第39話 宿での攻防
馬車の足では日暮れまでに次の街へは入れないだろうと、今日は手前の小さな町で泊まることになった。
そこは町というよりも農村の集会所のようなところで、住んでいるのは人よりも牛や馬、羊などの動物のほうが多かった。
騎士団でもこの町から馬を買い付けることがあるらしく、その縁で、民家の一つが騎士団の詰所となっていた。
素朴な外観の詰所前で馬車を降り、御者をしてくれた騎士団員と別れ、ロザリアとシュヴェルト、テオの三人は宿を探しに町を歩くことにした。
「こんな小さい町に宿なんてあるのかよ? 俺は野宿でいいから、嬢ちゃんは詰所に泊まらせてもらったらどうだ?」
副団長のシュヴェルトだけならともかく、小さな詰所の中で、団員ではないロザリアとテオの二人ともが泊まるのは厳しそうだった。けれど、テオについてきてもらっておいて、一人だけ野宿をさせるのは気が引ける。
「それなら、わたくしも野宿をいたしますわ! やり方は学院の野外活動で心得ておりますもの」
むしろ、学んだことを積極的に実践したいという気持ちもある。だが、シュヴェルトが眉間に皺を寄せて嫌そうな顔をした。
「ロザリア嬢に野宿をさせるわけには……」
シュヴェルトが言い渋ると、テオが肩をすくめる。
そうしてテオが気だるげにそっぽを向いたとき、何かに気づいたように「あ」と声をこぼした。
「良かったな。あそこに宿屋の看板があるぞ」
テオの指差した場所へ目を向けてみると、他の民家よりもほんのひとまわりだけ大きな建物に、宿屋を示す木彫りの看板が掲げられていた。
シュヴェルトが、ほっとしたような顔をする。
間近で見てもただの民家にしか見えなかったが、宿であることを信じ、彼が扉を引くのを見守った。
シュヴェルトが先陣を切って足を踏み入れ、ロザリアは後ろから中を覗く。しかし、部屋の中には誰もいなかった。
ただ、宿であるのは本当らしく、入口の目の前にはカウンターがあり、そこに従者を呼ぶようなベルが置いてあった。
テオが躊躇うことなくベルを振り、カランカランと音を鳴らすと、奥から「はいはーい」と軽い返事が聞こえてきた。
カウンターの奥から……ではなく、裏口の扉を開けて、よく日に焼けた店主が麦わら帽子を脱ぎながら出てきた。
「お待たせしてすみませんねぇ。えーっと、三部屋でいいですか?」
店主がカウンターの中に入って、帳簿らしき紙と筆を取り出す。しかし、書き始めるのを遮るようにシュヴェルトが言った。
「いや、私はただの付き添いだ。二部屋で頼む」
やはり彼は騎士団の詰所に泊まるつもりらしい。ロザリアは少しがっかりして、シュヴェルトの顔から目を逸らした。
店主が頷き、カウンターの内側を漁って鍵を用意しようとする。しかし、それもまたテオが手で制した。
「待て。それなら俺も遠慮しておく。素性の知れないやつと同じところに泊まりたくねぇだろ?」
テオはロザリアに向かって言った。その意図がつかめず、ロザリアは首を傾げる。
「何をおっしゃるのです? 魔物狩りをしているテオさんでしょう?」
「あー……それは俺が勝手に言ってるだけだろ? 本当は、悪巧みをしてる悪いやつかも知れねぇぞ」
テオは片方の口端を上げ、わざとらしく悪ぶって言う。
「そんな姑息な人ではないことは、大事にされた弓を見ればわかりますわ」
なぜそんなことを言い出すのかわからず、ロザリアは語気を強めて言い返した。
魔道具を使いこなすには、身体の一部かのように、手や肌に馴染ませなければならない。魔術や道具と真剣に向き合っていなければ、そうはならない。
ロザリアが少し睨むように見つめていると、テオがため息をついた。
「あのな、嬢ちゃん……簡単に人を信用しちゃいけねぇぞ」
なぜだか説教をされる始末。そこまでして自分のことを警戒させたいのだろうか。そう言うのなら、むしろ信用できると思うのだが。
納得がいかないでいると、シュヴェルトが二人の間に入った。
「なら、こうしよう。私もここに泊まり、テオが悪さをしないか、警戒しておく。これで安心できるか?」
それをテオ自身に聞くのが、なんだか少しおかしくて、ロザリアはつい頬をほころばせた。
「わかったよ……ったく。俺も、お人好しだよなぁ……」
テオは金髪の頭をかきながら、呆れたように笑った。
「おや、決まったかい?」
三人を待ってくれていた店主が、のんびりとした声で聞く。
「ええ、三部屋でお願いしますわ!」
ロザリアは指を三本立てて、意気揚々と宣言した。
*
部屋と夕食の準備ができるまで、ロザリアたちは、店主や町の人たちが育てている動物たちを見学させてもらった。
ロザリアが牛の大きさに圧倒され、テオが鶏につつかれている中、シュヴェルトはやはり騎士らしく馬を気にしていた。
「ふっ……元気がいいな」
馬を撫でながら、誰に聞かせるでもなく呟いた彼は、今まで見たことのある笑顔とはまた違った、あどけない表情を浮かべていた。
ロザリアはそれをしばらく眺めてから、
「……シュヴェルト様は、馬がお好きなのですね」
横から声をかけると、彼はこちらを振り向いて、意外そうに「え」と声を漏らした。
「そう見えたか?」
首を傾げるシュヴェルトに、ロザリアは微笑みながら頷く。彼は「そうか……」と呟きながら照れくさそうに眉を下げた。
「仕事柄、関わることが多いからな……自然と好きになっていたのかもしれない」
恥ずかしそうにはにかむ彼を見て、ロザリアは胸がいっぱいになった。馬を想って浮かべた笑顔なのだから、自分がドキドキしてしまうのは、変だ。馬にも申し訳ない。そう考えようとしても、シュヴェルトから目を離せない。
そんなロザリアの気持ちが伝わったのか、もっと撫でろと言わんばかりに、馬が小さく鼻を鳴らしたのだった。
そうこうしているうちに、夕食の準備ができたと店主が呼びにきた。
客室が狭いとのことで、宿の一階が食堂を兼ねており、三人で一緒に食べることになった。
メインディッシュは、畑で採れたばかりの新鮮な野菜と、のびのび育った羊の肉を、甘塩っぱく味付けしてグツグツ煮込んだものだ。実物の羊を見たばかりだと、少し心苦しかったが、感謝しながら残さず食べた。
そのあとには、牛のミルクと鶏の卵で作ったというデザートまで出てきた。店主は「おかわりもあるよ」と言ってくれたが、食べすぎてしまいそうなので一度で我慢した。テオは遠慮なく三度もおかわりしていた。
美味しいものを食べられて、お腹も心も満たされた。そう思いつつも、こんなふうに旅を楽しんでいていいのかという不安が、どうしてもよぎってしまう。
「いいのでしょうか……」
「何だよ。やっぱり三皿は食べ過ぎだってか?」
テオが三皿目のデザートをスプーンで掬いながら言った。
「違いますわ……ただ、不安に思ってしまいましたの。こんなにゆっくりしてしまっていいのでしょうか、と……」
王女を狙う危険人物がどこかに潜んでいる。それがいつ、再び王都に現れるか、わからない。本当なら、昼夜を問わず進むべき状況だ。
今日は日が暮れるからと、この町に留まったが、急ぐ旅なら、行けるところまで進んで、野宿をすればいい。
そうしないのは、シュヴェルトが父から護衛を頼まれたことを気にして、ロザリアに野宿はさせられないと考えているからだ。
移動手段に馬車を使っているのだってそうだ。シュヴェルトだけなら、単身で馬に乗ってもっと早く街を巡れたはずだ。
「気にしなくていい。あくまで、ロザリア嬢の護衛が最優先だからな」
シュヴェルトは予想通りのことを言う。ロザリアはまだ不安を拭えなくて俯いた。その気持ちを見透かされたのか、彼は励ますように続けた。
「焦る必要はない。私たちのほかにも、この地域に詳しい兵たちがすでに調査へ動いている」
シュヴェルトの言葉に、デザートを食べ終わったテオが口を挟んだ。
「この人は副団長サマなんだぜ? 部下からの報告をどっしり構えて待ってりゃいいんだよ」
機嫌が良さそうに、軽い口調でニヤリと笑う。シュヴェルトも釣られたように頬をほころばせた。
「そうかもしれない。団員たちは優秀だからな。おかげで、良い旅をさせてもらっている」
ロザリアも馬車の中で、同じことを考えていた。良い旅だ、と。彼もまたこの旅を楽しめているのなら、いくらか心が軽くなる。けれど、ロザリアだっていつまでも気遣われてばかりではいられない。
(シュヴェルト様に、気を遣わないでいただきながら、調査を急ぐ方法……あ! 良いことを思いつきましたわ!)
ロザリアは心の中でひとりごち、パッと顔を明るくした。




