第23話 図書館でばったり 2回目
ロザリアは本棚の間をゆっくりと歩き、物珍しげにきょろきょろと見回した。見慣れた図書館の中ではあるものの、魔術書以外の棚には、ほとんど足を踏み入れたことがなかった。
魔術学院に付属している図書館とはいえ、所蔵されているのは魔術書ばかりではない。この国で最も多い蔵書数を誇るからには、当然、小説の類も置いてある。
巷で恋愛小説が流行り出した頃には、誰でも利用のできるこの図書館に、町娘たちが押し寄せていた時期もあったそうだ。流行りが定着し、書籍の流通が増えた今となっては、人の出入りも落ち着いたようだが、まだ人気は根強いようで、本棚の中には貸出中の空間が目立っていた。
小説本も魔術書と同じく、内容の傾向ごとに分類されているようで、並ぶ本棚の一番奥まったところに、恋愛小説と思しき書籍が固められていた。
思わず深呼吸をした。「愛」やら「恋」やら、甘い言葉に囲まれていると、本の隙間から甘い匂いが漂ってくるかのような気がした。ロザリアの心はそわそわとして落ち着かなかった。
目についた背表紙に、手を伸ばそうとしたが、寸前で躊躇ってしまう。それを何度か繰り返し、ようやく一冊目を手にしたものの、
(『第7章 別れ』!? いけませんわ! そんな悲しいお話なんて!)
目次を見て即座に本棚へと戻す。そしてまた振り出しに戻るのである。
(こちらの本は、『騎士様との恋』……わたくしには少し、危険ですわね……)
ロザリアは手を引っ込めて、肩をすぼめた。
本の中で紡がれる恋愛模様を、ただの文字列だと侮ってはいけない。かつて、これらの本を読み、恋愛結婚に憧れた何人もの生徒たちが、学院内で修羅場を巻き起こしたほどの代物だ。
その危険性が、ロザリアにも牙を剥くのだということを、すっかり忘れていた。初心なロザリアが、影響されないはずがないのである。
恋について知りたいだけであって、恋をしたいわけではない。むしろ……恋をしてはいけないのだ。
人間の「恋心」というのは繊細なものである。それは当然ロザリアにも当てはまるだろう。ロザリアの心の中にも「それ」があるのだとしたら、些細なきっかけで、どんな悪影響を及ぼすか、わかったものではない。
(……今日のところは、ここまでにしておきましょう)
潔く諦めて、恋愛小説の棚から背を向けた。緊張をほぐすように、ひとつ伸びをしたロザリアは、気分転換も兼ねて魔術書の棚へと向かうことにした。
どこか開放的な気持ちで、ロザリアの足取りは弾んだ。まだ心が少しそわそわとして落ち着かなかったが、気のせいだろう。棚の間から人が出てくる度、妙な期待と落胆を繰り返したが、それも特に深い意味はない。
そして、あの日シュヴェルトを見かけた棚まで、何事もなくたどり着いた。あの日のように、まずは通路からそっと覗いてみたが、当然のように誰もいなかった。がっかりなんてしていない……少ししか。
ロザリアは、ふうっとため息をついた。気を取り直して、本棚に目を向ける。調べたいのは「魔術障壁」についてだ。
魔術障壁に穴が空き、王都に魔物が侵入した。前代未聞の事態である。しかも、未来予知の中で、魔物が街を襲うという最悪な光景を見た直後の出来事だった。修復にあたった父は「心配いらない」と言っていたが、やはりまだ安心はできない。
恋愛小説には手も足も出なかったロザリアだが、ひとたび魔術書を手にすれば、周りが見えなくなる質である。
いくつかの本をペラペラとめくれば、たちまち、のめり込む。「魔術障壁の有効性」「魔術障壁の歴史」、それから「魔術障壁の美しさ」……これは障壁の芸術性を説いたもののようだ。調査の趣旨からは外れるが興味をそそられる。ロザリアはすっかり勢いづいて、数冊の本を片腕の中に抱えながら、
(あとは、もう少し基礎的な部分もおさらいしておきたいですわね。うーんと……あの本なんかは良さそうですわ)
抱えた本を落とさないよう気を配りながら、上のほうにある一冊の本へと手を伸ばした。
──そのとき、同時に隣から伸ばされた、誰かの手に触れてしまった。
「あっ、すみませ──」
「失礼……おっと、ロザリア嬢か。奇遇だな」
顔を見上げて、固まった。同じ本を取ろうとした人物は、なんとシュヴェルトであった。
ロザリアは動揺を隠すように、慌てて髪を撫でつけた。
「き、奇遇ですわね。決して、あなたに会いに来たわけでは、ありませんのよ……!」
何を言っているんだ。
咄嗟に訳のわからないことを口走ってしまった。聞かなかったことにしてほしい。そんな思いとは裏腹に、シュヴェルトはふわりと破顔した。
「ハハ、もちろんだ。ロザリア嬢は面白いことを言うな」
ロザリアは恥ずかしさに顔をそむけて、咳払いをした。
「……ところで、シュヴェルト様も、魔術障壁に関する本をお探しに?」
「ああ。この前も、何冊か借りていったんだが、私には難しくてな。もう一度探しに来てみたんだ」
「そう、なのですね……」
つまり、彼が今日図書館へ来たのも、ロザリアが見かけた日以来ということになる。2回しか来ていないのに、2回とも、ばったり会ってしまったのだ。
「運命」という言葉が頭に浮かんだ。運命が、彼とロザリアを近づけているのではないか、と。
それは魅力的な考えであった。心がふわふわとして、今にも浮かび上がってしまいそうだった。まるで、彼と自分との出会いが、この世界から祝福されたものであるかのような、特別感に酔いしれそうになった。
──けれどロザリアは、浮つく心を押し込めた。
もし、その運命が、予知した未来へと繋がっているのだとしたら──。
「ロザリア嬢も、魔術障壁について調べているのか?」
彼の声に、現実へと引き戻される。
シュヴェルトは先程手が当たった本を棚からすっと抜き取って、ロザリアに手渡そうとした。ロザリアはすでに抱えている本を持ち上げてみせてから、どうぞ、と手で差し示した。
「ええ。わたくしも、あの出来事があってから、障壁のことが気になってしまって……」
ロザリアは気もそぞろに答えた。これ以上、シュヴェルトと一緒に居ていいものか。彼と距離を詰めること、ひいては、彼を好きになってしまうこと。それを避けるのならば、すぐにでも立ち去るべきだ。
しかし……魔術を愛するロザリアには、今の彼を放っておくことなどできなかった。
「あの……シュヴェルト様は、魔術書をお読みになって、どのあたりを難しいと感じられたのでしょう?」
彼が魔術のことで困っているのなら、力になりたいと思うのは魔術師として当然のことだ。何も特別な理由なんてない。
「そうだな……『魔術障壁は防御魔術の応用』だと書かれていたのだが、恥ずかしながら『防御魔術』というのが、そもそもわからなくてだな」
シュヴェルトは苦笑いをしながら頭をかいた。間髪を入れずにロザリアは言った。
「よろしければ、わたくしがご説明させていただきましょうか?」
「本当か?」
魔術のこととなると、すらすらと提案が出てきた。シュヴェルトは嬉しそうな表情を滲ませながら聞き返してきた。
ロザリアは途端に照れくさくなって、無言で頷いた。目を逸らしたまま、ぽつりと呟く。
「ここが図書館の中でなければ、今すぐにでも『防御魔術』をお見せしたいところなのですけれど……」
図書館内での魔術の使用は原則禁止とされている。そうでなくても、ここで講義を始めてしまうのは少し場違いであろう。
「だったら……」と声がしたので、シュヴェルトの顔を見上げると、
「今から、お付き合い願えるだろうか?」
と、真剣な眼差しで問われた。その表情や声音からは、彼の真面目さや、こちらへの気づかい、頼ってくれていることなどが、ありありと感じられた。
どこか甘い言葉の響きに、胸がいっぱいになりながら、
「ええ……もちろんですわ」
ロザリアは平静を装って答えた。
そうして、互いに本を借りる手続きを終えてから、二人は連れ立って図書館を後にした。




