【本作について】
後世の人間は、彼を「幼少より奇跡を操る天才」と呼んだ。
白皙の美貌に狩衣を纏い、印を結べば鬼神を伏せ、式神を自在に操る——人々が思い描く「安倍晴明」の姿は、いつだって煌びやかな秘術と伝説の色彩に塗られている。
だが、あれはすべて後世の書物が生み出した幻影だ。
天慶の世、京の都に生きていた実在の安倍晴明は、そんな画集から飛び出したような華々しい存在ではなかった。
彼が二十代後半を迎えた頃、その身にあったのは官人としての華々しい地位などではない。中流貴族の出であるにもかかわらず、宮中の雑務と宿直に追われる「大舎人寮」の下級役人——それが、史実という冷徹な鏡に映る彼の本当の姿だった。
当時の平安京は、生まれ落ちた血筋と家柄がすべてを決める階級社会である。皇族や名門の仔息が若くして位階を駆け上がる傍らで、家格の低い晴明には、どれほど人外の才能があろうと陽の当たる道など用意されていなかった。彼が歴史の表舞台である「陰陽師」の官職に就くのは、実に四十一歳という、当時としては老境に差し掛かる時期まで待たねばならない。しかもその前年、四十歳の晴明は将来、博士候補である特待生とはいえ、学生の身分だった。
しかし、歴史の空白となったその二十代の闇の中にこそ、真の物語は眠っている。
晴明は夜の宮中で泥くさい警護や雑務をこなしながら、陰陽道の大家・賀茂忠行にその異才を見出され、私的に弟子入りしていた。忠行とその息災にして若き天才・保憲の父子のもとで、晴明は密かに天文と陰陽の理を研ぎ澄ましていく。
出世の遅れと官僚機構の理不尽さに押し潰されそうになりながらも、彼は都の陰に蠢く「人ならざるもの」の気配を、誰よりも鋭く察知していた。
陰陽寮が「払うべき禍」として鬼を刃と呪法で切り捨てる一方、都の闇にはもう一人の男がいた。
醍醐天皇の孫という高い血筋に生まれながら、政治の野心を持たず、夜の静寂に管絃の音を響かせる男——源博雅。こちらも後世のフィクションによって安倍晴明の親友のイメージが強いが、二人の接点は記録にはない。本作では文献に忠実に以下のような立場で取り扱う。
博雅は鬼を払うのではない。闇の奥に潜む鬼と笛を吹き交わし、心をあわせ、互いの笛を交換してみせる。
異界を「正す」陰陽寮と、異界と「調和」する博雅。
ふたつの異なった視線が交錯するとき、平安京の闇はただの恐怖ではなく、どこか切なく生々しい顔を覗かせるのだ。
これは、後世に語り継がれる「大陰陽師」になる前の、泥と墨に塗れた一人の若者の物語。
歴史の行間に埋もれた、遅咲きの天才が歩む、もうひとつの平安怪異譚である。
※参考資料 四人の経歴年表
安倍晴明(921年生)
• 40歳(960年):天文得業生(史料初出)
• 41歳頃(961年):陰陽師
• 51歳(971年):天文博士
• 70代後半〜80歳頃:従四位下
典型的な遅咲き。40歳でようやく記録に現れ、天文博士までさらに10年かかっている。陰陽頭には就任していないが、位階は陰陽頭を超えた。長寿がなければここまでの評価は得られなかった。実力主義の世界ではあるが、スピード自体は遅い。
源博雅(918年生)
• 16〜17歳(934年):従四位下(二世王の蔭位)
• 41歳(959年):右近衛中将
• 56〜57歳(974年):従三位(公卿)
醍醐天皇の孫なのでスタートは早いが、その後の昇進は極めて緩やか。最終従三位で、政治的野心が薄く、管絃の名手として名を残した人物。出世スピードは遅い部類。
賀茂忠行(生没年不詳)
• 949年:正六位上・近江権少掾
• 952年:従五位下
• 959年:丹波権介
• 陰陽頭就任の記録は確証なし
生年が不明なため年齢計算はできない。中級官人として着実に昇進し、陰陽道・天文道・暦道を一手に掌握して賀茂家を確立した功績は大きいが、位階は従五位下止まり。
賀茂保憲(917年生)
• 24〜25歳(941年):暦生として造暦宣旨
• 35歳頃(952年):従五位下・暦博士(父より先に昇進)
• 40歳頃(957年):陰陽頭
• 43〜44歳(960年):天文博士
• 57歳(974年):従四位上・主計頭
陰陽家としては極めて速い。父を追い越して昇進し、陰陽頭を務め、従四位まで到達した。当時の陰陽師の中ではトップクラスの出世スピード。
総括すると、道真と保憲が「実力による異例の速さ」、晴明と博雅が「遅咲き/緩やか」、忠行は生年不明で評価しにくい、という構図になる。




