第21話 天才魔術師のはじまり
抜け道の先にあったのは、三角屋根の古びた小屋だった。上から下から緑のつる草に巻き付かれ、今にも自然へ還ってしまいそうになっていた。それでも小屋は、何食わぬ顔でぽつんと建っていた。
後ろめたさを忘れ、ロザリアはぐるりと辺りを見回した。地面には色も形もばらばらな花が、雑草混じりに咲いている。生垣は枝が伸び切っていて、あまり人の手が入っていない様子だった。
決して美しいとは言えない庭だったけれど、それがかえって、ロザリアの目には新鮮に映った。
「ここは……?」
ロザリアが呟くと、彼女が自慢げに言った。
「私の"ひみつきち"よ! お兄さまが中等部へ上がられる前に教えてくれたの」
王女の兄というと、この国の第一王子だ。中等部の教室はここから離れているから、初等部にいる妹への置き土産として秘密基地を託したのだろう。
「この小屋の中にいると、なぜだか誰にも見つからないんですって。不思議でしょう?」
彼女は慣れた手つきで小屋の扉を開きながら自慢げに言った。小屋へ招き入れられたロザリアは、きょろきょろと中を見回してから、木でできた壁にそっと触れた。それだけで、小さな魔術師にはわかることがあった。
「……きっと、この小屋がトネリコの木でできているからですわ。トネリコの木は魔力でんどう率が高く、かすかに魔力をおびているので、魔力探知をぼうがいしますの」
そう呟いて彼女のほうを振り返ると、なぜだか、ぽかんとした顔でロザリアを見つめていた。
「あなた……もしかして、ロザリア?」
「! どうして、わたくしの名前を……?」
突然言い当てられ、驚きに目を見開いた。ロザリアの様子を見て、彼女は嬉しそうに、ふふ、と笑った。
「やっぱり! 『魔術が大好きな女の子』! ユースが言っていたの。それが従妹のロザリアだって」
知っている名前が出て、また驚いた。ロザリアは改まって、拙いながらもお辞儀をした。
「おっしゃるとおり、わたくしはロザリア・ソル・ルベウスともうします。あなたさまは、ユースお兄さまとお知り合いなのですか?」
「ええ、そうよ。ユースとは同じクラスなの。私はセレン。よろしくね、ロザリア」
彼女は、さっき見た魔力の気配と同じように、聖なる輝きをたたえて優しく微笑んだ。
セレンというと、セレンディーネ王女の愛称だ。やはりロザリアの推測は正しかった。今さらになって冷や汗をかく。王女様に対して、こそこそあとをつけるなんて、不審者扱いされても不思議じゃない。
「お、王女さま……あとをつけてしまい、もうしわけありません」
声を震わせながら頭を下げようとすると、彼女の手に遮られた。
「あぁ、もう……そんなに怖がらないで。ほら、『セレン』だって言ったでしょう?」
「あっ……」
そう言われてやっと、彼女がわざわざ愛称で名乗った理由がわかった。王女であることは伏せ、あくまで一人の女の子として、ロザリアが彼女と接する際に、多少の無礼があっても不問にしてくれるという配慮だろう。
「その代わり、ここのことは誰にもひみつね」
彼女は悪戯っぽく微笑んだ。ロザリアは、こくんと頷いた。
「セレンさまは、どうしてこちらに?」
何の変哲もない小屋だったが、ロザリアなら、魔術書があればいくらでも過ごせるだろう。しかし、小屋の中には使われなくなったようなガラクタが置いてあるだけで、本などは見当たらなかった。魔道具のひとつもない。
一人になりたいのなら、魔力探知されにくいトネリコ製の小屋はうってつけだろうが……
(わたくし、おじゃまだったのでは?)
と、ロザリアが思い始めたとき、セレンがガラクタの中から何かを取りだした。
それは、木製の小ぶりな剣だった。それを握りしめ、セレンはどこか恥ずかしそうに目を伏せた。
「……ここで、剣術の練習をしているの」
「剣術? おひとりで、ですか?」
剣術と王女とが結びつかず、ロザリアは聞き返した。セレンは手元の剣を見つめながら声を落とす。
「ええ、そうよ。剣術をやりたいって言ったら、みんなに猛反対されて。だから、ここで内緒の練習をしているの。あんまり長くやると、みんなが心配するから、授業が終わる前には戻っているけれど」
そう説明されても、ロザリアはまだ首を傾げた。
「どうして、剣術を?」
セレンは王女である。剣は危ないから、みんなが猛反対するのもわかる。ロザリアも反対するだろう。護身としてなら魔術がある。剣術で彼女の魔力の高さを活かせる訳でもない。
ロザリアの問いに、セレンは考える素振りで顎に手を当てた。そして、ばつが悪そうにロザリアの顔をちらりと窺いながら、なぜだか「気を悪くしないでね」と前置きをした上で言った。
「私、魔術が少し……嫌い、なの」
「えぇっ!」
ロザリアは思わず頓狂な声を上げた。まるで、自分のことを嫌いだと言われたみたいに、気分がずんと重くなった。それを察してか、セレンは心の内を明かしてくれた。
「少し前まではね、せっかく高い魔力にめぐまれたのだから、国のみんなを守れるくらい、強い魔術師になりたいと思っていたの」
立派な志だ。思わず感嘆のため息が漏れた。ロザリアが魔術を学ぶ理由は、魔術が好きで魔術のことならなんでも知りたいからだ。何のために魔術を学ぶのか、なんて考えたこともなかった。やっぱり王女さまはすごい。考えが大人だ。
尊敬の眼差しで見つめていると、セレンはくるりとロザリアに背を向けた。そして彼女は俯きがちに続けた。
「でも……もっと早く、もっとたくさん、魔術をおぼえなきゃって思えば思うほど……うまくいかなくなった。それからどんどん魔術が嫌になって……いっそのこと、魔術よりも剣術をやったほうがいいのかもって」
「そ、そんなぁ……」
ロザリアはへにゃへにゃと残念そうな声で嘆いた。
女性で剣術をやる人もいるけれど、やはり体格や筋力の差から少数派だ。それに、高い魔力が勿体無いという気持ちは否めない。
しかし、彼女に魔術を諦めてほしくないのは、ロザリアが魔術を好きだからだ。それがセレンのためになるのかはわからない。ロザリアは魔術でうまくいかないと悩んだことはなかった。何を伝えればいいのだろうか。
考え込んでいると、セレンが振り向き、困ったような笑みをこぼした。そして手にしていた剣をそっと元の場所に戻した。
「……本当はわかっているわ。魔術から逃げているだけだって。どうすれば、あなたみたいに魔術を好きになれるのかしら……」
二人してしばし考え込んでから、ロザリアはおずおずと口を開いた。
「セレンさまが魔術を……きらいだと思っていらっしゃるのは、うまくいかないから、ですわよね」
「ええ……そうね」
セレンの答えに、ロザリアは一転して嬉しくなった。
「でしたら、うまくいくようになれば、好きになれるということですわ! 魔術は息をするのといっしょですもの! 息をすることを嫌いだと思う方はいませんわ!」
「『息をするのと一緒』ねぇ……」
セレンが呟くのに、力強く頷いた。
今思うと、とんでもなく失礼な発言だ。魔術が上手くいかないと悩んでいる王女に対して、『息をするのと同じくらい簡単な事も出来ないのか』などと、侮っているように捉えられてもおかしくはない。
……なんて、このときのロザリアは考えもしなかった。セレンが何も咎めなかったからだ。それどころか、
「私も、そんなふうに思えるようになるかは、わからないけれど、ひとつだけ、わかったことがあるわ」
明るさを取り戻した表情で、セレンはロザリアを見つめた。ロザリアはワクワクと期待の眼差しを返した。
「ほんとうですか! なんでしょう?」
「──あなたが、魔術の『天才』だってことよ」
セレンは呆れたように微笑みながら、そう言ってロザリアの頬をつんとつついた。
「てんさい……?」
ロザリアは首を傾げた。聞いた事のない言葉だった。セレンは、うーん、と考える。
「そうねぇ……魔術に愛されてる、ってことかしら」
ロザリアは魔術を愛していた。そしてこのとき、魔術に愛されていたんだということを知った。なぜだかとても、心が熱くなった。
「セレンさま! どうか、天才魔術師であるわたくしに、魔術を好きになるおてつだいを、させてくださいませ!」
ロザリアは胸を張る。セレンは微笑み、そして手を取った。
「ええ、私からもお願いしようと思っていたところよ。よろしくね、天才魔術師さん!」
「はい!」
小さな魔術師たちは、意気揚々と手を握り合った。
「まずは、セレンさまと相性のよい魔術をみつけるのが良いと思っておりますの! 学院ではいろんな魔術をおしえてくださいますが、うまくいかないとなやまれているのであれば、ごじぶんと相性の良い魔術をじゅう点てきにきわめるのもありですわ! 魔術の相性というのは──」
この日のことは忘れもしない。人生最良の日であり──最悪の日でもあった。
そのあとロザリアはセレンを相手に、3時間ほど話し続けた。日が暮れ始めてようやく、時が過ぎていることに気づいた。慌てて初等部棟へ戻ったときには、物々しい雰囲気の教員と兵士たちに厚く出迎えられた。
それを見て、さすがのロザリアも、本当にいけないことをしたのだと思い知らされた。しかし、悪い出来事はさらに続いた。
古びたトネリコの木の小屋は、魔力探知を防げても、夕暮れの冷たい風を防ぐのには適していなかったようで、セレンが風邪をひいてしまったのである。「治療の魔術」のおかげで大事には至らなかったけれど、ロザリアは当然、しこたま怒られた。
ロザリアはビービーと泣きながら、父に連れられて、セレンの元へお見舞いと謝りに行った。
彼女に嫌われるかもしれない。そう思うと、魔術を嫌いと言われたときとは比べ物にならないくらい、とてつもなく悲しくて、心が張り裂けそうだった。こんなことになった元凶である自分自身と魔術のことを、生まれて初めて嫌いになりかけた。
しかしセレンは、
「ごめんなさい……私が風邪をひいちゃったから、たくさん怒られたのでしょう?」
そう言ってロザリアの頬に手を伸ばし、べしょべしょになった涙を躊躇いなく拭った。彼女の目にも涙が溜まっているのが見えた。ロザリアが何も言えないでいると、
「あなたのお話、とても面白かったの。あなたさえ良ければ、また魔術を教えてくれないかしら?」
励ますように微笑みながら、そう言ってくれた。ロザリアは涙で声を出せないまま、それでも力強く頷いた。彼女の言葉が社交辞令なんかじゃなかったことは、次に学院内でばったり会ったとき、本当に魔術の話をせがまれたことでわかった。
「……お父さま、ごめんなさい」
王城からの帰り道、父に向かってぽつりと呟いた。
「もうよい。お前が反省していることは、十分伝わった」
父は大きな手でロザリアの頭を撫でた。けれどロザリアは、「いいえ」と父を見上げた。
「わたくし、ようやくわかりましたの。お父さまが、『授業での発言を控えるように』とおっしゃったりゆうが」
心のままに魔術の話をし続けたせいで、セレンにも心配したみんなにも迷惑をかけた。それは教室でも同じこと。授業を乱していたことを自覚した。先生にとても心労をかけた。魔術学院は魔術を学ぶだけの場ではない。社交の場でもある。自分の心の赴くままに、振舞っていい場所ではない。先生やクラスメイトにも謝らなくちゃ。そして──
「わたくしは魔術学院で、大人のふるまいをまなびますわ! もう二度と、セレンさまを涙させないために!」
──これが、魔術しか知らなかったロザリアに、初めて、自制の心が芽生えた瞬間であった。
就寝前の静かな部屋の中で、ロザリアはひとり、昔のことを思い出していた。あの頃の未熟な自分がシュヴェルトと出会っていたら、どれだけ失望させていたかわからない。……今も、そうさせていないとは限らないけれど。
(わたくしは、シュヴェルト様と、仲良くなりたいのかしら……)
失望されたくないのも、気楽に話してほしかったのも。
セレンのことが気になって追いかけたときのように、今は彼のことが気になっている。あれがきっかけでセレンと仲良くなれたように、彼とも仲良くなりたいのだろうか。
だとしたら、やはり……これは、恋などではない。仲良くなりたい。その気持ちは、出会ったばかりの人間に、抱いて当然の気持ちだ。
そう自分に言い聞かせながら、ロザリアは眠りについた。




