第32話 ナンパなるもの
終点の宿場町に着き、シュヴェルトに手を取られながら、ロザリアは馬車を降りた。
乗合馬車の御者に礼をして見送っていると、町の入口に立っていた衛兵がシュヴェルトに気づき、素早く頭を下げた。彼が副団長という立場であることを、ロザリアは改めて感じた。
衛兵は何やら話があるようで、シュヴェルトに耳打ちをした。ロザリアは聞いていない素振りをするように、そっぽを向いて待っていたが、すぐに彼から声がかけられた。
「すまない、少し騎士団の詰所へ寄ってもいいだろうか」
「ええ。わたくしのことなら、お気になさらず。町の中を見ておりますわ」
シュヴェルトは「すぐに戻る」と言って詰所へと向かった。
一人になったロザリアは、彼に言った通り、町を見回してみた。王都の平民街と比べると、規模の小さい町だ。けれど、宿場町と呼ばれるだけあって、宿や食事どころが多く見られた。
そんな町並みを眺めていると、
「ねー、お嬢さん、この町は初めて?」
軽薄な声とともに、ふいに、目の前に見知らぬ男の顔が出てきた。ロザリアは肩をびくりと跳ねさせた。
隣から顔を覗き込むようにして、声をかけてきたのは、若い男だった。ロザリアは眉をひそめる。酒と香水の匂いがきつい。
声をかけられるまで気づけなかった。物珍しさにキョロキョロとして、油断していたからだろう。反省しながら、警戒する。
ロザリアは返事をしないでいたが、相手は尚も引き下がらなかった。
「おれのぉ、おすすめの店があるんだけど、一緒に行かなーい?」
格好をつけているつもりなのか、男は片目をつむり、肩に手をかけようとしてきた。ロザリアはその手をすり抜けながらも、圧倒されていた。
(これは……『ナンパ』というやつですわ……!)
知らない人に声をかけ、食事やお茶へ誘うという。自由恋愛が広がっている昨今、市井では、この手の声かけが流行っていると聞いたことがある。実物に遭遇して感動しながらも、毅然とした態度を取った。
「いえ、結構ですわ」
じりじりと後退り、距離を取りながら、ロザリアは腕に嵌めておいた魔道具を、袖の上から撫でる。そんなことには気づかない様子で男は、
「いーじゃん、遠慮せずに──」
「──遠慮するのはそちらだ」
突然の声に振り向くと、シュヴェルトがロザリアの後ろに立ち、男を睨みつけていた。それだけではなく、腰に携えた剣の柄を、ローブの下からわざと覗かせていた。
男は流石に気がつき、「ひぃ、おっかねぇ」と小さく悲鳴をあげ、小走りに去っていった。
その背中が遠ざかるのを見届け、
「手助けは、いらなかったか?」
シュヴェルトは、ロザリアの袖から覗く魔道具を見下ろして言った。
あの男が嫌なことを言うようであれば、口を縫い付け、指一本でも触れようものなら、氷漬けにするつもりだった。
一人でも大丈夫だということを見せつけたかった気持ちもあるけれど、ナンパ男なんかのために、大好きな魔術を使うことにならなくて良かったとも思う。
何より、彼が助けに来てくれたことが、不安も不快感も全て吹き飛んでしまうくらい、嬉しかった。
「いえ、助かりましたわ。ありがとうございます」
ロザリアは袖を整えてから、シュヴェルトを見上げて言った。彼は安心したように頷いた。
そうこうしているうちに、日は暮れていく。空を赤く染めていた夕陽は、いつの間にか地平線の向こうへ沈み、あたりは薄暗くなってくる。
「そろそろ宿を探さないと、いけませんわ……」
ロザリアは名残惜しく思いながら呟いた。しかし、
「その必要はない」
と、シュヴェルトが言い切った。
「騎士団で来賓用に使用している宿がある。待たせてしまったお詫びに、さきほど手配してきた」
「そんな……お気になさらないでと言いましたのに」
気を遣わせてしまっただろうか。ただでさえ、副団長直々の護衛をお願いしているこちらのほうが、申し訳ないというのに。
そう思っていると、シュヴェルトは首を横に振った。
「私のわがままだ。このくらいはさせてくれ」
まるで彼のほうからお願いをしているかのように、いつになく甘やかな声でそう言われた。眉を下げながら微笑まれてしまえば、ロザリアの頭は自然と頷いていた。
彼は「こちらだ」とエスコートして、宿まで案内してくれる。ロザリアは気を取り直して尋ねた。
「来賓用……となると、シュヴェルト様は?」
「私は騎士団の詰所に泊まる」
「そうですの……」
つまり、別々のところに泊まることになる。宿の前までは、すぐに着いた。今日はもう、ここでお別れということだ。
まだ一緒にいたいと思うのは、強欲だろうか。明日も会えるのに、一日が終わるのが名残惜しい。
(ご飯だけでもご一緒できたら……って、それじゃあ、さっきの『ナンパ』と変わりませんわ……)
心に浮かんだ提案を、ぐっと押しとどめる。シュヴェルトにとって、ロザリアといることは、あくまで仕事なのだ。彼の時間を、いつまでも独り占めしてはいけない。
なかなか宿に入ろうとしないロザリアを見て、シュヴェルトが小さく首を傾げた。
──ロザリアが一緒にいたいと願えば、真面目で優しい彼はきっと、嫌でも拒まない。
「……今日は、ありがとうございました」
きゅっと口角を上げて、ロザリアは彼の顔を見上げた。
「ああ、こちらこそ。明日に備えて、ゆっくりと休んでくれ」
「ええ。では……また明日」
「また明日」
ロザリアは会釈をしてから、シュヴェルトに背を向ける。
(『また明日』と言い合えるだけで、十分ですわ。多くを望みすぎては、ご迷惑になってしまいますもの)
従業員に出迎えられ、宿の玄関扉が開かれる。宿の中へと足を踏み入れる直前で、ロザリアはおそるおそる、ちらりと振り向いた。
(あ……)
ロザリアが振り向いた先には、シュヴェルトがまだ立っていた。彼は目が合うと、別れの挨拶をするように、軽く片手を上げた。
当たり前のようなその仕草に、ロザリアは思わずキョロキョロと辺りを見回した。すると、ふわりと頬を緩ませて、彼が笑うのが見えた。
恥ずかしさに目を逸らしながら、ロザリアは小さく手を振って、逃げるように宿へと入っていった。




