第50話 突然の別れ
祖父母との話を終え、旅の支度をしたロザリアたちは、さっそくテオの待つ騎士団詰所へと向かうことにした。ユースと共にオブシディアン家の人たちに見送られながら、気を引き締めて屋敷を出る。朝の明るい街を歩く道中、ロザリアはシュヴェルトに改めて礼をした。
「シュヴェルト様。先ほどは、ありがとうございました。お世辞でも嬉しかったですわ」
祖父母の前では、買い被りすぎだと否定してしまったけれど、彼のくれた褒め言葉を嬉しく思ったことは確かだ。それを今一度伝えておきたかったのだ。
シュヴェルトはロザリアを見下ろして、小さく首を振った。
「礼には及ばない。正当に評価したまでだ」
そう言って彼は、見る者を力づけるような、曇りのない笑みを浮かべた。朝日に負けないその眩しさに思わず目を細めたが、そう簡単には絆されないぞ、と跳ね上がりそうになる心を落ち着けた。
ロザリアとて、この旅の中でシュヴェルトの笑顔にも多少の耐性がついてきているのだ。彼の翡翠色の瞳にまっすぐ見つめられていたとしても、せいぜい、頬が熱くなって、胸が締め付けられて、息がちょっと苦しくなるだけだ。
「まあ、お上手ですこと……本当は、わたくしを褒めちぎってお祖父様たちに安心してもらおうという、ユースお兄様の策略だったのでしょう?」
ロザリアは何でもないように言った。するとシュヴェルトは、きょとんとしたように目を丸くした。同時に、前を歩いていたユースの笑い声が聞こえてきた。
「はは。なるほど、君はそう思っていたのか。あながち間違いではないけれど……僕がシュヴェルトに話を振ったのは、彼なら素直にロザリアを褒めてくれると思ったからだよ」
ユースが軽く振り向きながら言う。ロザリアがシュヴェルトの顔をちらりと見上げると、彼はわざとらしく目を逸らした気がした。心なしか、頬が赤らんでいるようにも見え、ロザリアは目を瞬いた。
「それに、シュヴェルトがお世辞を言えるように見えるかい?」
ユースが揶揄うように付け加えた。
「それは……確かに……」
ロザリアが思わず呟くと、シュヴェルトは気まずそうに頬をかいてから、再びロザリアと目を合わせた。
「……仕方がないだろう。ロザリア嬢に言わせれば、私は『堅物』だそうだからな」
今度はロザリアが目を丸くした。それは、シュヴェルトとセレンの関係を誤解していて、彼に言い過ぎてしまったときの言葉だ。
「まあ! 根に持っていらっしゃるの!」
咎めるように声を高くして言うと、シュヴェルトは悪戯っぽく口端を上げて笑った。それがロザリアの頬をより一層火照らせた。
(ずるいですわ……そんな顔をされてしまっては……)
失言を掘り返された焦りなど、すっかり吹き飛んでしまった。この旅でいくら彼の笑顔を見慣れたとしても、見飽きる日がくることはないように思われた。
「ふふ、僕の知らない間に色々あったんだね」
ユースが微笑ましげに呟いた。
*
そんな話をしながら、三人は騎士団の詰所へと辿り着いた。ここからはテオを含めた四人の旅となるだろう。馬をもう一頭借りるか、また馬車の旅に戻ることになるかもしれない。
詳しい相談はテオと合流してからということで、ロザリアたちは詰所の庭を通り、彼が待っているであろう馬小屋へと向かった。
予想通り馬小屋にいたテオは、小さく声をかけながら馬と触れ合っていた。けれど、すぐにロザリアたちの気配に気がついて振り向いた。
「その様子じゃ、うまくいったみたいだな」
「ええ。お待たせしましたわね」
テオは馬から離れ、こちらへ歩み寄る。そして意外にも、真っ先にユースへ話しかけた。
「あんた、馬は乗れるか? いや、嬢ちゃんが乗れるなら乗れるよな」
「あ、あぁ。それなりには……」
唐突に切り出され、ユースは不思議そうに答えた。ロザリアもテオが何を言い出すのかわからなかった。馬を借りるかどうかの話だろうか。けれど、続く言葉は思いもよらないものだった。
「なら、こいつに乗っていけ。俺が乗ってきた馬だ」
今しがた触れ合っていた白い毛の馬を顎で示して言った。
「それじゃあ、君はどうするんだい?」
ユースにそう問われ、テオは気まずそうに頭をかいた。
「……俺は行かねぇ」
「え?」
テオ以外の声が重なった。
「行かないって……どういうことですの?」
思いがけず、問い詰めるような声音になってしまった。当たり前のように、同行してくれるものだと思っていたからだ。
三人がテオに視線を向けた。少し沈黙が流れたあと、テオはそれに耐えきれなくなったかのように、ついと目を逸らした。
「……少なくとも、あんたらと一緒には行かねえ。王女サマに会いに行くんだろ? だったら俺は場違いだ」
「それなら問題はない。君が危険な人物でないことは、私が保証しよう」
シュヴェルトが胸を叩いてみせる。けれどテオは首を横に振った。
「そういう心配じゃねぇ。俺自身が、王女サマになんて会う気になんねぇんだ」
「しかし……」とユースが言いかけて、遮るようにテオが言った。
「遠慮すんな。馬は副団長サマ御一行に、ってんで貸し出されてんだ。俺の代わりに乗っていってやれ」
テオはそう笑ったが、ユースは困ったような表情のままだった。ロザリアもきっと同じ顔をしているだろう。だって、セレンを追いかけるよう焚き付けたのは、他でもないテオだ。あのときから、こうすることを考えていたのだろうか。
どこか、ばつが悪そうな様子を見るに、気まぐれで言っているのではなさそうだった。テオは、おちゃらけているように見えて、案外、自分の意思をしっかりと持っている。ロザリアたちへの同行を決めたのだって、どこかの貴族が反乱を企てているかもしれないことを知り、放ってはおけないという理由だった。
アメジスト侯爵が怪しいということがわかり、セレンを守ることに意識が向いている今、当初の目的から外れかけているのは確かだ。
それでも、じゃあさようなら、と二つ返事で見送る気にはなれなかった。ロザリアはそっぽを向くテオに一歩近寄った。
「ここから魔物が増えてきますのよ? 実際に魔物狩りを見せてもらえるかと期待しておりましたのに……」
テオを引き止めるために、こんなことしか思いつかないのがもどかしい。何と言えば彼の心に響くのか。それがわかるほど、ロザリアはまだ、テオという人間を掴みきれていなかった。
説得の姿勢にシュヴェルトが続いた。
「私としても、君がいてくれたほうが心強いのだが……」
二人の言葉を受けて、テオは照れくさそうに鼻を擦った。けれど、彼の意思は変わらなかった。
「へへ、あてにしてくれてたんなら悪いな。ま、俺も早いとこアメジスト領へは行くつもりだ。運が良ければまた会えるかもな」
テオは呆気なく、じゃあな、と手を振ってロザリアたちに背を向けた。その足取りは躊躇いを感じさせることなく、スタスタと遠ざかっていく。
「あ……テオさん……」
別れを惜しむ暇もなかった。出会ってから、同行することになったときも急だったけれど、去るときもまた急だ。だからといってロザリアの気持ちは、出会う前に元通り、とはいかなかった。
ここへ来るまでも三人だったはずなのに、何だかすっかり静かになってしまったように感じた。
「……仲良くなれたと思っていたのは、わたくしだけだったのでしょうか……」
ゆっくりと別れの言葉や礼を言うことすらさせてくれなかった。そういうのを嫌がりそうな人だとはわかっていたけれど、こんなに呆気なく別れてしまえるほど、ロザリアたちとの旅は、テオにとって淡白なものだったのだろうか。
俯いたロザリアの肩に、そっと手が添えられた。ユースの手だ。
「そんなことはないと思うよ。だって、僕たちが来るのを待たずに行ってしまうこともできただろう?」
ロザリアは顔を上げる。ユースはテオと出会って間もないからこそ、確信を持っているようだった。
シュヴェルトも同意するように、ゆっくりと頷いた。
「テオもああ言っていたのだから、案外またすぐに会えるかもしれないぞ?」
シュヴェルトはロザリアを励ますように優しく微笑みかけた。ロザリアは釣られて笑みをこぼした。
「ふふ。そうですわよね。では、またお会いできたそのときには、たっぷりと文句を言ってあげましょうか」
テオの去っていったほうを見つめながら、ロザリアは呆れたように笑った。




