第46話 オブシディアン家へ
オブシディアン領は魔術の普及に力を入れており、特に魔道具の作成や研究が盛んなところだ。
かつては貴族の特権とされていた魔術というものが、近年において民の手にも届くようになったのは、魔道具の性能や生産技術が向上したおかげである。その功績を語るにおいて、オブシディアンの名は外せない。
領地の要である中心街には、王都のように魔術障壁が施されていた。王都を出てから立ち寄った街の中では一番大きな街である。
「水の魔術」を駆使した治水事業や、「風の魔術」で街路の掃除を効率化させるなど、魔術を惜しみなく民の生活に根づかせ、王都に引けを取らない清潔さを保っている。
魔術に秀でているという点では、ロザリアの実家であるルベウス領と近い部分もあり、どこか街の雰囲気も似通っていた。この街は母の故郷でもあるので、ロザリアは何度か訪れたことがある。オブシディアン家の屋敷の場所もしっかりと覚えている。
ただ、ここへ来るときはいつも母と一緒だったため、そうでない今日は少し緊張していた。
しかも今は、シュヴェルトが一緒なのだ。
母はロザリアが想い人と旅に出るつもりなのだと勘違いしていた。オブシディアン家にいる祖父母にまで、そんな誤解が伝わっていないといいのだけれど……。
従兄のユースが帰ってきているかもしれないという状況の中で、シュヴェルトの友人でもある彼の耳にも入っていたら、恥ずかしいどころではない。シュヴェルト本人にロザリアの気持ちがバレてしまう恐れもある。
結果的に、母の勘違いが現実となっている今、否定できないのが厄介なところだ。せめて、この旅が終わるまで……シュヴェルトが護衛の任から外れるまでは、恋心を知られるわけにはいかないのだ。
無事に街へたどり着いたというのに、ロザリアはひとり、そんな懸念に囚われていた。
この街にも騎士団の詰所はあった。王都の本部には及ばないものの、道中で訪れたどの詰所よりも立派な建物が構えられていた。まずはそこへ立ち寄り、馬を預けてから、三人でオブシディアン家の屋敷へ向かった。
空は赤く暮れ始めていた。街中に見られる魔術の活用を、シュヴェルトとテオに説明しながら、街の中央にある屋敷へ辿り着くと、使用人が正面の大きな門扉を閉じようとしているところだった。
顔を合わせたことのある使用人は、ロザリアの姿に気づいた途端、弾かれたように頭を下げた。彼は「少々お待ちください」と慌てて屋敷の中へ入った。
王都のオブシディアン家別邸へは、よく思いつきで遊びに行ったものだけれど、やはり急に訪れてしまうのは迷惑だったかしら。
そう思いはしたものの、来てしまったものは仕方がない。手入れの行き届いた庭と、それを眺めるシュヴェルトを無意識に眺めていると、少しも経たないうちにメイド長が出迎えた。
「まあ、ロザリアお嬢様! ようこそいらっしゃいました」
玄関へ足を踏み入れると、メイド長に続き、使用人たちが揃って頭を下げた。テオはむず痒そうに肩をすくめ、シュヴェルトは律儀に会釈をし返した。
そんな二人の様子を一瞥してから、ロザリアはメイド長に言った。
「急に訪ねてしまって、申し訳ありませんわね」
「いえ、とんでもございません。さあ、どうぞお入りください。お連れの方も」
そうしてロザリアたちが案内されたのは、一階の奥にある談話室だった。そこは広々とした絨毯敷きの部屋で、ロザリアが訪れたときにはいつも、祖父母とおしゃべりを楽しんだり、自分の家のようにくつろがせてもらっている場所だ。
暖炉の前にゆったりとした三人がけのソファがあり、その両隣に一人がけのソファが向かい合う。日当たりの良い窓際には、丸いテーブルを椅子が囲んでおり、そこに祖父と祖母が並んで座っていた。
祖父母はロザリアを見るなり、顔を明るくして立ち上がった。
「おぉ、ロザリア。よく来たなぁ。また大きくなったんじゃないか?」
「もう、お祖父様ったら。前にお会いしたときから、まだ一年ほどしか経っておりませんのよ? そんなに変わりはしませんわ」
ロザリアが呆れたように唇を尖らせると、祖母が小さく笑った。
「ふふ、そうねぇ。でも、前より大人びて見えるわ。時が経つのは早いものねぇ」
そう言いながら祖母はロザリアの手を取って、確かめるように撫でた。大人びたと言われるのは素直に嬉しい。けれど、少し恥ずかしくもあった。
以前の自分と違って見える理由の中には、シュヴェルトに恋をしていることも、間違いなく含まれている。それを自覚して、人知れず頬が熱くなった。
ロザリアはそのまま祖母に手を引かれ、暖炉の前の大きなソファに座った。祖父はその隣の一人がけのソファに座った。シュヴェルトとテオも座るよう勧められ、二人とも遠慮がちに窓際の椅子へ座った。
懸念していた母の勘違いは、どうやら伝わっていないようだった。でなければ、どちらが想い人なのだと真っ先に聞かれただろう。ロザリアはほっとして肩の力を抜いた。
そのとき、談話室の扉が開いた。現れたのはユースであった。やはり予想通り、オブシディアン領の本邸へ帰ってきていたのだ。
久しぶりに会った彼の表情は、どこか覇気がないように見受けられた。だが、すぐにそれを上塗りするかのように、いつもの余裕そうな笑みを浮かべていた。
「ロザリア、シュヴェルト。よく来てくれたね。えっと……そちらの方は?」
ユースはテオに目を向けて首を傾げた。唯一、彼の知らない人間だ。
「こちらはテオさんですわ。魔物狩りをしていらっしゃる方で、その……」
ロザリアは答えあぐねた。テオとの出会いを説明するには、魔術障壁を破った者の調査をしていることを言わなくてはならない。
祖父母へ会いにきた目的の一つに、周囲の領に怪しい動きがないかを聞くということがあった。だが、ロザリアがその調査をしていると知れば、心配させてしまうかもしれない。祖父母を前にして初めて、そのことに思い至って躊躇した。
そんなとき、
「──護衛みたいなものです。お気になさらず」
そう丁寧に答えた声は、紛れもなくテオの声であった。驚いてテオのほうを振り向くと、立ち上がって胸に手を当て、滑らかにお辞儀をしていた。ロザリアは目を丸くした。
ユースは「ふーん、そうかい」と、どこか納得していないようにも聞こえる返事をしたものの、それ以上言及することはなく、祖父の向かいのソファに座った。
ユースには聞きたいことがいろいろとあったが、まずは祖父母にせがまれて旅の話をした。
馬に乗ってきたこと。野宿をしてみたこと。小さな宿のデザートが美味しかったこと。道中でもらったブドウを、初めて自分で剥いて食べたこと……。
テオに教わった魔物狩りの話をし始めると、祖父母の興味はもっぱら、テオの持つ弓にそそられていた。
一見普通の弓に見えるが、魔道具であると彼から聞いている。魔道具で有名なオブシディアン領、その前領主夫妻である二人には、それが魔道具であると一目でわかったようだった。
テオがソファの前までやってきて、祖父母にもよく見えるように、弓を両手で持って膝をついた。
祖父が「すまんな」と礼を言ってから、弓に目を凝らした。
「ほう……弓の魔道具は、うちでもまだ量産には至っておらん。魔道具としては一点ものだな? うむ。よく手入れされておる」
祖母が同意するように頷く。
「きっと、腕のある方に作ってもらったのね。どこの職人さんか、ご存じかしら?」
「いえ……これは、祖母からの贈り物でして」
「あら、そうなのね。素敵な贈り物ですこと。これからも大事になさって」
そう言われ、テオは照れくさそうに「ありがとうございます」と頭を下げた。彼の見慣れない所作は、まるで別人を見ているかのようで、ロザリアは内心戸惑っていた。
思わずシュヴェルトのほうを見やると、同じくぽかんとした彼と目が合って、二人して首を傾げるのだった。




