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第13話 母の勘


 屋敷に帰ったロザリアを出迎えたのは、ほっとしたような顔をする使用人たちと、まぶたを赤く染めた母であった。


 言葉にされなくても、皆が心配していたのだと一目でわかった。涙もろい母は、ハンカチをいくつ濡らしただろうか。


 真っ先に駆け寄ってきた母が、ロザリアを抱きしめる。


「ロザリア! あぁ……無事でよかった! もう……お転婆なんですから」


「ごめんなさい、お母様……」


 ぎゅうっと包み込まれると、謝罪の言葉が素直に口からこぼれた。ロザリアは母の背中に手を回し、そっと抱きしめ返した。


 どのくらい、そうしていただろうか。少し気恥しさを感じ始めたとき、母はようやく身体を離し、ロザリアの顔を見ながら困ったように眉を下げた。


「あなたが街へ出たとわかってから、気が気じゃありませんでしたわ。また一人で魔術の練習をしているのかと思っていましたのに……」


 ため息混じりの声には、後悔が滲んでいた。娘の姿が見えないことに、気づいていたのだろう。


 ロザリアは昔、魔術の練習を誰にも見られたくなくて、練習中は一人にしてほしいと頼んだことがあった。失敗することに恥ずかしさを感じていた中等部の頃のことだ。当時の未熟さを思い出すと、むず痒くなってくる。けれど、母や使用人たちは、今もそのお願いを守ってくれている。


 おかげで今日、こっそりと屋敷から抜け出すことができた訳だが、今後しばらくの間は、皆ロザリアの行動に目を光らせることだろう。


 内緒で家を抜け出すなんて、侯爵令嬢にあるまじき行為だったのかもしれない。けれど、魔術師として、後悔はしていなかった。予期せぬ事態ではあったものの、己の魔術を役立てることができたのだし──彼も、助かったと言ってくれた。


 副騎士団長、シュヴェルト。思い返そうとして……すぐに頭の中から追い出した。母の前で彼のことを思い浮かべるのは、なんだか、いけないことのような気がして、落ち着かなかった。


 俯いたロザリアの頭を、母の手がゆっくりと撫でる。


「あなたも、まだまだ子どもですわね。そろそろ婚約相手を探さなきゃいけないというのに……」


 さらりと聞こえた母の言葉に、ロザリアは唖然として、がばりと顔を上げた。


「こ、婚約相手……!? お母様! 卒業までは、まだ1年もありますわ!」


「ええ。もう1年しか、ありませんのよ」


 娘に言い聞かせるよう、目を合わせながら語気を強める母に、ロザリアは背筋を伸ばした。


 魔術学院を卒業すれば、婚約禁止の校則から解放される。そのあとは、あらかじめ当たりをつけていた人や、婚約を申し込んできた人の中から、婚約相手を決めることになる。そうして少しの婚約期間を経てから、両家の準備ができ次第、結婚するのが通例だ。


 婚約……そして結婚。間もなく卒業を迎えるセレンやユースのことばかりを心配して、ロザリア自身のことは、遠い未来の話のように感じていた。自分が卒業したあとのことなど、まるで想像がつかなくて、真っ暗闇の中に放り込まれたかのような気分になる。


 ロザリアの気持ちを察したのか、母が励ますように微笑んだ。


「安心なさい。あなたに相応しい方を、お父様と一緒に選んであげますからね」


「それは、信じていますけれど……」


 相応しい方ってどんな方なのだろう。


 そう考えたとき、真っ暗闇を切り裂くように、ロザリアの頭によぎったのは──凛々しく頼もしい背中。くっきりとした端正な顔立ち。そして、翡翠色の瞳。


 ……違う。あの人は関係ない。さっきまで一緒にいたから、思い出してしまっただけだ。一度会っただけの、それだけの人。


 ロザリアはぎゅっと目を瞑って、小さく頭を振った。それから何気なく母の顔を見ると、何故だか目を丸くしていた。


「ロザリアあなた……もしかして、意中の方がいらっしゃるの?」


 思いがけない言葉に、一瞬で体温が上がった。


「え!? い、いえ、違いますわ! 断じて、違います!」


 ぱたぱたと手を振って否定する。母は怪しむようにロザリアの顔をじっと見つめた。そして、口元に手を添えると、こっそりと声を落とした。


「大丈夫よ。お父様には、まだ内緒にしますわ」


「違いますってば! お母様、わたくし、そろそろ失礼いたしますわ!」


 母の追求を無理やり振り切って、ロザリアは逃げるように自室へ向かった。


 後ろで、あらまあ、と、どこか楽しそうな声が聞こえた。母には敵わない。


(お母様ったら……!)


 意中の方なんて──好きな人だなんて、冗談じゃない。


 彼とは、もう会うことなどない。騎士団の副団長と、魔術学院の生徒だ。今までも、これからも、接点はない。


 そう思うと、心臓をわしづかみにされたかのように、胸が苦しくなった。


(また、ですわ……)


 彼はもうそばにいないのに、まだ身体がおかしいみたいだ。涙があふれる寸前みたいに、頬が熱くなる。離れたら、元に戻ると思っていたのに。


 ──これが、恋?


 人の心を揺さぶり、ときに狂わせるもの。恋心を知らないロザリアには、わからない。これが、恋なのかどうか。


 彼にもう一度会えれば、答えが出るのかもしれない。


(……それなら、会わなければいいのですわ)


 これまで通りに過ごしていれば、きっと元通りだ。


 考えなければならないことは、他にもたくさんある。未来予知の夢のこと。王都に魔物が侵入したこと。街に実害が出ている以上、夢で見た魔物の襲撃も、ありえないとは言い切れなくなっている。


 余計なことに気を取られている暇はない。彼のことなんて、そのうち忘れられるだろう。


「……わたくしが、恋なんて、するはずがありませんもの」


 自分に言い聞かせるように呟いた。ロザリアの胸は、ちくりと痛んだ。



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