第33話 目撃者
翌朝。ロザリアはすっきりとした気持ちで目を覚ました。慣れない旅で知らぬ間に疲れが溜まっていたのか、朝までぐっすりと眠ることができた。
宿の客室に運ばれてきた朝食を食べ終えて、ロザリアは念入りに寝癖を直し始めた。いつもはメイドにやってもらうことが多いが、身だしなみを整えることくらいなら、自分一人でも慣れたものだ。
客室に備えつけてあるドレッサーの前に座りながら、「水の魔術」で跳ねた毛束を濡らし、「風の魔術」で丁寧に乾かしていく。この繊細な水量や風量の調節は、ロザリアが天才魔術師であるからこそできる芸当だ。
(このくらいでいいかしら……でも、このあたりも気になりますわ……)
そうして鏡と睨み合いつつ、ふと、隣にあった窓から外を覗くと、
(あ……あれは、シュヴェルト様ですわ!)
二階の客室からは、通りの様子がよく見えた。往来する人々の中で、背の高いシュヴェルトの姿は、一際目を引いた。
ロザリアは自然と手を止めて、彼の姿を目で追っていた。どこへ向かうのだろう、と眺めていると、彼は真っ直ぐ、こちらのほうへと歩いてくる。
何のことはない。彼はロザリアを迎えに来たのだ。
(……はっ! いけない! ぼうっとしている場合ではありませんわ!)
ロザリアは急いで支度を済ませ、客室を出た。
玄関ホールへ降りると、ちょうどシュヴェルトが宿へ入ってくるところだった。
「お、おはようございます、シュヴェルト様!」
焦って出てきた勢いのままに、ロザリアは真っ先に大きな声で挨拶をした。朝であってもシュヴェルトは、いつもと変わらぬ凛々しさで、爽やかに挨拶を返した。
「おはよう。よく眠れたか?」
「ええ、おかげさまで、ばっちりですわ!」
浮かれたように声が高くなってしまい、ロザリアは恥ずかしくなりながら、ぎこちなく笑った。それでもシュヴェルトは満足そうに「なら良かった」と頷いた。
彼は出迎えた宿の従業員と一言二言話し、ロザリアも彼らに礼を言ってから、二人で宿を出た。
宿のご飯が美味しかったことや、客室からシュヴェルトが見えたこと。他愛もない話をしながら、二人は町を歩く。東へ向かう乗合馬車の乗り場を目指していたとき、
「副団長殿! お疲れ様です!」
シュヴェルトに声をかけたのは、昨日ロザリアが見たのとは別の衛兵だった。
「昨日お伝えした、目撃者のことなのですが……」
「待て」
衛兵が話そうとするのを鋭く遮ると、シュヴェルトはロザリアのほうをちらりと見た。ロザリアには聞かせたくない話だったのだろう。
しかし、もう耳に入ったからには、聞かなかったことにはできない。聞かなかったふりをする気にもならなかった。なぜなら、「目撃者」と聞いて、ピンときたからだ。
「目撃者というのは……もしかして、魔術障壁が破られた件でしょうか?」
周りに聞こえないよう、小さい声でシュヴェルトに囁いた。
「……ああ、そうだ」
彼は間を空けてから短く答え、気まずそうな顔をした。
魔術障壁に関することは、以前、内密にするという前提で少しは教えてくれたものの、はぐらかされたこともあった。目撃者についてがそうだ。
この件は、民への真相の説明が秘されているほどの重要事項である。部外者に口外するのが御法度であることは、ロザリアも承知している。
シュヴェルトの意向を察した衛兵の顔が、みるみるうちに青ざめていく。ロザリアのことを騎士団の協力者か何かだと勘違いしていたのだろう。
「し、失礼いたしました……! てっきり、その調査でいらした魔術師の方かと……」
自分のせいで頭を下げさせてしまったのが、気の毒だった。ゆえにロザリアは、
「そう思っていただいて構いませんわ」
「なっ……」
勝手にそう宣言した。焦ったように絶句したシュヴェルトを見上げて、すぐさま説得の言葉を並べ立てた。
「魔術障壁の件に関しては、わたくしも完全な部外者ではないでしょう? 調査が必要なのであれば、魔術師として、喜んでお手伝いしますわ!」
ロザリアが笑みを浮かべて、やる気を示すと、シュヴェルトは返事を渋ったものの、
「……わかった」
と、ため息混じりに答えた。
ロザリアは喜びに小さく飛び跳ねた。彼を困らせていることは、重々承知の上だったが、今だけは気にしないことにした。こうでもしないと、彼の仕事を手伝わせてはくれない。
そうしてロザリアたちは、騎士団の詰所へと向かうことになった。
*
騎士団の詰所は二階建てのこぢんまりとした建物だった。通された部屋は、会議をする場所なのか、大きな机が部屋の半分を占め、周りには椅子がたくさん並べられていた。隅には剣や槍が立てかけられており、壁紙も絨毯もない石造りの簡素な部屋だった。
ロザリアは勧められるまま適当な椅子に座ると、シュヴェルトが向かいに座り、衛兵はその隣に立った。
騎士団本部の応接室や執務室とはまた違った「仕事場」という雰囲気で、ロザリアは緊張感を抱いた。けれど、自分から協力すると言った以上、下手なことはできないと気を引き締めた。
「どこまで話したものか……」
向かいに座ったシュヴェルトがぽつりと呟く。耳ざとく聞きつけ、ロザリアは少しムッとした。
「まだ何か、隠し立てなさるおつもりですの?」
彼はぎくりとしたように目を丸くする。
「いや、すまない。往生際が悪かったな」
そう言って苦笑いをする。彼はひとつ息を吐くと、話し始めた。
「ロザリア嬢も察しているだろうが、何者かによって王都の魔術障壁が破られるところを、目撃した者がいたんだ」
「ええ。以前、はぐらかしていらっしゃいましたものね」
二人で執務室で話したときだ。魔術障壁を破った者が、魔物か人間かの確証も持てない中で、「目撃者がいれば……」と呟いたロザリアに、彼はあからさまに話を逸らしていたのだった。
ロザリアがわざとらしく不服そうに言うと、シュヴェルトは困ったように弁明した。
「あのときは何も話せなかったんだ。『目撃したであろう』と思われていただけで、まだ、目撃者たちの誰も、意識を取り戻していなかったからな」
「え……」
さっと血の気が引く。ロザリアは軽口を叩いたことを後悔した。
考えてみればそうだ。魔術障壁に穴を空けるほどの魔物、あるいは魔術師を目撃して、無事でいられる保証はない。
ロザリアが絶句していると、シュヴェルトが慌てたように付け加えた。
「大丈夫だ。一週間ほど前には皆、意識を取り戻した。魔力枯渇による気絶だったそうだ」
そう聞いて、ほっと息をつく。そして新たな疑問が生まれた。
「魔力の枯渇……? 気絶するほどとなると、何者かに魔力を吸い尽くされたということでしょうか?」
人間が体内の魔力を失うのは、魔術を使って自ら消費するときと、外部から魔力を吸い取られるときだ。
しかし、魔力を消費しすぎて気絶するほど、魔術を使ってしまうことはありえない。
魔力が枯渇すると命に関わる。「実現させたい」という意思が要となる魔術において、魔力を消費しきることを、生き物としての本能が許さないのだ。魔術をこよなく愛するロザリアでさえ、魔術の使いすぎで気絶したことはない。
シュヴェルトはロザリアの呟きを肯定するように目を伏せる。
「宮廷魔術師たちによると、魔術障壁に穴を空けるために、周囲の魔力をまとめて吸い取ったのではないか、との見解だった」
ロザリアは、うんうんと頷いた。魔力を吸い取られることにより、障壁を構成する魔力が局所的に薄くなって、破れたのかもしれない。
「魔力吸収」という術があるが、それは空気中の魔力を吸収して、体内の魔力を回復させるための術だ。個人の体内に保有可能な魔力量を超えて魔力を吸収することはできない。
その者のしたことは「魔力吸収」の範疇を越える。魔力の扱いが上手い者であれば可能かもしれないが、人を巻き込んでいる以上、よほどの悪意がなければできないだろう。
人を害することに、少しでも罪悪感を持っていれば、魔術を実現させるための「意思」は薄れ、失敗に終わる。
「そんなことができるなんて……人間だとは思えませんわ。やはり、魔物の仕業だったのでしょうか?」
シュヴェルトは、肯定とも否定とも言えないような仕草で首をひねった。
「目撃した者たちも同じようなことを言っていた。『人間だとは思えないくらいの、恐ろしさを感じた』と」
シュヴェルト曰く、倒れていたのは、警備していた衛兵を含む十数名。皆、東門付近で発見された。ロザリアたちが東門へ駆けつけた頃には、彼らはすでに保護された後だったという。
「ただ、間違いなく人間の姿をしていたという証言もある。だからこそ、恐ろしかったのだ、と。加えて……」
そこまで言うと、シュヴェルトは言い淀んだ。ロザリアが首を傾げると、彼は意を決したように口を開いた。
「魔術障壁を破ったその者は──貴族のような格好をしていたそうだ」




