第8話 出会い
ロザリアは脇道へ逸れて、人の波を抜けた。
少しだけ歩を緩めて、深く息を吸う。そして、己の魔力を体外へ、広く行き渡らせることをイメージする。
「魔力探知の魔術」だ。生き物の持つ魔力を捉え、目の届かない範囲にいるものも、ぼんやりと感知することができる。
軽く探ってみた限り、今いる平民街の東地区内には、高い魔力を感じない。入り込んだという魔物は、さほど大きくはないのだろう。ひとまず安堵する。
次いで立ち止まり、探知の精度を上げていく。高い魔力を持つ存在のことは、無意識に探知してしまうほど見つけやすいのだが、魔力が低い存在ほど見つけづらくなる。さらに魔物の魔力となると、ロザリアは探し慣れていないが……
(……いましたわ!)
黒いモヤのような魔力の塊がぽつぽつと見える。通常、明るい光として映る人間の魔力とは、明らかに異なるものだ。
いくつかは兵士のものと思しき魔力に取り囲まれているが、まだ野放しになっているものもいる。
ロザリアはローブの上から手でなぞって、魔道具を持ってきていることを改めて確認した。そして、魔物の魔力が見えたほうへと道を曲がった。
心臓が早鐘を打つのを自覚しながら、ひとつの路地を抜けた。
──途端、空気がひりついた。
これが魔物の気配。肌がざわつく。薄暗い森の奥深くから這い出てきたかのような、冷たく淀んだ空気だった。明るく賑やかな街には、似つかわしくない。
すぐ近くにいる。そう身構えたのと同時、通りの角から姿を現した。
黒紫のモヤに包まれた生き物──魔物だ。ロザリアの前に現れたそれは、犬のような形をしていた。
魔力探知で見た通り、さほど大きくはない。肉体を持たず魔力のみで形作られている魔物という生き物は、魔力の高さがそのまま、強さを表していると聞く。
(これなら、わたくしでも!)
ロザリアはローブの袖をまくり、右手を前に掲げた。
しかし──魔術を繰り出すよりも先に、背後から何者かが飛び出してきた。
「!?」
ロザリアは驚いて手を引っ込めた。
魔物を目掛けて、一直線に光の筋がきらめく。それが剣によるものであると理解したときには、魔物の身体が真っ二つに割れていた。
一瞬の出来事であった。
魔物を形作っていた魔力がボロボロと崩れ、やがて灰のように霧散した。
立ち尽くすロザリアの前には、騎士の外套が揺らめいていた。
(どなた、かしら……?)
背の高い男の後ろ姿は彫刻のように凛々しく、曇りのない頼もしさに満ちていた。
彼は剣を鞘に戻し、こちらへ振り向いた。
「──」
翡翠色の瞳が、ロザリアを真っ直ぐに捉えた。瞬間、息が止まった。呼吸を忘れてしまうほどの、得体の知れない衝撃が、ロザリアの頭と身体を支配した。
くっきりとした端正な顔が、背の低いロザリアを見下ろして、気遣わしげな視線を投げかけている。長身に良く似合う騎士団の制服は、敵を見惚れさせるために着ているのだと言われても不思議ではなかった。
彼から目を離せない。だというのに、今すぐ逃げ出してしまいたいような衝動が渦巻いている。
何らかの魔術をかけられたのだろうか。しかし、民を守るべき騎士が、唐突に魔術をかけるはずがない。現に、ロザリアを魔物から守ってくれたのだ。危害を加えるわけがない。
そう思っているうちに、彼が口を開いた。
「──怪我はないか?」
「……!」
声をかけられ、心臓が止まるかと思った。少しぶっきらぼうに、けれど力強く発せられた声は、ロザリアの耳の奥でぐるぐると繰り返された。
そうして返事をできずにいると、
「無理もない。失礼する」
「へ?」
彼はロザリアに一歩近づき、側にしゃがみ込んだ。次の瞬間、ロザリアの足は宙に浮かび、視界は空を向いていた。
突然のことに、今度こそ魔術を使われたのではないかと疑った。けれど、これも魔術ではないとすぐに悟った。二本の逞しい腕に、背中と膝の裏をしっかりと支えられているのだから。
ロザリアの身体は、騎士によって抱きかかえられていた。わけもわからず、とっさに彼の顔を見た。
(お、お顔が近いですわ……!)
思ったよりもすぐ近くに彼の顔があって、ロザリアの視界はぱちぱちと弾けた。「炎の魔術」が出てしまいそうなくらい、頬が火照って仕方がなかった。
男の人から横抱きにされることも、心臓の音が伝わるくらい密着することも初めてだ。
彼の心音は静かで穏やかなのに、ロザリアの心臓は、胸から飛び出しそうなくらいドキドキしている。
身体がおかしくなってしまったのだろうか。接触している腕や胸板の感触を妙に意識してしまい、身動きが取れなくなった。
(と、とにかく、降ろしていただかないと……!)
きっと、魔物への恐怖で固まってしまったと思われたのだろう。運んでもらう必要はないと、申し出ようとした。
しかし、彼の視線が目と鼻の先でロザリアのそれと交わり、あっけなく喉が封じられた。
そんなロザリアをよそに、騎士が再び口を開く。
「……少しだけ、辛抱してくれ」
見つめられたまま、気遣わしげな声をかけられる。さきほどよりも近くで、少し照れくさそうな声は、なぜだか「甘く」聞こえて……
「ひっ──」
小さな悲鳴を上げ、感情の限界を超えたロザリアは、騎士に身体を預けたまま、見事に気を失った。




