第20話 天才魔術師の苦い思い出
送ってくれるというシュヴェルトの真っ直ぐな善意を断れないまま、ロザリアの心臓が飛んでいってしまう前に、なんとか、屋敷までたどり着くことができた。
一人になってから、ロザリアは改めて考えた。
なぜ、彼にあのようなお願いをしたのか。3人といるときにも考えかけたことだ。なぜ、丁寧に接してくれていただけのシュヴェルトに、寂しさを感じてしまったのか。
理由はもちろん──恋などではない。
昔からシュヴェルトと知り合いだったという、ユースとセレン。だから、自分だけがシュヴェルトにぎこちなく接し、3人の輪の中に入れなかったのが、寂しかっただけだ。
自分も彼と小さい頃から知り合っていれば、どんなふうに会話をしただろう。どんな気持ちを彼に抱いただろう。
……ロザリアは首を横に振る。考えたって仕方がない。どんな魔術でも過去は変えられないのだから。
むしろ、今のロザリアが彼と出会ったことは、幸運だったかもしれない。
なぜなら、昔のロザリアは、今のような淑女ではなかったからだ。
ロザリアのこれまでの人生は魔術一筋であった。なにせ、魔術学院の学院長を父にもち、物心つく前から魔術に触れていたロザリアである。魔術を愛し、魔術に愛されることとなるのは当然と言えよう。
昔のロザリアと来れば……今よりもずっと、魔術のことしか考えられない未熟者だった。
それを象徴するような、忘れられない思い出がある。ロザリアが魔術学院初等部に入学した頃のこと。6歳のときの出来事だ──。
*
「さぁみなさん。今日は、『魔術のはじまり』について、勉強していきますよ」
教壇に立った先生の声に、集まった数十人の子どもたちは皆、注目を向けた。これが彼らにとって、魔術学院で受ける初めての授業であった。
どんな話が聞けるのかと期待を寄せる者もいれば、実技ができると思っていたのか、あからさまに残念そうにしている者もいた。
そんな中で、ロザリアは一際、目を輝かせていた。
「はじめに、『魔術』とは何か。わかる人はいるかしら?」
先生が教室を見回し、皆の顔を眺めながら問いかける。
「はい!」
ロザリアは勢いよく手を挙げた。答えたくて、うずうずしていた。他には誰も手を挙げなかった。
「では、ロザリア嬢」
先生は微笑みながら指名した。ロザリアは立ち上がり、声高に答えた。
「『魔術』とは、『たいないの魔力をしょうひして、ちょうしぜんてきなげんしょうをひきおこすこと』ですわ!」
舌足らずながらも、魔術書で読んだ正式な定義をそらんじてみせた。ロザリアの回答に、先生は驚いた顔をした。
「すごいわね……ありがとう、ロザリア嬢。えー……もう少し簡単に言うと、魔術とは『強く思い浮かべたものを形にすること』です。他のみなさんはひとまず、そう覚えていてください」
先生はおもむろにハンカチを取り出して、とんとんと額の汗を拭いた。それからまた、にこやかに子どもたちへと語りかけた。
「では次に、私たちのご先祖さまは、いつから魔術を使い始めたか──」
「はい!」
ロザリアは再び手を挙げた。先生は目を丸くした。そんなことにはお構いなしで、ロザリアはとにかく、知っていることを話したくてたまらなかった。少し、間があってから、
「……どうぞ、ロザリア嬢」
と、先生は手のひらでロザリアを指し示した。
「いまから5000ねんまえ、ご先祖さまがこの地にやってきたとき、魔術のそんざいを知ったとされていますわ!」
「……ええ、その通りです。では、ご先祖さまがどうして──」
「どうして、魔術を知ったかというと! こうどな魔術ぶんめいの『いせき』が、のこされていたから! ですわ!」
ロザリアは我慢ができず、手を挙げながら発言した。先生は、時が止まったかのように、話をしている途中で固まっていた。クラスメイトたちも、ぽかんと口を開けている中、ロザリアはひとり、満足気であった。
そのあとの授業も、次の日の授業でも、ずっとこの調子で、ロザリアの意欲は止まらなかった。先生が何かを話す度に、ロザリアが挙手をする。先生よりもロザリアが話している時間のほうが多いくらいだった。
そして1週間が経った、ある日の放課後。教室を出ようとしたロザリアに、先生が声をかけてきた。
「……ロザリア嬢」
「はい!」
ロザリアは授業の熱気をそのままに、元気よく返事をした。
「……教員棟に、来てください」
「はい!!」
もっと魔術のお話が、できるのかもしれない。ワクワクと胸を踊らせたロザリアには、先生の疲れた様子など、これっぽっちも目に入らなかった。
先生に連れてこられたのは、教員棟の一番奥にある、学院長室であった。父の仕事場である。
「お父さま?」
部屋へ入ると、頭を抱えた父が待ち受けていた。父は、ロザリアを連れてきた担任の先生に向かって、真っ先に頭を下げた。
「申し訳ない。幼い頃から魔術書を与えていたばかりに……」
「いえ、ロザリア嬢の熱意は素晴らしいものです。しかし、私に忍耐力がないばかりに……」
頭を下げ合う大人たちを不思議に思っていたところ、わけもわからないままロザリアは、
「しばらく授業中の発言を控えなさい」
と、父から言いつけられた。
なぜそんなことを言われるのかわからなかった。けれど、彼らの表情から、褒められているわけではないことはわかった。
納得がいかなかった。魔術の話をしたいだけなのに、どうして発言してはいけないのか。魔術学院は、魔術を学ぶ場所ではないのか。魔術のことを知りすぎているから、授業に参加してはいけないの?
ロザリアは途端に授業がつまらなくなった。
ある日、とうとう我慢ができずに、その日の最後の授業をサボった。適当に理由をつけて教室を抜け出してきたものの、虚しさと罪悪感に苛まれて、気分が上向くことなどなかった。
どこの教室でも授業中で、誰もいない静かな庭を、ロザリアはとぼとぼと歩いていた。図書館へ行って魔術書を読もうにも、なんとなく気が乗らなかった。
「はあ……」
風に揺れる木の葉を見上げながら、ため息がこぼれた。今の教室にいると、息が詰まる。そう思いながら、うーんと伸びをしたとき──ロザリアは、無意識に「魔力探知」をした。
あまりにびっくりして、憂鬱が吹き飛んだ。今まで感じたことのないような魔力を探知したのだ。
それは、まるで月が地上まで降りてきてしまったかのような。聖なる輝きを放っていた。近づくことが躊躇われるような、けれど、引き寄せられてしまうかのような、とてつもなく強い魔力であった。
ロザリアはたまらず、気配がしたほうを振り向いた。そこにいたのは──セレンディーネ王女だった。
透き通るような銀色の髪。それは王家の血を引く者の特徴。そして、類を見ない魔力の高さ。まちがいない。セレンディーネ王女だ。比較的高い魔力を持つ王族の中でも、彼女は飛び抜けて高い魔力を持つと聞いたことがある。
この国では、位の高い家系ほど、高い魔力を持つ傾向にある。魔力の高さというものは、主に両親からの遺伝によって、生まれたときから決まっているものだ。
しかし稀に、両親よりも高い魔力を持って生まれることがある。セレンディーネ王女がそうだ。そして──ロザリア自身も。
ルベウス侯爵家の中で、ロザリアよりも高い魔力を持つ者はいなかった。クラスメイトの中にも。今まで、自分より高い魔力を持つ者を見たことがなかったのだ。
セレンディーネ王女が、初めてだった。ロザリアはこのとき、生まれて初めて、自分よりも高い魔力を探知した。
その魔力の、あまりに、美しいこと。
高い魔力は美しいのか。それとも、彼女の魔力が特別美しく見えるだけなのか。魔力の美しさについて書かれた本はないのかしら……。
そんなことを考えながら、しばし見惚れていた。ロザリアは動くことを忘れて立ちすくんだまま、王女の姿を目で追った。
彼女は、こそこそと人目を気にしている様子で、どこかへ行こうとしていた。教室ではない。ロザリアには気づいていないようだった。
少し迷ってから……ロザリアは、こっそり、ついて行くことにした。
彼女は初等部の棟から離れ、図書館とも逆の方向へと歩いていた。それ以外の場所を、入学したばかりのロザリアはまだ知らなかった。
どこへ行くのだろうと不思議に思っていると、彼女は突然身をかがめ、庭の生垣の中へと消えてしまった。
急いで駆け寄り、生垣をよく見てみると、子どもがひとり通れるくらいの草のアーチが、つる草の向こうに隠されていた。
誰かが作った秘密の抜け道だろうか。王家の方がこんなところを?
ごくりと唾をのんだ。授業をサボってこんなことをしてしまうなんて。このアーチの先がどこに繋がっているのかわからない。いけないことをしている自覚は十分にあった。けれど……ロザリアは好奇心に負けて、つる草をかき分けた。
身を屈め、生垣に空いた抜け道の中へと、おそるおそる足を踏み入れる。道の先を目で辿ると、王女の背中が見えた。あとをつけているということに、今さらになって後ろめたさが湧いてくる。そんな矢先、
「きゃっ!」
足元を横切った蛇に驚いて、ロザリアは声を上げてしまった。
「だれ!?」
「……っ!」
王女が言いながら、すばやく振り向いた。ロザリアが身体をびくつかせると、彼女はキョトンとした顔に変わった。
「え……女の子? なぁんだ、先生じゃなかったのね」
「ご、ごめんなさい……わたくし……」
「待って。ここではダメ。ついてきて!」
謝ろうとしたものの、言われるがまま、彼女に続いてアーチを抜けた。
その先にあったのは──。




