第44話 不敬な賭け
太陽が真上を過ぎた頃、ロザリアたちはオブシディアン領に足を踏み入れた。オブシディアン家の屋敷がある中心街までは、まだ少し走らなければならない。けれど、馬を休ませるのも兼ねて、立ち寄った町で聞き込みをすることにした。
その町は領地の境に近いこともあり、大きな街の間に位置するこぢんまりとした宿場町といった雰囲気だった。
「情報収集するなら酒場だろ!」とテオが張り切った様子で向かうので、ロザリアとシュヴェルトは慌ててついていった。
テオは町の大通り沿いをきょろきょろと見回した後、賑わう声が外まで漏れ聞こえてくる一軒の酒場に目をつけると、両開きの扉を勢いよく押して入った。
「何盛り上がってんだ? 俺も混ぜてくれよ!」
テオは躊躇うことなく、盛り上がっている中央のカウンターに突っ込んでいった。
「おう兄ちゃん、いいところに来たな」
ロザリアが声をかける間もなく、テオは常連かのように、他の客たちの輪の中へ迎え入れられていた。彼は小さくこちらを振り返り、任せろと言わんばかりに目配せをした。
テオの馴染みやすさに感心しながら、ロザリアとシュヴェルトは念のため他人を装って、こっそりと隣のテーブル席に腰掛けた。
カウンター席にどしりと構えていた客が、ご機嫌そうにテオを招いた。
「今、セレンディーネ王女が誰と結婚するのかを賭けてんだ。参加するかい? 人数は多ければ多いほどいい」
(まあ! なんてこと!)
カウンターから聞こえた言葉に、ロザリアは思わず立ち上がりかけた。しかし、シュヴェルトに引き留められた。
「まあまあ。落ち着くんだ、ロザリア嬢」
「どうしてお止めになりますの! セレン様を賭けの対象にするなんて、不敬ですわ!」
ロザリアと関わりのない町ならともかく、ロザリアの伯父が統治するオブシディアン領内で、そんな賭け事が行われているなんて、放ってはおけない。
「それはそうなんだが……こういう場でこそ、忌憚ない話を聞き出せるかもしれないだろう?」
だからここは抑えて、とシュヴェルトは困ったようにロザリアを見つめた。その端正な顔に、まんまと絆されてしまうのは少々不本意ながら、ロザリアは口をつぐんで席に座り直した。
盛り上がっているカウンター席では、客が口々に誰へ賭けるのかを宣言し合っていた。そのうちの一人が言うことに、ロザリアは耳を澄ませた。
「俺はやっぱり、オブシディアン領民としてユース様を推すね。王女とは歳が同じで、王都では同じ学院に通ってるって話だ。昔から仲が良いって噂もある」
「王道だな。一番人気だ」
賭けの元締めをしているらしき客が平然と言った。
(まあ! ユースお兄様が人気ですの?)
手のひらを返すように、内心、喜んでしまった。それがバレたのか、向かいに座るシュヴェルトが、小さく笑みをこぼした。ロザリアは誤魔化すように咳払いをした。
賭けの是非はさておいて、自身も応援しているユースとセレンの結婚が、民にも支持されているというのを知り、存外悪い気はしなかった。
続いて他の客が言った。
「オレはアメジスト侯爵かな。王女と歳は離れちゃいるが、民に慕われてる。今まで独身だったのが不思議なくらいだが、王女と結婚するためだったと考えれば、本気なのが窺える」
「『アメジスト侯爵』か。最近二番人気に上がってきたな。魔術障壁の件もあったからだろう」
(魔術障壁の……?)
ロザリアが疑問に思ったのと同時に、賭けの輪の中にいるテオが尋ねた。
「魔術障壁がどうしたんだ?」
「知らねぇか? アメジスト領じゃあ、魔術障壁を新しく貼り替えようとしてるんだってよ。より強固なものにして、安全に王女を迎えるためだって言う輩もいる」
ロザリアと同様、耳を澄ませていたであろうシュヴェルトが、客の言ったことに眉をひそめて怪訝そうな顔をした。
「魔術障壁を貼り替えるだと? そんなことができるのか?」
他の客に聞こえないよう、彼は小声でロザリアに問いかけた。ロザリアは静かに首を振った。
「わたくしも聞いたことがありませんわ。魔術障壁を貼り替えるとなると……一度壊さねばならないのではないでしょうか」
通常、魔術障壁は初めに組み上げる段階が最も難しく、多くの魔術師が協力しなければ強固な守りは生まれない。どの街においても、魔術障壁が施された後には、補強を重ねて維持し続けているはずだ。一度組み上げられたものを「貼り替える」といった例は聞いたことがない。
アメジスト領は「東の森」に隣接しており、昔から魔物の被害が多い地域だ。
魔物は、薄暗いところを好む生き物であるため、森の中や海の底、地下の遺跡などに棲みつきやすい。国内最大規模の森林である「東の森」は、魔物が多く生息している危険な場所である。
そんな森と隣り合うアメジスト領は、魔物が魔力を求めて各地へ侵攻するのを食い止めるという、重要な役目を持った土地でもある。
だからこそ、アメジスト領で新たな魔術障壁を作り出そうとしているというのは、理にかなっていると言えなくはないが……
「アメジスト領でそんな試みをしているなど、陛下や宮廷魔術師たちからは聞かなかったぞ……」
シュヴェルトの訝しげな呟きに、ロザリアも同意した。
王都では、魔術障壁が破られるという前代未聞の事態に、国の中枢を担う者たちが議論を重ねていたのだ。同時期にそんな試みがあれば、話題に上がりそうなものだ。
彼らの耳にも入らなかったということは、アメジスト領が王家にも知られないよう、秘密裏に何かを企んでいるのだろうか。だとすると、王都の魔術障壁を破った犯人──目撃された貴族の正体は、アメジスト侯爵だったということも考えられる……そんな推理は、飛躍しているだろうか。
ロザリアたちが頭を悩ませているのをよそに、賭けのカウンターはまだ盛り上がっていた。
「わしは、大穴狙いで隣国オーラム王国の王子にするぞ! 確か、王女と歳の近いのがいたはずじゃ」
物知りそうな老人が言った。
「ほう。それは確かに大穴だ。この賭けには二十人以上参加してるが、初めて聞いた。当たれば総取りだぜ」
酒場の中がどよめく。テオが呆れたように鼻で笑った。
「ふっ。それはどうかな」
「なんじゃ小僧、お前も便乗するつもりか?」
「そんな狡いマネはしねぇよ。俺はユース坊ちゃんとやらに賭けるぜ」
「はっ、大口叩いておいて一番人気か」
「結局、それが一番固いんだよ」
そんなやり取りを聞き流していた、そのとき、酒場の扉が勢いよく開かれた。慌てた様子で飛び込んできた客に、賭けの賑わいは一瞬途切れ、
「おい、みんな聞いたか? 王女が──」
酒場に響いたその言葉に、ロザリアは顔を上げた。




