第30話 誤解
「あなたは──セレン様の婚約者になれるのに!」
口に出してしまってから、激しい後悔に襲われた。さあっと血の気が引き、身体の芯が冷たくなっていく。
言葉にすると、その事実が現実味を帯びて胸に突き刺さる。自分にとって、喜ばしい出来事ではないのだと、否応なく自覚させられる。
そして何より、シュヴェルトの言葉を聞くのが怖かった。
彼は、この件について何と言うのだろう。どんな感情を抱いているのだろう。ロザリアが口に出してしまったからには、彼の言葉を聞かなければならない。
シュヴェルトは困ったような顔をしながら、ゆっくりと口を開いた。
「……そうはならない。あれは陛下の冗談だ」
まるで小さい子に言い聞かせるようにそう言うと、彼は眉を下げたまま、呆れたように苦笑いをした。
誤魔化されたかのようで、ロザリアは納得がいかなかった。
「でも陛下は、セレン様があなたの元に嫁ぎたいと言っていたと!」
「あれはセレンディーネ様が小さかった頃の話だ」
否定をしないことに、ロザリアは絶望を覚えた。
「だとしたら、好かれていたということでしょう!?」
「そうではないんだ」
「堅物なあなたにわかるものですか!」
ロザリアは反射的にそう言って、くるりと背を向けた。後ろから、呆気に取られたように「かたぶつ……」と呟く声が聞こえた。
「私の話を聞いてくれ、ロザリア嬢」
シュヴェルトはロザリアの前に回り込むと、真剣な表情でじっと目を合わせた。
「セレンディーネ様が私を好いていたという事実はない」
「でしたら、なぜ──」
「12歳の頃。私は初めて参加した剣術大会で負けなしだった」
「?」
突然切り出された話に、ロザリアはポカンとして固まった。
シュヴェルトは気にせず話を続けた。
「試合の観覧に来られていた、当時7歳のセレンディーネ様に、なぜそんなにも強いのかと聞かれ、私は
『父の息子に生まれたおかげです』
と答えた。私の剣術は、父による容赦のない訓練の賜物だったのでな」
彼は懐かしむように、ふっと笑った。その顔に思わず見惚れてしまい、ロザリアは口を挟むことなく、黙って話を聞いていた。
「すると、セレンディーネ様は──
『わたしも、シュヴェルトのお父さまの娘になりたい!』
とおっしゃって……それをお聞きになっていた陛下が大層ショックを受けられていたのを覚えている」
彼がこの話をし始めた理由がようやくわかった。
「では……あなたを好いていたからではなく、あなたのように強くなりたいから、セレン様はそうおっしゃったと……」
幼い頃のセレンはよく「国のみんなを守れるくらい強くなりたい」と言っていた。ロザリアが彼女と出会ったときには、魔術が思うように上達せず、諦めて剣術を始めようとしていたくらいだ。彼が語ったのも、ちょうどその頃の話だろう。
セレンが、彼を好いていたわけではない。
(よ、良かったですわ……)
気が抜けたように、ほっと息をついた。シュヴェルトの語った幼いセレンと、ロザリアの記憶の中の彼女とが重なり、すとんと腑に落ちた。本当の気持ちは、セレン本人に聞かなければわからないだろうけれど、今はシュヴェルトの言葉を信じようと思った。
ロザリアに真意が伝わったのを見て、シュヴェルトは安心したように頷いた。
「ああ。嫁ぐという言葉も知らないまま、おっしゃったことだ。それを陛下は未だに根に持っておられる。ことある事に蒸し返しては、からかわれるのだ」
眉間に皺を寄せ、呆れたように言う。その口調は、卒業パーティーで「ご冗談はおやめ下さい」と王を諌めていたのと同じだった。
考えてみれば、誰よりも真面目な彼が、王に向かって呆れを隠さず言い返したくらいなのだから、あのときの王の提案は、彼にとって聞き慣れた冗談だったのだろう。
それに、もし王が本当にシュヴェルトをセレンの婚約者にするつもりなのだとしたら、こうして他の令嬢の旅への同行を許しはしないだろう。
王国騎士団は王に仕える組織だ。護衛のために兵を借りるのには王の許可がいる。形式的な手続きで済む場合もあるが、副騎士団長を連れて行くとなれば、その動向が王の耳に入らないわけがない。
王の許可を得た上で、彼はロザリアの護衛を引き受けてくれたのだ。
冷静になって考えてみればわかったことなのに、感情的になってシュヴェルトを責めてしまった。
「わたくし、失礼なことを言ってしまいましたわ……申し訳ありません……」
ロザリアは落ち込みながら、ゆっくりと頭を下げた。このまま地面に埋まってしまいたい。誤解で彼に怒りをぶつけてしまった。感情に支配されてしまえば、悲惨な未来が待っていると、知っていたのに……。
すぐさまシュヴェルトから、顔を上げるよう言われたものの、彼と目を合わせることができず、ロザリアは俯きながら自分の足元を睨みつけていた。
「ロザリア嬢……」
困ったような声に呼ばれて、ちらりと視線だけを上向ける。
シュヴェルトは少し考えるように、頭をかいてから、
「これから話すことは、内密にしていただきたいのだが……以前にもいたのだ。あなたと同じように、陛下のご冗談を真に受けてしまった者が」
ロザリアを励ますように、そう話し始めた。
「ある日の訓練場で、初対面だったその人物は、私に勝負を挑んできた。剣術での勝負だ。
稽古用の木製剣すら握ったことのなかった彼の攻撃を、私は容易く避けることができた。私が剣を振るまでもなく、彼は息を切らしていた。
それでも彼は諦めず、決して倒れることなく、懸命に向かってきた。やがて見物人が集まり始め、隠れて見守っていたらしい父が止めに入った。
そこでようやく膝をついた彼に、私は何故そこまで頑張るのか、と聞いた。すると、
『セレンが、あなたのところへ嫁ぎたがっている、と聞いたから……』
彼はそう答えた。ちょうどそのとき、騒ぎを聞き付けたセレンディーネ様が駆けてきた。彼女は、私と彼の間に立ちはだかり、
『ユースをいじめないで!』
と私を睨みつけた。その目からは、涙が溢れていた」
「!」
よく知る名前が出てきて、ロザリアは思わず顔を上げた。シュヴェルトは頷いて続けた。
「私はそのとき、生まれて初めて死を覚悟した。王女殿下を泣かせ、知らなかったとはいえ、ご友人に膝をつかせてしまったのだから。
幸い、ユースの弁明と父の証言により、セレンディーネ様の誤解は解かれ、私は死を免れた。
その後、さきほどあなたに話したように、陛下のご冗談の真相を語り、ユースとも和解した。当時私が15歳、彼らが10歳の頃だろうか。それ以来、ユースとは仲良くさせてもらっている」
そう語り終えると、シュヴェルトは口端を上げ、
「この話をロザリア嬢に教えたことは、ユースには内緒だ。怒られてしまいそうだからな」
と悪戯っぽく囁いた。
その笑顔に絆されて、ロザリアはぽつりと声をこぼした。
「……わたくしも、セレン様を泣かせてしまったことがありますの。あなたのように、死の覚悟は、いたしませんでしたけれど……」
セレンと出会ったときの話だ。自分のせいで彼女に風邪を引かせてしまい、泣いていたロザリアを、彼女もまた涙しながら慰めてくれた。
思えば、あのとき魔術を嫌いになりかけたことは、ロザリアにとって、死を覚悟したのと同義かもしれない。
「以来、わたくしはセレン様を二度と泣かせないと決意しました」
「なら、私と同じだな」
シュヴェルトは目を逸らさずに断言した。「セレンを泣かせない」と宣言した上で、ロザリアと共に行くと言うのなら、「セレンが彼を好いてはいない」という彼の言葉は、やはり信じられるものだろう。
「納得してもらえただろうか?」
彼の問いかけに、ロザリアは曇りのない気持ちで「ええ」と頷いた。
「では、さっそく出立しよう。あまり遅くなっては、次の街へ着く前に日が暮れてしまう」
シュヴェルトはそう言って、ロザリアに先を歩くことを促した。
さきほどまでとは打って変わって、ロザリアは清々しい気持ちで歩き始めた。今度はシュヴェルトを置いて行くことなく。
──これが、国の未来を左右する旅の始まりだった。




