第19話 鈍感ふたりの考察
3人になってしまった応接室で、考え事をするように腕を組んでいたシュヴェルトが、「そういえば」とセレンに向かって言った。
「不思議に思っていたのです。昔のユースは『セレン様』と呼んでいただろうか、と」
その言葉に、ロザリアも思い返してみた。たしかに、昔のユースは「セレン」と呼び捨てにしていたような気がする。自分が「セレン様」と呼んでいるからか、ロザリアは今まで気にしたことがなかった。
言われてみれば、セレンに対するユースの、砕けた口調と堅い呼び方は、どこか、ちぐはぐであるようにも思えてくる。
セレンが寂しそうに目を伏せながら答えた。
「小さい頃、『セレン』と呼ぶようにお願いしたの。なのに、ある時から急に『様』をつけるようになっちゃって……」
「ユースお兄様は、なんと?」
「いいえ、何も。いつもああやって、はぐらかすの。お互いに、大人になっていくのだから、仕方がないことなのかしら……」
ため息混じりの、諦めたような声で彼女は言った。それを聞いて、ロザリアの中で重なる記憶があった。ユースに、セレンと恋人同士なのかと尋ねた時のことだ。
『僕がセレン様の恋人だなんて、おこがましいよ……』
あの時のユースは、今のセレンと同じく、諦めたような声でそう言っていた。もしかして──あの時から、なのではないだろうか? 恋人だと誤解されないように、わざと「セレン様」と呼んで、距離を置こうと……。
ロザリアは息を呑んだ。あの時の自分は、なんてことを尋ねてしまったのだろう。
あれがきっかけでユースが呼び方を変えてしまったのなら、ロザリアにも責任がある。ならば、わたくしが、何とかしなければ!
ロザリアは跳ねるように座り直し、身体ごとセレンのほうへと向けた。
「セレン様は、それを……『寂しい』と思っていらっしゃるのではないですか?」
今のロザリアには、痛いほどわかった。彼女の表情が答えだった。
得体の知れない苦しさの正体──ロザリアの感じていた気持ちもまた、「寂しさ」であったのだ。
「ええ……そうね」
セレンは躊躇うように小さく返事をした。ロザリアはそれを聞き逃さず、ソファの上に手をついて身を乗り出した。
「でしたら、セレン様! 素直に言わないと、伝わりませんのよ!」
「!」
セレンが目を丸くした。その言葉は、ついさっき彼女に言われたことだ。セレンの表情が段々と明るくなっていく。
「ええ……そうよね! ごめんなさい。私も、用事を思い出したわ!」
そう言いながら、勢いよく立ち上がったセレンは、ユースの後を追うように応接室から出ていった。
祈るような気持ちで、それを見送ってから、
「はぁ……」
ロザリアはソファに身を預け、安堵と嘆きの入り混じったため息をついた。
これで元通りになればいいのだけれど。過去の自分が無神経なことを尋ねたせいで、今の今まで二人の仲をギクシャクさせてしまっていたのなら、自分で自分を許すことができない。
「どうされ……あー、どうした? 浮かない顔だが」
シュヴェルトは律儀に言い直した。クスッと笑みがこぼれた。やっぱり真面目な人だ。ロザリアは少し気が抜けて、彼に打ち明けることにした。
「わたくしのせいかもしれないのです。わたくしが昔、恋人同士なのかと尋ねたから、ユースお兄様は気にされてしまったのかと」
彼は、ふむ、と相槌をうってから真剣な眼差しで答えた。
「だとしても、ロザリア嬢が気に病むことではない。ユースがそうすると決めたのだから」
「そう……ですわよね」
励ましの言葉をもらっても、まだ罪悪感を拭いきれなかった。そんなロザリアの気持ちを汲んでくれたのか、シュヴェルトはこう続けた。
「だが、彼らを心配する気持ちもわかる。二人は昔から仲が良かったからな」
「前にお二人に会われたのは、5年前だったのですわよね?」
「ああ。彼らが魔術学院の中等部にいた頃だったか」
中等部という響きに、妙に納得がいった。まさしく、その手の話に敏感な年頃だ。セレンとユースの関係に、恋人同士であるという噂が流れるようになったのは、まさにその頃だ。
シュヴェルトの知っている彼らは、まだロザリアが噂のことを尋ねる前の彼らだったのだろう。
「どこか違和感を覚えていたんだ。やり取りを聞いていれば、仲違いしたわけではないのだなと安心したんだが」
当時のロザリアは、彼らが恋人同士であるという噂を聞いて、たぶん、嬉しかったのだと思う。ロザリアの大好きな二人が、特別な絆で結ばれるのなら、これほど嬉しいことはない。
彼らを見て「安心した」というシュヴェルトも、ロザリアと同じ気持ちを抱いているのではないだろうか。
「ユースお兄様は、『おこがましい』と仰っていました。ご自分がセレン様の恋人だなんて、と」
王女であるセレンに結婚を申し込む者はたくさんいるだろう。公爵家や侯爵家はもちろん、他国の王族から話を持ちかけられる可能性も、十分に考えられる。そんな中で、ユースは伯爵家の令息であるから、どうしても不利になる。
「わたくしには、ユースお兄様が身を引かれるおつもりであるように、思えてならないのですわ。まだ、セレン様の婚約相手は決まっておられないというのに……!」
二人の仲が引き裂かれるかもしれないという悲しさ。想像するだけで我がことのように胸が苦しくなる。ずっとこのままではいさせてくれない無慈悲な現実に、ふつふつと怒りすら湧いてくる。感情が高ぶってきたロザリアは、思わず前のめりになった。
「わたくし、あのお二人は絶対に両想いだと思いますの! シュヴェルト様も、そう思われませんこと!?」
ロザリアの声は段々と大きくなっていき、最後には熱くなりすぎて、ソファからほとんど立ち上がっていた。
自分の想いを吐き出し終え、応接室がしんと静かになって初めて、シュヴェルトが目を丸くしていることに気づいた。
「し、失礼いたしました!」
ロザリアはソファに座り直して、うんと深く沈みこんだ。
「……いや、少し驚いただけだ。ロザリア嬢は、そうやって誰かのために熱くなれる人なのだな」
そう言って彼は微笑んだ。嫌がられてはいないと考えていいのだろうか。
シュヴェルトは「あー、そうだな……」と唸ってから、
「彼らの気持ちは、わかりかねるが……私は、あの二人が変わらず笑顔でいられることを願っている」
「お、大人ですわ……」
ロザリアは思わず呟いていた。そして自分の未熟さを実感した。恋心なんてわからないと自覚しているのに、本人たちの気持ちをわかったつもりになっていた。
彼らの仲が良いことはロザリアにも見て取れる。けれど、そこに恋心があるかどうかは、二人にしかわからない。いや、たとえ本人であっても、確かめられないものなのかもしれない。
恋心というものはきっと、どんな魔術よりも繊細なものだ。他人が無闇に踏み込めば、容易く壊れてしまう。
しょぼくれたロザリアを見て、シュヴェルトが慌てたように付け加えた。
「だが、傍から願っているだけではなく、ときには背中を押してやることも必要なのだと思うぞ。あなたが先程、セレンディーネ様にかけた言葉のように」
「そうでしょうか……」
素直に言わないと伝わらない。セレンにかけた言葉は、本人からかけられた言葉を、そのまま返しただけだ。
唇をへの字に曲げたまま、ロザリアはシュヴェルトを見つめた。彼はどことなく、ばつが悪そうに頭をかいた。
「まあ……私は、その手の話には明るくないからな……あまり、あてにしないでくれ」
彼は珍しく歯切れを悪くし、翡翠色の目を逸らした。その頬は照れくさそうに、ほんのりと赤く色づいていた。
その色にあてられて、たちまちロザリアの頬が熱くなった。
自分は今、何をしていた? よりにもよってシュヴェルトと、恋の話をしていなかったか? ……しかも、二人きりで!
ユースとセレンのことに夢中で、すっかり忘れていた。彼らが出て行ってしまってから、ロザリアはシュヴェルトと二人きりになっているということを。
「わ、わたくしも、そろそろお暇させていただきますわ。ほら、お外も暗くなってしまいますし!」
ロザリアは慌てて立ち上がり、咄嗟に言い訳をした。シュヴェルトは微かに頬を赤らめたまま、逸らしていた目を合わせ、どこかほっとしたように立ち上がった。
「そうだな。では、屋敷まで送ろう」
「い、いえ。今回は大丈夫ですわ。貴族街の中ですし……」
「しかし、外が暗くなっているなら、危ないだろう」
「あ……」
口をついて出た言い訳が仇となった。これ以上二人きりでいると、心臓がもたないかもしれないのに。
彼は、ロザリアが遠慮していると思ったのか、
「本部まで訪ねてきてくれた礼だと思ってくれればいい。──あなたと、また会えて良かった」
ひっ、と悲鳴が出そうになるのを、寸前で堪えた。さっきまで照れくさそうに頬を染めていたのに、どうしてこういう台詞は恥ずかしげもなく言えてしまうのか。
大人は、みんなそうなのだろうか。それとも、この人が真っ直ぐすぎて眩しいだけなのだろうか。
「わ、わたくしも、ですわ……」
素直に言わないと、伝わらない。その助言を胸に、ロザリアは噴火しそうになりながら、なんとか声を絞り出した。




