第25話 執務室で二人きり
内密な話をするためか、シュヴェルトはソファに軽く座り直し、少しだけ前へと身を乗り出した。
彼から信頼されているという喜びに、ロザリアの胸は高鳴った。二人きりの静かな執務室の中に、鼓動の音が響いてしまわないか心配になった。
けれど、深刻そうに落とされたシュヴェルトの声が、すぐにロザリアの意識をひきつけた。
「障壁の件については、ルベウス侯爵や宮廷魔術師たちを交えた議論が何度も行われている。その場において先日、『魔術障壁が破れたのは経年による劣化である』と結論づけられた。追って、国民へ向けても、そのように公表されるだろう」
「劣化? そんなはずは……」
確かに、魔術障壁の基本となっている「防御魔術」も、時間経過で消失はする。だからこそ魔術障壁には、定期的に魔術師たちが術を重ねて補強を施している。何人もの熟練魔術師の手が入っている中で、誰も劣化に気がつかないなんてことが、ありえるのだろうか。
ロザリアはそんな疑念を隠しきれず、眉をひそめた。けれど、シュヴェルトは動じることなく言った。
「やはり、納得がいかなさそうだな」
「え? えっと……」
ロザリアが答えづらそうにしていると、彼は少しだけ頬を緩めた。
「いいんだ。無理もない。劣化だというのは、あくまで表向きの説明だ」
そこまで言うと、彼は険しい表情に戻り、真剣な眼差しで告げた。
「我々は、故意に破られた可能性が高いと睨んでいる」
ロザリアは息を呑んだ。やはり、と腑に落ちたものの、緊張感に背筋が伸びた。副騎士団長の口からその見解を聞くことに、事の深刻さを実感する。
穴の空いた魔術障壁。ロザリアの脳裏には、あの日、目の当たりにした光景が思い浮かんだ。
王都の誇る守りを、破ることができるのは、魔物か、あるいは──。
「目撃した方は、いらっしゃらないのでしょうか……」
憶測を口にするのはやめ、ロザリアは慎重に呟いた。
それを聞いたシュヴェルトは、なぜだかわざとらしく目を逸らした。
「……まだ調査中だ。すまないが、これ以上のことはロザリア嬢にも言えない」
真面目な彼は誤魔化すのが下手なようだった。ロザリアはすかさず身を乗り出した。
「それは、『これ以上のこと』が、わかっている、ということですわよね?」
ぎくりと眉が上がる。
「……言葉の綾だ。ところで、『防御魔術』について教えてくれるという話だっただろう? そろそろ頼めるだろうか」
シュヴェルトはあからさまに話を逸らしながら、困ったように眉を下げて柔らかく微笑んだ。
(っ……ずるいですわ)
ロザリアは眩しさに目を細めた。その顔でそう言われると反則であった。
彼はわかっているのだろうか。その端正な顔で笑みを向けられるたびに、ロザリアの頭はクラクラとして、胸がいっぱいになってしまうということを。
……悔しいが、仕方がない。彼だって立場上言えないこともある。困らせるのは本意ではない。
「わかりました。約束通り、まずはわたくしの『防御魔術』を見せて差し上げますわ。よくご覧になってくださいまし」
ロザリアは気持ちを切り替えて立ち上がり、彼にもよく見えるよう、ソファから少し離れて立った。
身体の前へ手を掲げ、魔力を集中させる。外界からの攻撃を防ぐような「壁」を、頭の中で組み立てながら。すると、一瞬だけ空間が歪んだかのように、ロザリアの周囲を透明な球が覆った。そして、それはすぐに見えなくなった。これで「防御魔術」の発動は完了だ。
ロザリアが手を下ろすと、見守っていたシュヴェルトが、首を傾げながら口を開いた。
「今、防御魔術がかかっている状態なのか?」
「ええ。通常は目に見えない状態でかかりますの。自分だけでなく、他人にもかけることができますわ。試してみても?」
「ああ、頼む」
シュヴェルトは考える間もなくそう答えた。ソファから立ち上がろうとするので、ロザリアは「そのままで」と制した。
彼に向かって手のひらをかざす。座ったままにさせたのは、術の使用に支障がないからというのもあるが、ちょっぴり気恥ずかしかったからだ。
そんなロザリアの気も知らず、彼は静かに目を閉じて、防御魔術をかけられるのを待っていた。魔術に慣れていないのか、少し肩がこわばっているように見えた。
けれど、こちらを信頼して、無防備に身を預けてくれている。胸の奥に、なんだか熱いものが込み上げてくる。ロザリアは先ほどよりも、うんと丁寧に防御魔術をかけた。
「──できましたわ」
「もう終わったのか……ありがとう。実感は湧かないものなのだな。周囲の物への影響もないようだ」
彼は物珍しそうに、手のひらを握ったり開いたりしてから、自分の身体や周囲を見回した。
ロザリアはその様子を微笑ましく見守りながら、向かいのソファに座り直した。
「ええ。防御魔術が弾くものは、魔力の塊のみですわ」
「魔力の塊というと、魔物がそうか?」
ロザリアは頷く。
「それから、魔術による攻撃もですわ。応用となる『魔術障壁』においても、規模の大きさ以外はほとんど防御魔術と同じと考えていただいて、差し支えありません」
彼は「なるほど」と腕を組みながら、背もたれに軽く身体を預けた。
「障壁は、魔物と魔術のみを防ぐということだな。宮廷魔術師たちに渋い顔をされた理由がわかった」
「といいますと?」
「先ほど話した議論の場には私も出席したのだが、障壁を破ったのが人間であるという可能性を提言したら、良くない顔をされてな……」
彼は苦笑いをして、頭をかいた。
「今なら理由がわかる。障壁が、物理による攻撃には干渉しないのであれば、穴を空けられるのも魔術による攻撃に限られる。それを行なったのが人間だとするなら、魔術を使える者に限られるということだな……気を悪くされるのも当然だ」
「あぁ……」
ロザリアは言葉が見つからず、曖昧に相槌を返した。
魔術師というのは皆、程度に差はあれど、魔術を愛しているものだ。そんな魔術師の前で、魔術を使う誰かが街に危害を加えようとしたなんて、憶測でも口にするのは躊躇われることだ。しかも、一度も破られたことのなかった魔術障壁に穴を空けたとすれば、相当実力のある者に違いない。宮廷魔術師たちに匹敵するほどの。
「ロザリア嬢も、すまない。気分のいい話ではないだろう?」
「いえ。可能性から目を逸らせば、真相から遠ざかってしまうだけですもの」
そう答えながらロザリアは決意した。言いづらいことを打ち明けてくれた彼の信頼に応えようと、頭の中にくすぶっていた考えをまとめた。
「わたくしも、障壁を破ったのは人間である可能性が高いと思いますわ。障壁を破るほどの力を持つ魔物なら、魔力探知ですぐに見つかるでしょうが、人間であれば魔力の高さと魔術の実力は必ずしも対応しない……」
魔物は肉体を持たない魔力の塊であるため、魔力の高さがそのまま強さに直結している。その上、魔力探知をしたときにも人間とは違う色をして見える。
一方、魔術師の場合、生まれつきの魔力が低くても、強力な魔術を扱える者は少なくない。魔道具を使用したり、研鑽を重ねて慣れることによっても、魔力の消費を抑えることができるからだ。
その場合、魔力探知をしても、居場所を特定することは難しい。多くの人の魔力の中に埋もれてしまうからだ。たとえ、魔術障壁を破った何者かが、まだ──。
「まだ、王都の中に潜んでいたのだとしても──」
言いかけて、言葉を失った。たどり着いた考えに、寒気がした。実際に破れた障壁を見たのに、どうしてこの考えに至らなかったのだろう。
魔術障壁を破り、魔物の侵入を許した者が、まだ王都の中にいるかもしれない。
途端に恐ろしさが湧き上がった。魔術に明るいロザリアですらそう感じるのだから、民がそれを知れば、どれほど不安にさせてしまうだろう。
魔術障壁に関わる話を内密にするよう言われた意味が、ようやく身に染みてわかった。父がこの件について、深く話してくれなかった理由も。ロザリアを怖がらせないようにするためだ。
「……ロザリア嬢」
ふと、シュヴェルトが名前を呼んだ。ロザリアはハッとして、いつの間にか俯いていた顔を、がばりと上げた。恐れているのを見抜かれたのか、とびきり優しい声だった。
「後のことは任せてくれ。王都の安全は、私たち騎士団が、命にかえても守ってみせる。もちろん、あなたのことも」
真っ直ぐな言葉と視線を一身に受け、ロザリアの中の不安が一気に吹き飛んだ。頭の中の全てが真っ白に……いや、澄んだ翡翠色に、塗りつぶされそうだった。
「わ、わたくしだって!」
頭の先から指の先までもが熱を帯び、力が抜けそうになるのをこらえながら、ロザリアは彼を見つめ返した。
「王都の一つや二つ、守ってみせますわ! 天才魔術師ですもの!」
最後に残った魔術師としてのプライドで、そう意気込んだ。
シュヴェルトは驚いたように目を丸くしてから、
「それは頼もしいな」
と、目を細めて笑った。




