第3話 王女とばったり
この国の王女、セレンことセレンディーネ。
ロザリアのひとつ年上である彼女もまた、魔術学院に通う生徒だ。学院内で出会うことは珍しくない。
いつものロザリアであれば、彼女に声をかけられようものなら、喜んですぐに返事をする。むしろ声をかけられる前に、その魔力を探知して振り向くくらいなのだが、今日ばかりは、ためらってしまった。
しかし、無視をするわけにもいかないので、ロザリアは意を決して、彼女のほうへ振り向いた。
「セレン様……」
銀色の艶やかな髪がロザリアの瞳を湿らせる。ロザリアに会うとこの人は、本当に嬉しそうな顔で微笑んでくれるから、いつも眩しくて仕方がない。
──そんな彼女に、夢の中の自分は、どんな言葉をかけた?
(ダメ! セレン様の前で、あんなことを思い出しては……!)
頭の中で蘇りかけた光景をかき消すように、ロザリアはぶんぶんと首を横に振った。
「ロザリア?」
いつもと違う様子のロザリアを見て、彼女は小さく首を傾げる。
──そのきょとんとした顔が、脳裏に焼き付いた困惑の表情と重なる。
夢の中の自分が、彼女を突き飛ばしたときだ。とても、満たされた気持ちに、なったときだ。
(いいえ……! あれは、わたくしでは……)
ロザリアは俯いた。セレンの顔を見ていられなかった。
夢の中の悪女は、自分ではない。そう、どれほど心に言い聞かせても、侮辱の言葉が耳に残っているという罪悪感は拭いきれない。
かといって、夢の内容を話すことは到底できない。夢の中ではなく目の前の、本物のセレンに謝ることなんて、もってのほかだ。
「ロザリア? どうしたの?」
小さい子供に尋ねるみたいな、うんと優しい声が降ってくる。
喉が震えてしまって、言葉を返せない。心配そうに顔をのぞき込まれれば、ロザリアの我慢はもう限界だった。
「うぅっ……セレンさまぁ〜!!」
ロザリアは涙で声を潤ませながら、なりふり構わずセレンに抱きついた。
「わっ」
セレンの口から小さく声が上がる。けれど、それすらも耳に入らないくらい、ロザリアは目の前の温もりに縋らずにはいられなかった。
腕の中に広がる暖かさは、夢の中では感じ得なかったものだ。心を落ち着かせてくれる香りも。頭を優しく撫でてくれる手も。
昔から変わらない。どれだけ年を重ねても、セレンにとってのロザリアは、小さい頃のままなのだろう。ロザリアにとってのセレンが、優しいお姉さんのままであるように。
いつぶりだろう。こんなふうに慰めてもらうのは。分別のつかなかった小さい頃なら、王女であるセレンに、こうして甘えることもあった。
17歳になった今では考えられな──。
「も、申し訳ございません!」
ロザリアはすぐさま身体を離して、勢いよく頭を下げた。
王族の身体に突然触れるなんて、幼なじみであろうと許されない。それこそ本当に不敬罪だ。
けれど、下げた頭の上に、変わらず優しい声が降ってくる。
「構わないわ。それより、何か悪いことでもあったの?」
そう問われ、少し考えてから、
「いえ……大したことではございません……ただ今朝は、悪い夢を見てしまって……」
ロザリアは俯いたまま本当のことを答えた。未来予知なのかどうかはともかく、悪夢であったことは確かだ。
恥ずかしさも混じって、まだ彼女の顔を見られそうにない。そんな気持ちを知ってか知らずか、セレンは声音を鋭くして言った。
「ロザリア、顔を上げて」
「はい……」
王女から命じられれば、従うほかない。ロザリアは恐る恐る顔を上げた。
すると突然、花のような柔らかな香りに、ふわりと包まれた。セレンに抱きしめられたのだ。
「セ、セレン様……!」
「ふふ、悪い夢を見て怖くなったから、私に抱きついてきたのね」
少しだけ身体を離して、微笑ましそうな目で見つめられる。
「お恥ずかしい限りですわ……」
きっと、セレンの思うよりもずっと悪い夢ではあったけれど、簡単に言えば彼女の言う通りだ。
「また悪い夢を見たら言ってね。私でよければ、いつでも抱きしめてあげるわ」
「セレンさまぁ……」
また涙目になりながら、ロザリアは悪夢を塗り替えるかのように、彼女の笑顔を目に焼き付けた。
(しっかりしないと、いけませんわね!)
昼からの授業が始まる前にセレンと別れ、ロザリアは己の頬をパチンと両手で挟んだ。
夢ではない本物のセレン王女を前にして、わかったことがある。
彼女の美しさ、そして優しさは、何にも穢されることのない、月の光のようだ。老若男女問わず、魅了されるのは必然である。
もし未来の恋人がセレンに心を奪われたとしても、それはこちらに魅力が足りなかっただけのこと。
それをセレンのせいにして恨むなど、夢の中の自分の考えは、やはり理解できない。
しかし、世の中には様々な考え方をする人間がいることを、17年間貴族社会で生きてきたロザリアは知っている。
もしロザリアではない誰かが同じ状況に陥ったなら、逆恨みでセレンを害そうとする者が、いないとは言いきれない。
(あの夢はきっと、わたくしへの戒めなのですわ! セレン様をあのような輩からお守りするように、と!)
あの忌々しい悪夢を見るまで、考えもしなかったことだ。この国に、セレンを恨む人間が現れる可能性なんて。
そうなると、落ち込んでなどいられない。色恋沙汰なんて、いつ始まるかわかったものではない。どんなときでもセレン王女を守れるように、気を引き締めなければ!
ロザリアはすっかり立ち直り、新たな決意を固めた。




