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第12話 彼の名は


 その後は一度も魔物に遭遇しないまま、二人は東門に到着した。兵士たちの敬礼を受ける副団長を見て、ロザリアも気持ちを切替える。


 東門は、王都の東西南北に位置する関門のひとつだ。王都の街へ足を踏み入れるには、必ずいずれかの関門を通ることになる。それは、魔物が地上から侵入する場合も同じだ。


 木と鉄でできた大きな門扉は今、固く閉ざされていた。


 副団長は門に近づき、小さな通用口の扉を開けた。腰を屈めて外へ出ようとするので、ロザリアもついて行こうとすると、「待っていろ」と制された。


 仕方なく、通用口の扉の隙間から、そっと外を覗き見る。副団長と兵士の話し声がする。


「──状況は?」


「はっ! 周囲の魔物を討伐し、現在、魔物の襲撃は落ち着いております!」


「わかった」


 短く返事をすると、彼は迷わずこちらを振り向いて、何も言わずに手招きをした。覗いていることがバレていたようだ。ロザリアは、そそくさと通用口をくぐった。



 街の外に出ると、ツンとした草の匂いが鼻を刺激した。王都の東側は、緑豊かな土地だ。街道の両脇には草原が広がっている。吹き抜ける風が葉を擦り、ざわざわと音を立てていた。


 ロザリアは、閉ざされた門の前に立ち、深く息を吸って、魔力探知を始めた。


 王都をぐるりと包む外壁の、さらに一回り外側に魔術障壁はある。普段は見えないが、魔力探知をすると感じ取ることができる。


(……! これは……)


 ロザリアの探知した魔術障壁は、門扉のちょうど正面の位置に、すっぽりと穴が空いていた。しかも、穴は現在も広がり続けており、門扉や外壁を越える高さまで到達しようとしていた。


「……どうだ?」


 副団長が隣から慎重そうに問いかけてくる。ロザリアは気を引き締めて答えた。


「ご推察の通り、やはり魔術障壁に穴が空いていますわ。脆くなったところから広がり続けている……あなたの言う通り、一刻も早い対処が必要ですわね」


 魔術障壁はその巨大さに反して、とても繊細なものだ。一箇所が破れてしまえば、その影響はいずれ全体にまで波及する。理論上は知っていたけれど、実際に目にすると、事の重大さがよくわかった。


「そうか……では、増援が来るまでは中に」


「いえ。応急処置だけでも、わたくしにさせてくださいませ」


 街の中へエスコートされるのを断って、ロザリアは破れた魔術障壁の前へ一歩踏み出した。


 実体のない障壁に手をかざし、魔力を込める。魔術において大事なのは想像することだ。障壁のイメージは「網」である。複数人の魔力を糸のようにして、縦へ横へと寄り合わせたものだ。しかし、この大きさだと、ロザリアひとりで穴を塞ぐのは、さすがに難しいだろう。


 ならば──解れたところを絡め取り、固く結んでいく。これ以上、穴が広がらないように。


 魔力が光の糸となって空中に浮かび上がる。周りにいる兵士たちから感嘆の声が漏れ聞こえた。この瞬間だけは、皆の目にも見えているのだろう。


 ロザリアがゆっくりと手を下ろすと、光が止んで障壁は再び見えなくなった。ふうっとひとつ息を吐く。


「……これで良いでしょう。お父様が来られるまでは、持ちこたえるはずですわ」


 振り向いてそう言うと、副団長がぽかんとした顔でロザリアを見つめていた。


 翡翠色の視線に耐えきれず、ロザリアはまたそそくさと通用口をくぐって、街の中に戻った。



 それから十分も経たないうちに、魔術学院長──ロザリアの父が、数人の魔術師を伴ってやって来た。


 父は兵士たちの間をきょろきょろと見回し、やがて娘の姿を見つけると、足早に駆け寄ってきた。ロザリアは父を笑顔で迎えた。


「ロザリア!」


「お父様! わたくし──」


「どうしてお前がここにいるんだ! 一人で街に出るなど、許可した覚えは無いぞ!」


 ロザリアが意気揚々と報告しようとしたのを、ひときわ厳しい声がピシャリと遮った。誰にも言わずにお忍びで街に出ていたことを、今になって思い出した。


 しゅんと肩をすぼめたロザリアを見て、父は少しだけ声を柔らかくした。


「あとは私たちに任せて、お前は屋敷に帰りなさい」


「はい……」


 ロザリアの返事を聞き、父は再び辺りを見回す。そして、一人の騎士に目を留めた。


「あぁ、シュヴェルト。すまないが、うちの娘を頼めるか?」


「はっ!」


 そう呼ばれ頭を下げたのは、あの副団長であった。騎士団の幹部ともなれば、父が名前を知っていてもおかしくはない。


(シュヴェルト、様……)


 心の中で名前を唱えてみる。それだけで、なんだか胸に込み上げるものがあった。


 副騎士団長──シュヴェルトは、凛々しい面持ちでロザリアの前に立った。ロザリアが何も言えないでいると、


「……あなたは、自称天才魔術師の町娘ではなかったのだな」


 どこか困ったような声音で言い、彼は少しだけ目を細めて笑った。


 そういえば、目立たないように町娘の格好をしていたのだった。彼が先程、ぽかんとしていたのは、ロザリアが父のことを口にしたからだろう。


「こ、これは今日だけのお忍びで……」


 悪戯がバレた子どものように、歯切れが悪くなる。


 そんなロザリアを前にして、彼は突然膝をつき、規律正しい所作で頭を下げた。


「数々のご無礼をお許しください」


「えっ……」


「まだ魔物がうろついているかもしれませんから、私が責任を持って安全な場所までお送りいたします」


 今までとは別人のような、他人行儀な台詞だった。


 彼の言動には何度も心をかき乱されてきた。けれど、それらが可愛く思えてしまうほど、これがいちばん、心の深いところに痛く刺さった。



 屋敷への帰り道、隣を歩く彼は、何も話さなかった。ロザリアも、話しかけることなどできず。こんなときに限って、魔物はもう現れなかった。屋敷までの道のりが、沈黙で長かったようにも、緊張で短かったようにも思う。


 そうして屋敷の前に着き、彼は深く礼をしてから、ロザリアに背を向けた。立ち去ろうとする足取りは、あまりにもあっけなくて。


 このまま黙って見送れば、もう心を揺さぶられることはなくなる。片隅に追いやっていた「嫌な予感」も、すぐに消え去っていくだろう。


 けれど……


 このまま黙って見送ってしまえば、彼と出会ってからの出来事が、まるで夢であったかのように、さらさらと儚く消えてしまいそうな気がして──


 ──ロザリアは、彼の背中に叫んだ。


「あ、あの!」


 上擦った声が、ちゃんと届いたか心配だった。けれど彼は……シュヴェルトは、そっと立ち止まり、振り返ってくれた。


 言いたいことがたくさん、頭の中をぐるぐると巡る。その中のひとつを掴み取って、ロザリアはそのまま、声を振り絞った。


「魔物から助けてくださって、ありがとうございました!」


 彼に負けじと頭を下げる。きちんとお礼を言いそびれていたけれど、結果的に二度も助けられている。


 あれが夢ではなかったということを、彼に確かめたかったのかもしれない。


 ロザリアが恐る恐る頭を上げると、シュヴェルトは軽く目を伏せてから、ゆっくりと口を開いた。


「……礼を言うのはこちらのほうだ。あなたがいてくれて良かった」


「!」


 聞き間違いだろうか。彼はまたすぐに真剣な顔に戻り、


「ご助力いただき、感謝いたします。それでは」


 再びお辞儀をして、今度こそ足早に街へと去って行った。その背中が見えなくなるまで、ロザリアは一歩も動けなかった。



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