第17話 名前を呼んで
とうとう彼に会ってしまった。あれほど再会を恐れていたのに……不思議と、嫌な気持ちはしなかった。
自分は何を心配していたのだっけ? 抱えていたはずの不安を覆い隠してしまうほど、ロザリアの心は嬉しさに包まれていた。
あのときの騎士が……シュヴェルトが、ロザリアと出会ったことを、覚えてくれている。それがわかっただけで、胸がじんわりと暖かくなった。
「先日は、ありがとうごさいました」
シュヴェルトはあの日の別れ際と同じように、お手本みたいなお辞儀をした。こうなったらもう、子どもじみた真似なんてしていられない。
「いえ、わたくしのほうこそ……」
観念したロザリアは、セレンの後ろからそっと姿を現して、ぺこりと会釈をした。
「あら? 二人は会ったことがあるの?」
首を傾げたセレンの声に、ロザリアはぎくりとした。彼女が疑問に思うのも当然だ。そのあたりのことは何も説明することなく、連れて来てもらったのだった。シュヴェルト本人の前ではもう誤魔化すことなどできない。
「……ええ。黙っていて申し訳ありません、セレン様」
「そう……話を聞きたいところだけれど、場所を変えたほうがいいわね」
ロザリアたちはひとまず4人で場所を移すことにした。沸き立っていた令嬢たちには申し訳ないけれど、彼女たちの注目を浴びなくてすむのはありがたかった。
庭に面した扉を抜けると、見覚えのあるエントランスホールへと続いていた。避難所となっていたあの日と違って、人の気配が少なく静かだった。天井の高いホールに、足音だけがコツンコツンと響いている。騎士団本部の中には応接室があるというので、そこを借りることにした。
シュヴェルトを先頭に案内してもらう途中、セレンがユースのそばに寄って話しかけた。
「シュヴェルトに会いに行くのなら、私も誘ってくれればよかったのに」
「でもセレン様は、既に就任式で会っていたんだろう?」
「それとこれとは別よ。男の子同士で内緒話でもするつもりだったの?」
「何を言うんだい、まったく……」
ユースは呆れたようにため息を吐きながら、けれども愛おしそうに目を細めた。シュヴェルトは二人をちらと振り返ってから、ユースに声をかけた。
「セレンディーネ様とは相変わらず、仲が良さそうだな。安心した」
「え?」
彼は意外なことを言われたみたいに目を丸くした。ロザリアは肯定するように、うんうんと頷いた。固まってしまったユースの代わりにセレンが答えた。
「そう? ふふ、ありがとう」
彼女が嬉しそうにはにかんだとき、そっぽを向いたユースの頬がほんのりと赤く染まっていくのを、ロザリアは見逃さなかった。
そんなやり取りがあったあと、お目当ての応接室へと通された。4人で使うのにちょうどいいくらいの、こぢんまりとした部屋だった。床にはふかふかの絨毯が敷かれており、真ん中に置かれたローテーブルを挟んで、上品な仕立てのソファが向かい合っていた。
席を勧められ、ロザリアはセレンの隣に腰をおろした。次にユースがセレンの前に座ったため、ロザリアは最後に残ったシュヴェルトと向かい合わせで座ることになってしまった。目のやり場に困ったロザリアは、少しだけセレンのほうへと身体を向けた。
ユースが気を取り直してシュヴェルトに問いかける。
「それで? 王都に帰ってきたばかりなのに、いつの間にロザリアと知り合ったんだい?」
「ああ……この前、魔物が街に入り込むという事件があっただろう? そのときに、色々とご助力いただいたんだ」
シュヴェルトが言うと、ユースは興味深そうに相槌をうった。ハッとしたロザリアは、慌てて口を挟んだ。
「わ、わたくし、その日は偶然街におりましたので、お父様への連絡をさせていただきましたの」
ロザリアの中で途端に緊張感が高まった。といっても、彼と会ってから絶え間なく感じている緊張とは、種類の違うそれである。
街での出来事を聞かれてしまうと、ロザリアとしては少々まずい。
一人で平民街へ出たことを知られるだけならまだいい。ユースとセレンなら、父のように咎めはしないだろう。むしろ、民への関心の深いセレンであれば、どうして誘ってくれなかったのかと拗ねるかもしれない。
ただし、魔物と戦ったことがバレると話は変わってくる。ロザリアが自ら危険に身を晒したと知れば、民想いの王女様と思慮深いお兄様は目の色を変えるだろう。
あのときは、わざわざ安全な騎士団本部まで運んでもらったというのに、自ら魔物のうろつく街中に飛び出して行ったのだ。
その一部始終を、シュヴェルトは知っている。彼の前で、二人から説教されるのは何としても避けたい。
案の定、セレンは心配そうに眉を下げた。
「魔物の件については、私も聞いているわ。けれどまさか、その場にロザリアがいたなんて……」
「怪我はなかったかい? 無茶な真似はしていないだろうね?」
すかさずユースが勘の鋭いことを言う。どきりとしながら、ロザリアは自らの胸をとんと叩いた。
「大丈夫ですわよ! それより今は、わたくしのことなどではなく、積もる話があるのでは? その……副団長様と」
話を逸らそうと、彼のほうをちらと見た。まだ「シュヴェルト」と口にするのには、心の準備が足りなかった。しかし、それを聞いた彼は、何かに気づいたように「あ……」と声を漏らした。
「失礼。まだ名乗っていませんでした。私は王国騎士団副団長の、シュヴェルト・ウェントゥスと申します」
シュヴェルトは立ち上がってそう言うと、手のひらを胸の前に添え、丁寧に頭を下げた。その所作に見惚れそうになりつつ、ロザリアも慌てて立ち上がり、
「わたくしは、ルベウス侯爵家の、ロザリア・ソル・ルベウスですわ」
制服のスカートを軽く摘んでお辞儀をした。平静を装いながら、危うく手が滑りそうになった。
思いがけない流れになったけれど、これでうまく話を逸らすことができただろう。
ロザリアたちがソファに座るのを待って、ユースが言った。
「ロザリアは僕の従妹なんだ」
「そうだったのか。そう言われれば、どことなく似ている気がするな」
シュヴェルトは横を向いてユースにそう返してから、向かい合うロザリアのほうへと視線を戻した。反発し合う磁石のように、視線を合わせられないでいると、
「例えば、どこが似ているかしら?」
と、追い打ちをかけるように、セレンが楽しそうな声で言った。
「そうですね……」
シュヴェルトはローテーブルのほうへ少しだけ身を乗り出して、生真面目な顔でロザリアをじっと見つめ始めた。
助けを求めるように隣を見ると、セレンは満足気な笑みを浮かべていた。庭で隠れていたときといい、彼女はロザリアの反応を見て楽しんでいる節がある。
助けは期待できないと察し、ロザリアはおずおずとシュヴェルトに伝えた。
「あの……あまり見つめられると、わたくし、困ってしまいますわ……」
「!」
消え入るような声であったが、シュヴェルトは即座に姿勢を正した。無自覚であったらしい。どれほど真剣に答えるつもりだったのだろうか。
「これは、失礼いたしました。ロザリア様」
「! い、いえ……」
不意を突かれて、激しく鼓動が跳ねた。
──彼が初めて、ロザリアの名前を呼んだ。
それだけのことなのに、彼と自分の世界が、ようやく交わったような気がした。夢のようだった彼という存在が、ロザリアの生きる現実の中に、やっと根を下ろしたかのようだった。
だというのに、ロザリアの心の中に芽生えたのは、嬉しさだけではなかった。
(ロザリア『様』、なのですね……)
侯爵令嬢であるロザリアにとって、「ロザリア様」と呼ばれることなど日常茶飯事だ。なのに、シュヴェルトからそう呼ばれると、やけに引っ掛かりを覚える。
他人行儀の堅苦しさ。それを彼から感じる度に、ロザリアの息までもが苦しくなっていくかのようだった。




