~事件ファイルNo.13「100年」~
人間。泣くことも必要だ、なんて話をよく聞く。そうかもしれない、とは思う。
(前泣いたのは……いつだったか)
しかしレオンが思い出そうとすると、うまく行かなかった。
代わりに他の人が泣いている場面を思い出してみるが、それもあまり回数はない。
それが実際に泣いてない人が多いからなのか。泣いているところを他人から隠しているのかは、レオンには分からない。
いつも明るいゲトルトや、あの大木のような所長のドゥーカの泣くところなど、想像するのも難しい。
と、レオンは軽く首を傾げた。
「……いや、小隊長のは想像できるか?」
見たことはないのに、なぜかゲトルトの泣き姿はなんとなく頭に浮かんだ。合っているかは分からないが、奇妙には感じない。
しかしドゥーカに関しては、まるで思いつかない。
だが若い頃は彼女にもあったはずで、その時は……今、目の前の男のように泣いていたのだろうか。
「先輩……あいつ、ダンジョンに行くって」
シルヴァーノは、呆然とした様子で両方の目から涙を流していた。だがおそらく、当人は泣いていることも分かっていないだろう。
無断欠席をしたシルヴァーノは、泣いていることはおろか、今が出勤時間をとうに過ぎていることも理解してない。
ごちゃごちゃとよく分からない流行り物で埋め尽くされた自室で、部屋着のまま手紙を握りしめている。
レオンは眉間を中央に寄せた。
「ダンジョン? 錬金術師が入れるわけ……まさか、特例か?」
基本、街所属の冒険者と冒険者ギルドの戦闘員以外はダンジョン内に入れない。しかし、学術研究のためなど、特別な許可を得ると中に入ることが可能だ。
とはいえ、相当なことがない限り、許可は下りない。
「……あいつが、モンスターウェーブを止めに行くって」
「モンスターウェーブを?」
呆然と呟くシルヴァーノの言葉は、荒唐無稽に思えた。何せ『なぜ』モンスターウェーブが起きるのか。分かっていないのだ。分かっていないものを防ぐことなど出来るはずもない。
なぜリンドベルだけ、600年間起きていなかったのかも、分かっていないのだから。
と、レオンはハッとする
「何か、分かったのか?」
「あいつ、戦い以前に、運動なんてほとんどしないのに。……そうだ。護衛は、誰が……今から帝国からAランクの冒険者を数名手配して呼んでこよう」
ぶつぶつと呟くシルヴァーノは、もうレオンの姿が見えていないようだった。
冒険者のランクはF~S。Sランクは英雄クラスであることを考えると、実質Aランクが冒険者たちの中で最高位だ。
レオンは小さく息を吐きだす。シルヴァーノは気づかない。ぶつぶつと呟き続けている。レオンは気にしないようにして、台所に向かい、茶を二人分淹れる。香ばしい紅茶の香りが部屋に広がった。
ことり、とレオンがシルヴァーノの分を目の前に置くと、ようやく紫の瞳がレオンの方を見た。
「先輩……? あれ、なんで先輩が僕の家に?」
本当に分かってなさそうに首を傾げる様子に、しかしレオンは何も言わずに茶を飲んだ。
そして、静かに言う。
「お前、警備隊辞めろ」
部屋の空気が固まった。
シルヴァーノはぎこちない動きでレオンを見下ろした。まるで油を注してないブリキの人形のような不自然な動き。
「へ? 先輩? 何言って……」
「言ったはずだ。『その情けない面を引っ込められないなら、制服は脱げ』ってな」
レオンの声は淡々としていた。特別冷たくもなければ、優しくもない声だった。ただ事実を述べていた。――今のシルヴァーノは、警備隊員ではない、と。
言い切られ、シルヴァーノはようやく自分が泣いていることに気づいたらしい。やや下を向き、滴り落ちて床にシミを作る涙を呆然と見ていた。
「あれ? 僕、何で……先輩。違うんです。これは……だってあいつが……悪くて。なんでこのタイミングでこんなことが……あと100年くらい待ってくれてもいいのに」
だが話すことは支離滅裂で、会話になっているようでなっていない。
レオンは息を吐き出す。
「今日付けで、お前の副班長の任を解く。明日から、来なくて良い」
そう言って、彼は立ち上がった。
「……約10年間、おつかれさん」
背後から「せんぱ、待ってください」と言う声が聞こえたが、レオンは振り返ることなくシルヴァーノの部屋を出た。
残念だが、待つ時間はないのだ。
背後でドアが閉まる音が、やけに大きく耳に残った。
***
13年前。何も恐れを知らなかった子供は、恐れを学んだ。これからも学んでいくだろう。――彼なりの速度で。
それが悪いということではない。ただ単純に、レオンがその速度に合わせてやれないだけだ。
「以上です……。だから、俺なんかに預けるなって言ったんですよ」
小隊長室。
シルヴァーノのことをレオンが報告すると、ゲトルトは書類から目を離して顔を上げた。
「そうか? 私は、お前で良かったと思ってるよ。自分の判断は間違いじゃなかったと、当時の自分を褒めてやりたいくらいだ」
温かな光を帯びているゲトルトの目を見て、レオンはそっぽを向くように顔を背けて髪をガシガシと掻いた。
「とにかく、第一班は4人になりますが、問題ありませんので補充人員は不要です」
「……ふ、そうか。分かった」
笑って頷くゲトルトに、レオンはやや気まずげな顔をしてから、誤魔化すように敬礼して退出した。
そして、長く息を吐きだす。
「やっぱ、出世なんてするもんじゃねえな」
今から13年前……シルヴァーノと出会ったばかりの頃。レオンは、まだ一般隊員だった。
図体だけデカい子供が警備隊に入りたいと言った時から、レオンは「こうなる」と分かっていた。
きっと、シルヴァーノ以外は分かっていただろう。
(そしてあいつは、まだ分かってないんだろうな)
誰かが悪いわけではない。悪いことがあるとすれば、タイミングだろうか。
しかし、誰にとっても良いタイミングなど存在しない。
いつだって気づかぬ間に迫っているものだ。
「クロイツ」
背後から、感情の見えない声がした。レオンが足を止めて振り返れば、いつもと変わらぬ大木がそこにある。彼女の緑色の瞳は、何の揺れも感じさせない。
レオンが何か口を開く前に、ドゥーカが淡々と声を掛ける。
「話がある」
淡々とした口調であるのに、レオンはその声に重力が強くなるような感覚を覚えた。
「……はい」
しかし、頷く以外の選択肢は、ない。
レオンは足音一つ立てない彼女の背中をしばらく見つめ、頭をガシガシと掻きながらついて行った。
***
所長室。
いつぞやの面談の時のように、ソファを促され、茶も出された。レオンは、湯気の立つカップを見つめた。
「……10年あれば、赤子が走り回るようになる」
しばしの沈黙の後、ドゥーカが語るように口を開いた。その緑の目は、何かを思い出すように虚空を見ていた。
レオンは肩をすくめた。
「いっちょ前に喋りだしてもいますね」
彼の物言いに、ドゥーカは少し驚いたように動きを止めてからふっとかすかに笑った。
「そうだな……お前達人間の口の上達具合には、私たちはいつも負けてしまう」
ドゥーカは、しみじみとしたようにレオンに同意した。
「本当に、お前たちはいつも……たった10年で私たちを置いていく」
「…………」
「抜かせたと感じられるようになった頃には、もうお前たちは去っている。なんと卑怯なことかと、幾度も思ったものだ」
静かに語るドゥーカの緑の瞳に揺れはない。もはや、それくらいで揺れることはないのだろう。
「……最後に所長がそう思われたのは、いつですか?」
ふとレオンはそんなことを聞いてしまっていた。口に出してから、彼自身も『らしくないことをした』と思ったのか。唇を引き結び、「いえ、失礼しました。忘れて下さい」と質問を引っ込めた。
「ちょうど、誕生500年の祝賀会を開いた年だったから、700年ほど前だな」
しかしドゥーカは淡々と質問に答えた。レオンの薄茶色の瞳が、かすかに揺れる。
「私は……気づくのが遅かった方だろう。
とはいえ、100年以下で気づくのは、難しいはずだ。
しかし」
緑の目が、レオンをまっすぐに見つめる。それがどういう感情からなのか、レオンには読めなかった。
「……不思議なことに、最初の100年の記憶は鮮明に残る。まるで昨日のことのように思い出せる」
初めて声に感情が乗った。淡々としつつも、どこか気まずげに聞こえる声だった。
レオンが驚いて見返すと、ドゥーカはふいっと目線を避けた。
今度、ふっと笑ったのはレオンだった。
レオンは手を伸ばしていなかったカップに手を伸ばして、一口二口と飲んだ。茶は冷たくなっていたが、やはり美味しかった。
添えられていた焼き菓子も、普段彼が食べるものとは比べられないほど上品な味がした。
「美味しい茶ですね。ですが俺は、エールの方が好きなんですよ」
美味しい上等なお茶やお茶菓子よりも。……言葉よりも、エールの方が元気になるのだと言うレオンに、ドゥーカは肩をすくめた。
「職務中の飲酒は禁止されている。
だが、覚えておこう」
――帝国辺境警備隊の事件ファイルNo.13「100年」了――




