第8話:タレをつけずにギョーザをそのまま食べたら、真の美食家として食文化を破壊してしまった
スローライフの唯一にして最大の難点。それは、定期的にパトロンであるエレナお嬢様から、「お出かけの誘い」という名の拒否権のない業務命令が下ることだった。
「先生! 本日はお世話係のルナもお休みの日ですわ! たまには屋敷の外に出て、ウツノ都が誇る最高の『魔力回復食』を食べに行きましょう!」
朝、俺が快適な室温のベッドの中で、おはぎの温かい背中をクッションにして熟睡していると、寝室の扉が勢いよく叩き開けられ、エレナが眩しいばかりの私服姿で突入してきた。
本日の彼女は、胸元がV字に大きく開いたアクティブなサマードレス姿。走るたびに、その華奢な肩紐がちぎれんばかりの規格外の巨乳が、「ぼよん、ぼよん」と凄まじい質量を感じさせる音を立てて上下左右にダイナミックにスイングしている。
(うおっ……! 朝から目に毒すぎる! そのドレスの構造、絶対に胸の重さに耐えきれてないだろ! 生地の縫い目が限界値を超えて悲鳴を上げているのが俺の心眼には見えるぞ! ……っていうか、ルナが休みなのか。自分で料理をするくらいなら、外食に付き合う方がマシか……)
「にゃあぁ……」
俺がベッドから這い出そうとすると、枕元で寝ていたおはぎが、寂しそうに俺の袖を肉球でやんわりと踏んづけた。野生を完全に忘れた伝説の魔獣は、俺が外出するのが不満らしい。三メートルの漆黒の毛玉が、甘えるようにゴロゴロと重低音の振動を室内に響かせる。
「おはぎ、お留守番だ。……お土産に、お前の好きなものを買って帰る。いい子にしてろ」
俺が低音ボイスでおはぎの顎の下をゴリゴリと掻いてやると、彼は「フシュー……」と満足そうに鼻を鳴らし、再びベッドの真ん中で丸くなった。よし、交渉成立だ。
馬車に揺られて到着したのは、ウツノ都のメインストリート『オリオン大通り』だった。
大きなアーケードが広がり、東西を結ぶ雷都レールが時折「シュィィィン」と青白い魔力光の粒子を散らしながら、静かに通り抜けていく。活気に満ちた大通りの両脇には、様々な魔導具店や露店が並び、あちこちからニンニクとスパイスの香ばしい匂いが漂っていた。
その中でも、ひときわ長い大行列を作っている大衆食堂の前に、俺たちは案内された。
「ここが、都で一番人気のギョーザ専門店『ミヤミヤ』ですわ!」
看板には、大きな食べ物の絵が描かれている。
エレナの説明によると、この都の名物『ギョーザ』とは、小麦粉の皮の中に、地脈の魔力を吸い上げて育った特産の『魔導ニラ』と『魔力ニンニク』、そして魔獣の挽肉を包み込んで焼き上げた料理らしい。一口食べるだけで、すり減った魔力と体力が瞬時に全回復する、冒険者や魔導師たちに大人気のソウルフードなのだとか。
本来なら三時間は並ぶ大行列店だ。並んでいる荒くれ者の冒険者や、魔法学校の生徒たちが、馬車から降りてきた俺の姿に気づき、ざわざわと騒ぎ始めた。
「おい、見ろよ……あのヨレヨレのパジャマの上から薄いコートを羽織った男……」
「まさか、ウツノ都の守護神、賢者様か!?」
「何て涼しげな……いや、一切の邪念を感じさせない死んだ魚のような澄んだ目をしているんだ……。さすがは都のインフラを永久機関化した稀代の賢者様だ。佇まいからして凡人とは違うぜ!」
彼らは一歩引き下がり、道を開けるようにして俺を仰ぎ見る。
(寝不足で目が死んでるだけなんだけど!? パジャマ姿をそんなに熱い目で見つめるな! 恥ずかしいだろ!)
エレナは領主のお嬢様。店主が顔色を変えて飛んできて、行列をすっ飛ばして奥の特別な個室へと案内してくれた。
(ラッキー……。行列に並ぶなんて面倒くさいことさせられたら、その場で立ったまま寝落ちするところだったぞ。お嬢様のパトロン特権、本当に素晴らしいな。一生甘やかされたい)
俺は心の中でガッツポーズを決めながら、冷たいお茶を飲んで待った。
やがて、テーブルの上にジュージューと凄まじい音と白煙を立てる、見事な黄金色の羽根がついた『焼きギョーザ』の皿が何枚も運ばれてきた。
香ばしい胡麻油の匂いと、ニラやニンニクの食欲をそそる香りが個室に充満する。
「さあ先生! 冷めないうちにどうぞ! あ、タレはこちらの調味料をお好みの比率でブレンドして作るのですわ。醤油が3、酢が6、特製の魔導ラー油が1……これがわたくしの考える、魔力の黄金比ですわ!」
エレナが小さな調味料のボトルを手に持ち、楽しそうにタレの作り方をレクチャーし始める。
それと同時に、彼女が身を乗り出すことで、巨乳の谷間があらわになっていた。重厚な双丘が、視界の8割を占拠する。
(無防備すぎるだろ!! その凶暴な膨らみが、テーブルの上の醤油ボトルに当たって倒れそうなんだよ!! ……っていうか、醤油だの酢だのラー油だの、計って混ぜるの、死ぬほど面倒くさいわ! お腹減ってるし!)
極度の面倒くさがりであり、なおかつ空腹だった俺は、タレを作るというプロセスそのものを脳内から完全に排除した。
俺は箸を伸ばし、焼きたてで熱々の、黄金色の羽根がついたギョーザを一つ摘み上げた。
そして、醤油や酢のボトルには目もくれず、タレを一切つけない無垢な状態のまま、一言も喋らずにそれを口へと放り込んだ。
「ああっ、先生!? タレをつけずにそのまま食べるなんて、そんな……!」
エレナが驚愕の声を上げる。
ハフハフと熱いギョーザを口の中で転がし、カリッと香ばしい羽根付きの皮を噛み破る。
その瞬間、ジュワッ! と、口の中に文字通り「旨味の爆弾」が炸裂した。
地脈の魔力を極限まで吸った魔導ニラの鮮烈な甘みと、魔力ニンニクのガツンとくるパンチの効いたコク。そして、魔獣の肉から溢れ出す濃厚な肉汁が、一切の濁りなく、ダイレクトに舌の上を駆け抜けていく。
(うっ……美味すぎる! 何だこれ、前世で食べていた餃子より遥かに素材の味が濃い! タレの塩気や酢の酸味なんかで薄めるのが勿体ないくらい、肉とニラの味が完成されてるじゃん! タレなしの方が圧倒的に美味い!)
俺はあまりの美味さに感動し、無表情の仮面の下で歓喜の涙を流しそうになりながら、二個目、三個目のギョーザをタレなしで次々と口に放り込んでいった。
ハフハフ、カリッ、ジュワッ。
箸が全く止まらない。俺の目はギョーザの山に完全に釘付けだった。
しかし、その俺の様子を見ていたエレナは、まるで世界が崩壊する瞬間を目撃したかのように、その場に凍りついていた。
「なんと……! 私としたことが、先生ほどの高次元の御方に対して浅ましい小細工を勧めてしまうなんて……! タレの塩分やラー油の刺激は、地脈の魔力を帯びたニラやニンニクの純粋なエーテル循環を阻害する不純物でしかなかったのですわ! 先生は、あえてタレを拒絶することで、都の食材への敬意と、本来あるべき自然の調和を示してくださっているのですわ!」
エレナは自らの無知を恥じるように顔を伏せ、瞳に感涙を浮かべていた。
(いや、ただ混ぜるのが面倒くさかっただけだから! 何で俺が食文化の真理に到達したみたいになってるんだよ!?)
さらに悪いことに、個室の扉が少し開いており、廊下を通っていた店主や、隣の席で食べていた地元の頑固な美食家たちが、俺の食べ方をしっかりと見ていたのだ。
隣席の美食家たちの長は、運ばれてきた自分のギョーザを見つめ、ゴクリと唾を呑み込んだ。
「おい、見ろよ……賢者様、ギョーザを一切タレにつけてねえぞ」
「……何だと? そんな食べ方、味気ないだろ」
「いや、賢者様が無意味なことをするはずがない。……ハッ! そうか! 俺たちは今まで、タレの酸っぱさや辛さで、魔導ニラの真の魔力を殺して食べていたというのか!? あれが、賢者様が示す真の食べ方……!」
美食家は震える手で、小皿のタレを端に除けた。
そして、何もつけないギョーザをそのまま口に放り込んだ。
「……ッ!? なんだこれは……! タレをつけないことで、皮の小麦の甘みと、肉汁の濃厚な脂が、まるで濁流のようにダイレクトに脳を揺さぶる! 美味い……美味すぎる! 俺たちは今まで、調味料を食べていただけだったのだ!」
美食家は涙を流して叫び、店中にその感動を伝えた。
都の住人たちの「深読み」と「噂話」の伝播速度は、地脈の光よりも速かった。
* * *
数日後。
ウツノ都では、信じられない食文化の大革命が起きていた。
「いらっしゃい! 本日のおすすめは、賢者様お墨付きの『プレーン・ギョーザ』だよ! うちの店じゃあ、今日からタレは一切出さないよ!」
「ギョーザにタレをつけるのは素人。真の都の民なら、そのまま素材の魔力を味わうべし! タレを頼むなんて、賢者様の教えに反する非国民のすることだ!」
都中のすべてのギョーザ店から、タレの小皿が綺麗さっぱりと消え去り、「ギョーザはタレなしで食べるのが、最も高貴で美味な食べ方である」という謎のルールが定着してしまったのだ。
ギョーザの消費量はこれまでの倍になり、都のギョーザ産業は空前の大ブームを迎えていた。
俺が相談所のソファで、お土産に買ってきたタレなしの冷めかけたギョーザをおはぎにあげていると、エレナがまたもや金貨の山を持って現れた。
「先生! 先生の『プレーン・ギョーザ』のおかげで、都のギョーザ屋は大繁盛、さらに魔導ニラの生産農家からも感謝の寄付金がこんなに届きましたわ! さすがは先生、都の食産業まで全自動で活性化させてしまうなんて!」
「……ふぅ。そうか。朝飯のパンを早く持ってきてくれ」
俺は無表情のままそう答え、内心で激しく頭を抱えた。
(なんでだよおおおおお!!! 俺はただ面倒くさかっただけなんだぞ!? 何で都の食文化が塗り替わってんだよ! タレをつけて食べたい気分の時もあるのに、これじゃ外でタレを頼んだら『賢者様のくせにタレをつけている』って白い目で見られるじゃん! 俺の食事の自由を返せえええええ!)
俺が怠惰で動いた結果、ウツノ都のギョーザ文化は世界最強へと進化し、俺の名声はまたしても絶対的なものへと跳ね上がってしまったのだった。




