が、夜空の雲に反射し、都のカクテルカーニバル会場全域に「雨のように」降り注いだことを。
その夜、都のオリオン大通りでは、奇跡がおきていた。
「あれ……? さっきまで泥酔して溝に倒れてたのに、急に頭がスッキリしたぞ!?」
「二日酔いで明日仕事に行けないと絶望してたのに、頭痛が一瞬で消え去った! 体が羽のように軽い!」
「おい見ろ、あの光は賢者様の相談所からだ! 都の酒飲みたちを憐れんで、奇跡の恵みを与えてくださったんだ!」
「おおお、賢者様バンザーイ!!!」
都中の酔っ払い、悪酔いした冒険者、二日酔いのバーテンダーたちが一瞬にして完全覚醒し、夜空に向かって涙を流して叫び始めたのだ。
* * *
翌朝。
俺が快適な目覚めを迎え、リビングへ降りていくと、テーブルの上には山のような高級ワインやカクテル素材、そして都の酒造ギルドからの「感謝の金貨」が置かれていた。
「先生! 先生の『神聖浄化』のおかげで、都のカーニバルは二日酔いゼロの歴史的成功を収めましたわ! 酒造ギルドの皆様が、先生を『酒の守護神』として祀ると言っています!」
「……は?」
俺はスプーンを握ったまま、無表情の裏で本日最大級の絶叫を上げた。
(守護神ってなんだよ!! 何で神格化されてんだよ!! てか高級酒なんか貰っても、俺はお酒弱くて飲めないんだよ! これじゃ今後もお酒の席に呼ばれるじゃん! 俺の静かな夜を返せえええええ!)
俺がゲロ掃除から身を守った結果、ウツノ都の夜は二日酔いゼロの健康都市へと超進化を遂げ、俺の名声はまたしても天高く爆上がりしてしまったのだった。




