第42話 寝顔
(シュ、シュヴェルト様の隣で眠るだなんて……! ど、どうしましょう!)
すっかり忘れていた。誰にも見張りをさせずに眠るということは、そういうことだ。
立てた天幕は一つ。二度の寝返りは許されない。そんな狭さである。ちなみにロザリアの頭の中では、当たり前のようにシュヴェルトを真ん中にして寝る想定だ。
そんな心配をしていると、テオが横から布を一つひょいと取り上げた。彼はそのまま天幕から離れ、焚き火を挟んだ向かい側にさっさと陣取った。
「じゃ、遠慮なく休ませてもらうぜ」
「あ……そちらでよろしいですの?」
「俺は寝相が悪いんだ」
テオはそう言うと、どしりと腰を下ろして、ころんと寝転んだ。
思い切りの良さに、呆気に取られながら、ロザリアは頭を切り替える。天幕の下でシュヴェルトと二人? 広くなるとしても、それはそれで心臓に良くない気がする。
ロザリアはおそるおそるシュヴェルトを見上げた。彼はそんなロザリアの気も知らず、爽やかに微笑んだ。
「私はまだ少し起きている。気にせず先に休んでくれ」
「そ、そうですか……シュヴェルト様も、お早めにお休みになってくださいませ」
その言葉にシュヴェルトは頷くと、天幕の後ろにいる馬たちのほうへと様子を見に行った。
その背を見送りながら、ロザリアは要らぬ心配──あるいは期待──を跳ね除けるように、ぶんぶんと首を横に振った。
ひとり粛々と、天幕のなるべく端っこに、寝床用の布を敷く。寝転んで、ローブを身体の上にかける。枯葉の積もった土は案外ふかふかで、自然とあくびが出た。吸い込んだ空気に混ざった草の匂いは、昔セレンとよく遊んだ「ひみつきち」を思い出させた。
そうしてロザリアは、いつの間にか眠りについていた。
*
パチッ、という火の爆ぜる音で、ロザリアは、ふと目を覚ました。まだ空は暗い。けれど、寝始めたときよりも高いところまで月が昇っていて、辺りをほのかに明るく照らしていた。
ロザリアは寝ぼけ眼をこすりながら、周囲を見回した。焚き火の向こう、すぐ視界に入ったテオは、眠る間際に見た場所から、寝返り5回分ほど離れたところで、布にぐるぐる巻きになって寝ていた。寝相が悪いのは本当だったらしい。
それはさておき、シュヴェルトの姿が見当たらない。ロザリアの寝ていた天幕の隣にも、横になっていたような形跡はなく、一つ余った布が綺麗に畳まれたまま残されていた。
ロザリアは少し不安になって、魔力探知をした。テオの魔力の他には、並んだ三つの魔力。三人が乗ってきた馬たちのものだろう。そして、その馬たちの近くに、もう一つの魔力を見つけた。
ほっと息を吐く。ロザリアのいる天幕の後ろ側だ。
使い魔だけでは頼りなく、自分で見張らないと気が済まなかったのだろうか。いや。もしくは、ロザリアが出した使い魔だけに見張らせるのが、忍びなかったのかもしれない。真面目な彼ならそう思いかねない。
ロザリアは頭の中で独りごちて、やおら立ち上がった。どちらにせよ、まだ起きているのなら、「睡眠の魔術」を使ってでも休んでもらわなければ。そう張り切りながら、シュヴェルト用に置いてあった布を持ち、ロザリアは天幕の後ろにまわった。
魔力探知でわかっていたというのに、月明かりの下で実際にシュヴェルトの姿を見つけたとき、ロザリアの心臓はどきりと跳ねた。
彼は馬たちのそばで、木にもたれかかったまま眠っていた。片膝を立ててリラックスしたように座り、ゆっくりと息をするのに合わせて、肩が小さく上下していた。
ロザリアは音を立てないようにこっそりと近づいた。しかしそのとき、そばにいた栗毛の馬が耳をぴくりと動かして、目を覚ましかけたようだった。
薄らと瞼を開いた馬に向かって、ロザリアは咄嗟に、しいっと人差し指を立てた。すると、こちらの気持ちが伝わったのか、馬は小さく鼻を鳴らしてから、再び目をつむった。
(ふふ。いい子ですわね)
朝になったらいっぱい撫でてあげよう。そう思いながら、ロザリアはシュヴェルトのそばにしゃがみ込んだ。
持ってきた布を広げ、彼の身体にかけようとした。けれど、
(少しだけ……)
布を胸の前で握りしめたまま、ロザリアは彼の寝顔をそっと覗き込んだ。
翡翠色の瞳は伏せられた瞼の奥に。きゅっと引き結ばれた唇は、眠っていても彼の顔をどこか凛々しく見せた。
いつまでも眺めていたい。彼が眠っている今なら、どれほど眺めていたとしても、ロザリアの気持ちに気づかれることはない。
──この恋心を、シュヴェルトに気づかれるわけにはいかない。
ロザリアがそう思ったのは、恥ずかしい、などという甘い理由だけではなかった。
だって、わかっている。
シュヴェルトが、父の信頼に応え、ロザリアの護衛を引き受けた以上、彼がロザリアと同じ気持ちになることはないのだ。
旅の楽しさを、分かち合うことはできても、この恋を、そうすることはできない。
シュヴェルトが、守ると言ってくれたり、優しくしてくれるのは、ロザリアが護衛対象であるからだ。ロザリアだけが特別なわけじゃない。騎士として、真面目に仕事をしているだけだ。
……まあ、そういうところも、好きなのだけれど。
ロザリアは静かに息を吐いた。夜というのはどうも、感傷的になってしまっていけない。きっと、まだ寝ぼけているのだろう。
彼のそばから離れがたくなってしまう前に、自分もさっさと眠ってしまおう。
改めて、起こさないよう慎重に、彼の身体へ布をかけようとした。
──そのときだった。
規則的な寝息が不意に止まり、ぱちりと開かれた翡翠色の瞳が、鋭くこちらを捉えた。瞬間、
「きゃっ!」
強く腕を引かれた。かと思えば、ロザリアの視界は上を向き、身体は地面に押し倒されていた。
月を隠すように覆い被さった影──シュヴェルトが、ロザリアを見下ろしてハッとした。
「ロザリア嬢!? す、すまない。野盗か何かかと……」
シュヴェルトはすぐさまロザリアの上から飛び退いた。けれど、ロザリアは「石化の魔術」をかけられたかのように、瞬きひとつできなかった。
「もしかして怪我を!?」
月明かりに照らされたシュヴェルトの顔から、さあっと血の気が引いたように見えた。
「い、いえ、大丈夫ですわ。驚いてしまっただけで……」
まだ心臓がドキドキしている。副騎士団長の実力を、思いがけず垣間見た。とはいえ、ロザリアがここまで動揺しているのは、相手がシュヴェルトであるからにほかならない。だが、当の本人はそれを知らない。早く起きなければ、彼を心配させてしまう。
そう焦っていると、シュヴェルトがこちらへ手を差し伸べようとした。けれど、彼はためらうように、少しだけその手を引っ込めた。怖がらせたのではないかと心配しているのだろう。
ロザリアはそれを否定するように、咄嗟に腕を伸ばして、シュヴェルトの手を捕まえた。彼は意外そうにロザリアの顔を見つめたものの、振り解くことなく手を握り返した。そうして彼の手に支えられながら、ロザリアは身体を起こした。
「……布をかけようとしてくれたのか。ありがとう」
倒れた拍子に下敷きになっていた布を拾い上げ、シュヴェルトが申し訳なさそうに呟いた。
「いえ……その……」
姿が見えなくて心配したのだとか、寝顔を見ていたのだとか、彼を和ませようとして、言いたいことがいくつも頭に浮かんだ。けれど、余計なことまで伝わってしまいそうで、
「……おやすみなさい」
ロザリアがかろうじて言えたのはそれだけだった。
「あぁ、おやすみ」
昼間に聞くよりどこか落ち着いた声に、どうしようもなく胸をくすぐられる。後ろ髪を引かれながら、ロザリアは天幕の下へ戻った。
焚き火に照らされた赤い頬を、使い魔のフクロウだけが、首を傾げて見ていた。




