第10話 外がうるさくて眠れないのでノイズキャンセラーをかけたら、呪いの楽器が至高の名器に浄化されていた
秋の夜長。ウツノ都のストリートからは、心地よくてどこか大人びた音楽の旋律が、夜風に乗って聞こえていた。
ウツノ都は「カクテルの街」であると同時に、数多くの名演奏家たちが街角でセッションを行う「ジャズの街」としても知られている。今夜は都の恒例行事『ジャズナイト』が開催されており、街全体が音楽のシャワーに包まれていた。ストリートのあちこちで、魔力を帯びて淡く発光するサックスや、叩くたびに光の輪が広がるドラムが幻想的なアンサンブルを奏で、都の夜を優雅に彩っていた。
相談所の自室のベッドに寝そべる俺にとって、遠くから聞こえてくるトランペットやサックスの掠れた音色は、心地よい子守唄代わりにちょうどよかった。
俺の隣では、巨大黒猫のおはぎが、音楽のリズムに合わせて尾の先を小さくパタパタと揺らしながら、気持ちよさそうに目を細めていた。
(うん……。こういう静かな音楽を聴きながら、毛布にくるまって二度寝の追加ターンに入るのは最高だな。さて、深い眠りの世界へ旅立つか……)
そう思って俺が目を閉じた、まさにその瞬間だった。
プギィィィィィィヤァァァァァァァァァッ!!!
耳をつんざくような、黒板を鉄の爪で全力で引っ掻き回したかのような、超高音の凄まじい不協和音が夜空を切り裂いた。
それは音楽などという高尚なものでは断じてなく、脳の神経細胞を直接錆びた剃刀で削られるかのような、筆舌に尽くしがたい凶悪な騒音だった。
「にゃ、にゃあぁぁぁっ!?」
おはぎが耳をペタンと伏せ、漆黒の尻尾の毛を針のように逆立ててベッドから飛び起きた。あまりの不快な音にパニックを起こしたおはぎは、俺の胸の上にその三メートルの巨体を無理やりねじ込み、前脚の肉球で俺の耳を全力で塞ごうとしてきた。
(重っ!? 肉球で俺の鼻と耳を同時に塞ぐな! 息ができない! 肋骨がミシミシ鳴ってる! っていうか胸の上にのしかかるな、窒息死する! それに何だこの音は!? 俺の繊細な耳が腐りそうだ!)
俺がベッドの上で窒息しかけながら悶絶していると、静寂であるべき部屋の扉が、ドカンと勢いよく開け放たれた。
「先生! 大変なことが起きましたわ!」
飛び込んできたのは、薄手のシルクのネグリジェ姿のエレナお嬢様だった。
胸元が大胆にV字カットされたネグリジェは、彼女の胸元の圧倒的な自己主張を抑えきれておらず、走ってきた衝撃で左右にゆっさ、ゆっさと強烈な慣性をもって揺れ動いている。
その後ろからは、いつの間にか私服の薄手のスウェット姿になったルナが、大剣を構えながら続いてきた。
(うおっ!? お前ら毎度毎度、朝だろうが夜だろうが、防御力の薄い格好で俺の部屋に突入してくるな! 目のやり場がなさすぎるぞ! その薄い生地でその大質量を支えるのは、物理法則的な意味で崩壊してるだろ!)
俺の心臓は別の意味でバクバクしていたが、顔面は完璧な無表情をキープしたまま、極限の低音ボイスで問いかけた。
「……ふぅ。騒々しい。夜の安眠を妨げるのは誰だ」
「申し訳ありません、先生! 都の中央広場で演奏していた奏者のサックスが、突然『呪いの魔道具』に変貌し、暴走を始めたのです! あの悪魔の不協和音を聞いた者は、精神が狂い、発狂してその場で奇妙なダンスを踊り狂ってしまう呪いにかかるのです! 今や広場は、鎧を着た騎士から一般市民まで、涙を流しながらコミカルに腰を振って激しく踊り狂う地獄絵図となっております!」
ルナが耳を塞ぎながら、必死の形相で状況を説明する。
確かに窓の外からは、絶え間なく『プギャアアア!』という呪いの騒音が響き渡り、屋敷の壁さえも微かに振動させていた。
「他を当たれ。俺は寝る。誰が踊り狂おうが知ったことではない」
俺は布団を頭から被ろうとした。都の崩壊や騎士団のダンシングパニックよりも、俺の安眠の妨害の方が数千倍も重大な問題だ。
「ですが先生! あの不協和音の呪いは、ジワジワと都全体に広がっており、この屋敷の防音結界すら貫通し始めていますわ! このままでは、先生も今夜は一秒も眠れなくなってしまいます! おはぎちゃんも耳を塞いで震えていますわ!」
エレナがベッドの縁に乗り出し、潤んだ瞳で俺の掛け布団をギュッと握りしめてきた。
彼女が身を乗り出したことで、ネグリジェの胸元から覗く双丘が、俺の眼前に迫り、ベッドのシーツに、どさっと乗っかるような形で押し付けられた。
(うっ……。確かにうるさくて一秒も眠れんし、おはぎが耳を塞いで俺を押し潰しているから、このままだとリアルに窒息死する。それに、そんな巨乳を押し当てられて頼まれたら、小心者の俺は断る勇気がない! くそっ……!)
俺はため息をつきながら、布団から這い出て、部屋の隅の魔力配線ボックスに向かって手をかざした。
前職のブラックギルド『王立魔法構築ギルド』時代、俺のデスクの斜め後ろでは、常にヒステリックな上司が部下を怒鳴り散らしていた。
「おい無能! なんでこんなミスを見落とした! 今すぐ徹夜で書き直せ!」という120デシベルを超える汚い怒声が1日中響き渡る地獄の環境。
そんな騒音の中で、俺が快適に昼寝をするために開発した術式がある。
名付けて『局所用・双指向性・位相干渉ノイズキャンセル防音結界』。
これは、指定した空間に侵入してくる音波の周波数を自動検知し、それと完全に逆の位相を持つ干渉魔力波をぶつけることで、音そのものを物理的に相殺・消滅させるという、最強の居眠り用防音カーテンである。当時は上司の怒鳴り声の「波形」をサンプリングし、その特定の周波数だけを完全に消し去る機能を、深夜残業中に血眼になって完了させたものだ。
(これであの上司の怒声並みに汚い外の雑音も、すべて完全にシャットアウトしてやる。出力調整は面倒だから、最大出力で起動させればいいだろ)
俺は眠気と怒りのあまり、魔力制御をサボって最大出力のまま、相談所の結界ラインにこのノイズキャンセル術式を「カチッ」とリンクさせた。
「よし、これで静かになった。……俺は寝る。もう起こすな」
俺は冷たい低音ボイスでそう言い捨てると、再びベッドにダイブし、おはぎの腹を抱きしめて目をつむった。
エレナとルナは、俺がただ壁のボックスを少し撫でただけでベッドに戻ったのを見て、「……今のは一体?」「きっと、呪いの根源に干渉されたのですわ!」と勝手に納得し、静かに部屋を後にした。
だが、俺はこの時、全く理解していなかった。
ブラックギルドの上司の怒鳴り声を消すために開発したそのノイズキャンセル結界を、魔力出力「最大」で起動させた場合、その有効範囲がどれほど恐ろしい広さになるかを。
カチ、と結界が稼働した瞬間。
相談所を中心に、目に見えない巨大な「位相干渉ドーム」が展開され、それは一瞬にしてウツノ都の中央広場全体を丸ごと飲み込んだ。
さらに、結界に組み込まれていた『不快な音の周波数だけを検出してカットする』というノイズ除去アルゴリズムが、呪いのサックスが放つ周波数を「敵対的ノイズ」と認識した。
その結果、広場では信じられない現象が起きていた。
プギャアアア! と響き渡っていたサックスの呪いの騒音から、ズレている「ノイズ成分」だけが、位相干渉によってピンポイントで完全に相殺・カットされたのだ。
すると、残されたサックスの本来の音、つまり完璧にチューニングされた、極めてクリーンで艶やかな『至高のジャズメロディ』だけが、広場全体に美しく響き渡り始めた。
『……プォォォォォン……♪ シャバダバ……♪』
「な、なんだこれは……!? 呪いが消えてゆく……!」
踊り狂っていたサックス奏者が、驚愕して目を開けた。
彼のサックスから流れているのは、もはや狂気の呪いではなく、聴く者の魂を優しく包み込み、涙を流させるほどの、極上のジャズ・セッションだった。
不協和音が完璧に濾過されたことで、サックスの内部に巣食っていた呪いの魔力も、美しい音波の循環によって自動的に浄化され、霧消していった。
「美しい……。なんて素晴らしい音色なんだ……!」
「呪いの悪魔の楽器が、伝説の名器に生まれ変わったぞ!」
広場にいた都の市民たちは、その極上のジャズの旋律に酔いしれ、うっとりと音楽に身を委ねて躍り始めた。
* * *
翌朝。
俺がすっきりと静かになった部屋で快適に目を覚ますと、ルナがワゴンを押して入ってきた。
ワゴンの上には、いつも以上に豪華なスープとパン、そして都の音楽ギルドからの「感謝の寄付金」と、額に入った『最高名誉音楽家』の認定書が置かれていた。
「先生、おめでとうございます。先生の『神聖調律』のおかげで、呪いのサックスは完璧に浄化され、都のジャズナイトは歴史的な大盛況で幕を閉じました。音楽ギルドの長が、先生を『音楽の守護神』として讃えております」
「……は?」
俺はスプーンを握ったまま、無表情の裏で本日最大級の絶叫を上げた。
(守護神ってなんだよ!!! 俺はただ外がうるさいから部屋の防音壁を張っただけだぞ!? 何で呪いが浄化されたら名器に変わるんだよ! てか名誉音楽家って何!? 俺、サックスどころかリコーダーすらまともに吹けねえよ!)
こうして、俺がただ「うるさくて眠れない」という理由で動いた結果、ウツノ都の音楽文化は神の領域へと超進化を遂げ、俺の名声はまたしても天井知らずに爆上がりしてしまったのだった。




