第29話 旅は道連れ
数日後。屋敷の玄関ホールで母と使用人たちに見送られ、ロザリアは旅への一歩を踏み出した。
空は快晴。背中を押すように心地の良い風が吹き、感慨深い気持ちで、正門までの庭を歩く。
ついてくるのは執事とメイドの2人だけだった。当初は5人と言っていた父だが、ロザリアの意を汲んで同行者を減らしてくれたらしい。父は「気をつけて行くんだぞ」と念を押してから、見送りが気恥ずかしいのか、朝早くから仕事へ行ってしまった。
「あなたたちが同行することになったのですね」
ロザリアは後ろを歩く執事とメイドに振り返って言った。
二人とも、ルベウス家に代々仕えてくれている家系の出身だ。使用人たちの中でも比較的歳が若く、昔はロザリアの遊び相手にもなってくれていた。それでいて、あらゆる分野で腕が立つ。護衛という面でも頼りになるだろう。
とはいえ、一人でも大丈夫だと言ったロザリアのことを信じてくれなかったのは少し寂しい。学院長という立場もあり、父にとってのロザリアは、まだまだ子どもなのだろう。
そう思っていると、執事が首を横に振った。
「いえ、私どもは後から追──」
「お、奥様のお計らいで、私どもは同行しないことになりました。旦那様には秘密ですよ」
執事が言うのを遮って、メイドが笑顔で言葉を続けた。隣の執事へ肘打ちが入ったようにも見えたが、たぶん気のせいだろう。
「そうですの? あなたたちも、旅の装いをしているようですけれど……」
「えっと……奥様のご好意で、私どもも休暇をいただくことになったのです。それで一緒に旅を、と。ね?」
メイドは執事に同意を求める。執事は「え、ええ」と頷いた。
「そう……あなたたち、わたくしの知らない間に、そんなに仲が良くなっていましたのね」
二人は顔を見合わせ、ぎこちなく笑った。たぶん、仲が良いと言われて気恥ずかしいのだろう。ロザリアはなんだか少し羨ましかった。
「ですので、お嬢様! 私どものことはお気になさらず、お連れの方とともに出立なさってください」
メイドの言葉に一瞬、首を傾げたものの、ロザリアは「母の計らい」の意味をようやく理解した。
「『お連れの方』なんていませんわ……お母様ったら、まだ勘違いなさっているのかしら……」
母は、ロザリアが想い人と旅に出ると勘違いをしていた。だから伴をつけずに旅に出られるよう、父に内緒で取り計らってくれたのだ。
ロザリアの態度がどれほど怪しげに見えたのだろう。これまで、恋愛の話なんてしたことがなかったから、娘が恋をしていることを見抜き、母も浮かれているのかもしれない。素直になって、彼のことを話せたら、どれほど嬉しいか──。
「しかし、お嬢様。あそこにおられるのは、お連れの方では?」
「え?」
執事の不思議そうな声に、ロザリアは目を凝らした。
……幻覚だろうか。ルベウス家の正門の前に、背の高い人影が見える。
(まさか……そんなはずは……)
動揺のあまり、ロザリアの足は止まった。まるで地面が雲の上にでもなってしまったかのように、足元がふわふわとして、「浮遊の魔術」をかけられたのかと錯覚した。
執事とメイドから「お嬢様?」と心配そうに声をかけられ、ロザリアは再び恐々と足を動かした。
一歩一歩、正門へ近づくにつれ、期待と疑問が膨らんでいき、心臓はドキドキと高鳴っていく。
執事が正門の扉を押し開けた。その音に振り向いて、こちらを見下ろしたのは、紛れもなく──シュヴェルトだった。
「どうして、あなたが……」
吐息とともにこぼれた声は、吹き抜けた風にかき消された。そんなロザリアの気も知らず、シュヴェルトは丁寧に会釈をした。
「ごきげんよう、ロザリア嬢」
「……」
何も言えず、ロザリアが黙り込んでいると、
「ほう、あなたがお嬢様の……」
そう執事が呟き、まるでシュヴェルトを見定めるかのように、鋭く目を細めた。
ロザリアは我に返り、
「ち、違いますのよセバス!」
執事のセバスを咎めていると、隣でメイドがおもむろに頭を下げた。
「どうか、お嬢様のことをよろしくお願いいたします……!」
「お、大げさですわよメアリ!」
メイドのメアリは、額が膝につきそうなほど、深々と頭を下げている。ロザリアは彼女の肩をトントン叩いて、頭を上げさせようとした。
が、対するシュヴェルトは、
「ああ。ロザリア嬢のことは、私が必ず守る」
「っ〜〜!」
大真面目な声と表情で、はっきりと言い切ったのである。こんなときに、そんな紛らわしいことを言わないでほしい。
執事とメイドはシュヴェルトの言葉に息を呑み、目を輝かせながらロザリアに向かって頷いた。
彼らがシュヴェルトのことをどう勘違いしているかは、明らかだった。けれど、顔が真っ赤になっているだろうロザリアでは、何を否定しても無意味だろうことも察しがついた。
想い人と出かけるつもりだというのは誤解なのに、ここにいる彼が想い人なのは本当だ。なんでいるんだ。わけがわからない。
「っでは! 行ってきますわ!」
ロザリアはシュヴェルトと顔を合わせないまま、ずかずかと歩き出した。
*
貴族街を足早に抜けていく。レンガの道にコツコツと響く足音で、シュヴェルトが追いかけてくるのがわかった。
ルベウス家の屋敷から二つ三つと角を曲がり、屋敷が見えなくなったところで、ロザリアは勢いよく振り返った。
「ロザリア嬢、どうし……」
「どうして、あなたがここにいるのですか!」
絞り出した声は、自分でも驚くくらい切実なものに聞こえた。シュヴェルトは一瞬、目を丸くしたものの、ほっとしたように息を吐いた。
「なんだ、聞いていなかったのか。ルベウス侯爵から、ロザリア嬢の旅の護衛として、騎士団の精鋭を借りたいと頼まれたのだ」
「お父様が……」
聞いていない。言うとロザリアが反抗すると思ったのだろうか。その通りではあるが。
確かに、王都において最も実力のある護衛は騎士団員たちだ。というのも、この国の貴族は、王家の直轄領である王都に私兵を持ち込めないことになっている。ゆえに、王都と自領を行き来する際などは、騎士団の兵を王から借りることになるのだ。
しかし、一人で出かけたいと言っている旅に、使用人だけならまだしも、兵を借りるのは大げさだ。しかもそれが騎士団のナンバー2だなんて。
「顔馴染みのほうがロザリア嬢も安心だろうとのことだったので、私が引き受けることになったのだ」
「だからって、副騎士団長様に護衛していただくだなんて……わたくしには、もったいないことですわ」
自分に言い聞かせるように呟いた。その言葉は自分の胸にちくりと刺さった。
シュヴェルトとロザリアが一緒にいていいわけがない。彼にはもっと他に、いるべき場所があるはずだ。
「気兼ねはいらない。私もちょうど、副団長就任にあたって、各地を見て回らねばと思っていたところなんだ」
「……そういう問題ではありませんわ」
ロザリアは俯き、感情を抑え込むように、手をぎゅっと握りしめた。
彼が護衛を引き受けてくれたことは、飛び上がってしまいたいほど嬉しい。けれど、嬉しく思ってはいけない。その気持ちが、嫉妬心の糧となってしまうのだから。
しかし、そんなロザリアの心を揺さぶろうとしているかのように、シュヴェルトは尚も譲らなかった。
「……すまない。あなたの旅の邪魔をするつもりはない。必要なら、離れたところから見守っ──」
「そうではありません! あなたは、王都を離れるべきではないと言っているのです!」
鋭い声が、咄嗟に出てしまった。
なのに、当のシュヴェルトは何食わぬ顔で、
「ああ、魔術障壁の件なら──」
「違いますわ!」
再び遮った声に、シュヴェルトは驚いたような顔でロザリアを見下ろした。
何もわかっていないその表情に、ふつふつと苛立ちがつのる。そんな自分に、嫌気がさす。それでも、
「どうして、他人のことばかり気にかけるのです! どうして……わたくしと一緒に旅に出るだなんて、言えるのです!」
ロザリアは問い詰めるように、シュヴェルトの顔を見上げた。最悪だ。感情に任せて、彼に言葉をぶつけるなんて。
けれど、堰を切ったように溢れた言葉は、もう止まらなかった。
「あなたは──セレン様の婚約者になれるのに!」
涙をこらえながら、ロザリアはそう吐き捨てるように言った。




