第31話 旅のはじまり
ロザリアとシュヴェルトは、かつて共に駆けつけたあの東門から、乗合の馬車に乗って、王都の街を出た。
馬車には大荷物を抱えた商人や、盾を背負った傭兵、仲の良さそうな夫婦や、小さい子ども連れの家族など、さまざまな人たちがいた。この中で、自分たちはどのように見えているのだろう。ちゃんと馴染めているのだろうか。
そう思いながら、隣に座るシュヴェルトをちらりと見る。彼はいつもの騎士団のマントの代わりに、制服を隠すような長いローブを着ていた。ロザリアは以前も着た町娘の格好だ。
「専用の馬車でなくてよかったのか?」
視線に気づいたのか、シュヴェルトが周りに聞こえないよう、小声で問いかけてきた。心臓を跳ねさせつつ、ロザリアは答える。
「ええ。乗合の馬車に乗るのも、滅多にできない経験ですもの」
行き先はまだ決めていないため、ロザリアたちは空いている馬車に乗ったのだった。せっかく旅をするなら、行きたいところは色々と思い浮かぶが、ひとまずはこの馬車の終点である、一つ隣の領の宿場町で降りる予定だ。
シュヴェルトとセレンの関係を勘違いしていたとわかり、ロザリアは早くも旅の目的を失ってしまった。ロザリアに加えてシュヴェルトも、セレンのそばから離れることになった今、ますます、未来予知で見た状況とは異なってくる。
このまま二人で旅をしていれば、セレンへの嫉妬に狂うことなど、あり得ないだろう。
(二人で、旅を……)
あれよあれよという間に、シュヴェルトと並んで馬車に揺られている。涼しげに風を受ける彼の横顔を、ロザリアが独り占めできてしまう。そんな考えが頭に浮かんで、頬が一気に熱を持った。
(どうしましょう……今からこの調子じゃ、心臓がもちませんわ……)
屋敷を出るときは、つい動揺してさっさと出てきてしまったけれど、あのとき、執事とメイドについてきてもらうよう頼むべきだったかもしれない。
シュヴェルトに恋をしていると自覚したばかりなのに、いきなり二人きりの旅に出るだなんて、恋愛初心者のロザリアには難易度が高すぎる。緊張のあまりヘマをするかもしれない。そうに決まってる。
熱くなる頬を冷ますように、ロザリアは馬車の外を眺めた。思い出したせいか、揺れる草の中に執事とメイドの姿が見えたような気がしたが、たぶん気のせいだろう。
そんなロザリアたちを乗せた乗合馬車は、街道の途中で何度か止まり、その都度客が乗り降りした。
畑の広がる農村の前で止まったときには、道端で馬車を待っていた老夫婦が、積まれた木箱とともに馬車へ乗り込もうとしていた。
それに気づいたシュヴェルトは、すぐさま立ち上がり、当たり前のように馬車を降りて、荷物を運ぶのを手伝った。ロザリアも彼のあとに続き、老婦人の手を取って馬車に乗るのをエスコートした。
「ありがとうねぇ。お礼に、うちでとれたブドウをあげるよ」
無事に荷物を積み終えた老夫婦は、木箱の中から、たくさんの大きな実がついたブドウを一房取り出した。
「いいのですか? 売り物にするのでは?」
「いいんだ、いいんだ。気にせず食べなぁ。ほら、にいちゃんも」
老人はそう言って、シュヴェルトの背をバシンと力強く叩く。
「で、では、ありがたく……」
彼はよろめきながら、促されるまま、房からブドウをもいだ。ロザリアも真似をして、おそるおそる一粒もいだ。
この果物は皮を剥いて食べるものだ。ロザリアは自分でブドウを剥いたことがなかった。魔術でやろうにも手加減がわからない。少し躊躇ったものの、シュヴェルトの手元を覗き見ながら、同じようにブドウを剥いた。
微笑む老夫婦に見守られながら、ロザリアは大きな一粒を、思い切って口の中に放り込んだ。一口噛むと、じゅわりと果汁が溢れ出し、甘酸っぱい味が口の中に広がった。
「ん……! 美味しいですわ!」
ロザリアはシュヴェルトと顔を見合わせる。
「ああ、美味い」
彼もそう言ったのを聞き、老夫婦は「そうかい、そうかい」と嬉しそうに頷いた。
ロザリアは自然と笑顔になり、抱えていた不安や緊張は、いつの間か吹き飛んでいた。そのあとも何粒か食べ、他の乗客にもお裾分けしながら、途中の小さな町で降りたその夫婦を手を振って見送った。
段々と日が傾き始めると、客が少なくなってくる。広々としてくる馬車に、どこか寂しさを感じつつ、ロザリアの心は早くも充実感に溢れていた。
(乗合の馬車というのも、悪くはありませんわね)
ロザリアの乗り慣れた貴族の馬車なら、誰も途中で乗ってはこないし、新たな出会いもない。外の景色もろくに見えなければ、風を頬に感じることもない。
ゆったりとしたこの旅は、ロザリアにとっては新鮮で楽しいけれど、シュヴェルトにとっては、どうだろう。
彼はあくまで仕事として、ロザリアの護衛をしてくれている。彼も各地を見て回りたかったそうだから、気兼ねはいらないと言っていたけれど、やはり気にはなる。つまらないと感じてはいないだろうか。
……できることなら、ロザリアとの旅を楽しいと感じてもらいたい。そう思うのは、わがままだろうか。
「……シュヴェルト様は、どこか行きたいところは、おありですの?」
静かになった馬車の中で、彼の横顔を見上げながら問いかけた。すぐにこちらを向いた彼は、うーん、と唸って眉を下げた。
ロザリアが加えて「遠慮なさらず」と言うと、首を傾げて「そうだな……」と考える素振りをしてから答えてくれた。
「私は、少し前まで西の国境にいたから、国の東側が今どうなっているのか、気になるな」
その答えに、ロザリアの心はパッと華やいだ。
「でしたら、ちょうど良かったですわ! 東側には、見てみたかった魔術の遺跡が多くありますの」
この地に魔術を残したとされている「古き民」の遺跡は、国の東側に多く存在している。その辺りが古き民の都であったとする説が主流だ。
ただ、付近に広がる「東の森」には暗いところを好む魔物が多く、昔から魔物の被害に苦しめられてきた地域でもあった。そのため、この国「アージェンタム王国」が建国されてからは、国の中央に位置する場所が、現在の王都となっている。
そういうわけで、王都から離れていることもあり、魔術学院の課外授業でも実物を見に行くことはなかった。
「遺跡か……魔物が住み着いていることもあると聞くが」
シュヴェルトが気難しそうな顔をして腕を組む。ロザリアはすかさず説明した。
「もちろん、全ての遺跡が安全とは言えないでしょうけれど、魔術学的に重要な遺跡は厳重に保護されており、観光地としても賑わっておりますのよ! 昨年の学期休みに訪れたというクラスメイトの話を聞いて、とっても羨ましく思っておりましたの!」
長く魔物に悩まされてきた地域も、近年では、魔術障壁の強化や魔術の普及によって、被害を随分と抑えられていると聞く。
遺跡からは魔術に関する重要な資料が多く発掘されており、魔術の歴史を語るのにかかせない場所だ。本当は、今もまだ残されているかもしれない未発見の遺跡を、探してみたい気持ちもあるが、それを言うと、きっと心配されてしまうので我慢だ。
シュヴェルトは組んでいた腕をほどき、「なら、問題ないだろう」と頷いた。
嬉しさに息を呑んだロザリアを見て、彼は夕陽に目を細めながら微笑んだ。
「ロザリア嬢は、本当に魔術が好きなんだな」
「ええ……好きですわ、とっても」
俯きがちにそう返し、ロザリアは頬にかかった髪をくるくると指でいじった。
彼の眼差しが優しく見えるのは、きっと夕陽のせいだ。そう自分に言い聞かせないと、心臓がいつまでもつか、わからなかった。




