第2話 魔術学院
「……リア……、ロザ……、ロザリア嬢!」
「は、はい!」
声を裏返らせながら、ロザリアは大きく返事をした。一瞬、自分がどこにいるのか、わからなくなった。
ここは王立魔術学院の教室だ。
ロザリアがいるのは高等部第2学年の第1クラスである。
貴族の子息令嬢がこぞって通うこの魔術学院の中でも、最も成績の良いクラスだけあって、みな気品があり行儀がいい。居眠りなんてもっての外。欠伸をする生徒さえ一人もいない。……普段なら。
教壇からロザリアを呼んだ教師は、ロザリアの顔を見つめ、じっと観察したあと、手元の教本をめくった。
「こちらの問題を。体内における魔力の役割について、魔術師ベルガモットの提唱した説を答えなさい」
「はい……『魔力の本来の役割は、身体に魂を繋ぎ止めておくこと。魔術はその余剰分を利用しているにすぎない』ですわ」
「──よろしい。授業はきちんと聞いていらしたようですね」
そう言いながらも、疑わしげな目がロザリアを見つめる。
ロザリアは思わず目を逸らした。難なく答えられたのは、すでに自習しており知っていたことだからだ。
結局、それ以上咎められることはなく、その場はなんとか切り抜けた。
ただ、クラスメイトには、居眠りをしていたことがバレていたようだ。
「ロザリア様……いかがなさいましたか?」
「もしや、お身体の具合がよろしくないのでは?」
授業が終わった直後、クラスメイトの女の子たちが数人、示し合わせたかのように席まで来てロザリアを取り囲んだ。
皆、心配そうにしている。
けれど、ここで「無意識に未来予知をしたせいで寝不足なのです」などと言うわけにもいかない。本当なら国を揺るがす大発見だが、ロザリア自身も半信半疑な上、予知の内容を聞かれると困る。
心配してくれている彼女たちに申し訳なさを感じながら、ロザリアは当たり障りのない答えを探した。
「いえ、お気になさらないで……今朝は少し、寝覚めが悪かっただけですの」
心配させないよう精一杯微笑む。本当は、少しどころでは済まないくらい、寝覚めが悪かったのだが、うまく取り繕えただろうか。
ロザリアの返答を聞き、女の子のうちの一人が、そういえば、と声を上げる。
「昨晩は雨が降っていましたものね」
「確かに! 魔力の高い方ほど、悪いお天気に敏感だと聞きますし」
皆が納得したように頷く。
魔力と天気の関係に、魔術的な根拠はまだ発見されていないのだが、その議論をするのは置いておこう。今は彼女たちの気持ちを素直に受け取るのが先だ。
「みなさま、心配してくださってありがとう」
彼女たちの言う通り、きっと昨夜降った雨のせいだ。居眠りをしてしまったことも、悪い夢を見たことも。
……そう自分に言い聞かせてみても、ロザリアの心はまだ晴れそうになかった。
*
その日の昼食後。いつもなら、教室や図書館で魔術書を読み込むところだが、今朝のことがあって集中できそうにない。
そう思い、ひとり気晴らしに庭を歩くことにした。
複数の教室に囲まれた中庭には、色んな学年、クラスの生徒が集まる。ピクニックのようにゆっくりとランチを楽しむ者。噴水の脇に座って本を読む者。
そんな中、ベンチでおしゃべりをする女子生徒たちのそばを、ロザリアが通ろうとしたときだった。
「えー!? 告白されたのぉ!?」
「しっ! 声が大きい……!」
急な大声にびっくりして足を止めてしまったロザリアのほうを、女子生徒たちが振り向き、息を飲んだ。
「あ……ロザリア様……」
「ご、ごきげんよう……」
楽しそうに話していたのに、二人ともすっかり青ざめてしまっている。
ロザリアは気にしないふりをして、微笑みながら「ごきげんよう」とだけ返す。そして、足早に通り過ぎた。
(……わたくしは咎めたりなんて、いたしませんのに)
彼女たちがロザリアを見て青ざめたのには理由がある。それは王立魔術学院の、とある校則が原因だ。
それは──「婚約禁止の校則」である。
この校則が設けられたのは、今から十年ほど前。生徒間の婚約破棄騒動が相次ぎ、学院が王国一の修羅場と化していた頃だ。
魔術の発展による生活水準の向上が著しかった当時、平民たちの間では恋愛小説なるものが流行し始めた。それはやがて貴族たちの間にも広まり、その影響をもろに受けた年頃の生徒達は、たちまち自由恋愛への憧れを強めた。
それが、学院にとっての悲劇の始まりだった。
婚約者がいるにも関わらず他の相手と恋に落ちてしまう者、婚約者がいる意中の相手を誘惑しようとする者。学院内では下世話な噂が飛び交い、痴情のもつれによるいじめが多発。
そんな状況を憂いた学院長が、苦肉の策としてこの校則を設けたという。
……が、それは表向きの理由で、本当は娘を政略結婚させたくなかった学院長の私情によるものだとする説もある。
──なお、ここで言う学院長とは、ロザリアの父、ルベウス侯爵のことである。
そういうわけで、ロザリアの前で恋愛話はご法度。異性が話しかけたら即退学。などという噂が定着してしまった。
もちろん事実無根である。
恋愛は禁止されていないから、誰も咎めなどしない。ロザリアと話しただけで退学させるだなんて、そんな権限は学院長にもないはずだ。……たぶん。
「はぁ……」
思わずため息をつく。
ロザリアが恋に疎いのは、魔術一筋であったからというだけではない。ロザリアの元には、恋のチャンスはもちろん、他人の恋愛話すら寄ってこないのだ。
そんな女が恋をしたなら、反動で悪女に成り果ててしまうのも、無理はないかもしれないと我ながら思えてきた。
──そのときだった。
「あら? ため息なんてついて、どうしたの?」
背後から不意に声をかけられ、ロザリアの身体は強ばった。
(この声は……)
間違えようもない。鈴のなるような優しい声。
ロザリアは振り向くのを躊躇った。
その声の主は、よりにもよって──夢の中の己が罵倒していた、セレン王女だったからだ。




