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~事件ファイルNo.12「変わらない」~

 何も変わらないことが、逆に不気味に思えた。


 警備隊全体にモンスターウェーブの兆候について伝えられてから、数日が経過した。

 リンドベルからの続報はなく、ただ警戒する重たい空気が詰め所を包む。


 レオンは班部屋で腕を組み、軽く顎を撫で……一部がざらりとしていることに気づくと、軽く舌打ちした。

 それから髪をガシガシと掻きむしり、荒々しく立ち上がる。そろそろ昼食の時間だ。


 ドアを開けると「……あ」と小さな声がした。目の前には、部下の一人。

 最も若いその班員は、モンスターウェーブの話を聞いた日はレオンの命令で休んだが、翌日からまた出勤した。呆然としていると言うより、逆に仕事にのめり込むように。

 今も書類を抱えていたので、レオンはそれを自然に手に取ると机に一度置く。


「……飯、行くぞ」

「え? あ、でもまだ……ま、待って下さい! 班長!」

 

 戸惑った班員はレオンの背中を見るが、彼はもう歩き出していたため、ついていくしかなかった。


 二人は詰め所の食堂で日替わりメニューを頼み、昼食をとる。パンをちぎって口に放り込み、スープを飲んでいく。特別な会話はない。そのことに、班員はホッとしたようだった。

 そして彼は、食べ慣れている料理をまた一口食べて「……なんか、いつもより美味いっすね」と言った。


 レオンは彼に目を向けることもなく、「そうか? いつもと変わらねーだろ」そう言いながら、付け合せのほうれん草を水で流し込み、苦い物を食べたかのような顔をした。

 班員が、動きを止める。


「っ……そう、っすね。いつも通り……なんでこんなに苦いんすかね」

 ずるっと、何かをすするような音がした。レオンは肩をすくめ、口直しにスープを大きな音を立ててすすった。


「さあな。俺が知る限り、ずっと苦ぇよ」

 



 そんな会話をした三日後。リンドベルがモンスターウェーブの兆候を正式に公表した。




***




 日常が一旦終わりを告げ、新しいようでそうでもない日々がレオンたちを出迎えた。

 業務内容がどれだけ増えようと、結局成し遂げることは変わらない。


 レオンが想像していたほどの混乱は、なかった。


 どうやらかなりリンドベルが頑張っているらしく、街から逃げてゼペーに押し寄せてくる人は想定より遥かに下回り、逃げてきたリンドベル民たちもどこか冷静だった。

 彼らは自分たちが逃げることが、残った者たちが動きやすくなることを、しっかりと理解していた。


「大丈夫だ。セルベーリア様やギルドマスターが何とかしてくれる」

「あのフェローチェ商会もギルドに協力するって言うんだ。私たちの出番はないよ」

「俺達の役目は、終わった後だ」


 どうしてもやむを得ず一時離れただけで、すぐに戻るのだというような空気を感じ取り――ああ、いつものリンドベル(自由の街)だ、とレオンは思った。


 最悪の事態は免れたが、それでも油断できることではなかった。人の方は何とかなっても、周囲の魔物たちまではどうしようもない。

 モンスターウェーブに影響された魔物たちが、普段は近づいてこない街の周辺にも現れ始め、レオンは知り合いの冒険者たちの助けを借りつつ、自らも魔物狩りに出かけないといけなかった。


 白銀の毛並みを剣で切り裂き、ふと彼は懐かしくなった。昔、魔物の巣の討伐に参加した時のことが頭をよぎる。

 昔。ゼペー近くに発生した魔物の巣を、冒険者ギルドと協力して破壊した。

 次から次へと生まれてくる魔物に辟易したものだ。


(あの時に比べたら、こっちの魔物はそうでもない、が……)


 記録されている限り、モンスターウェーブと一概に言っても規模は異なる。なぜ規模が異なるのかの条件は、やっぱり不明だ。

 しかし……ダンジョン外の魔物へ与える影響が大きければ、規模も大きい傾向にあることは、分かっている。


 レオンの顔が険しくなる。

 彼はたった今倒したホワイトウルフを見た。美しい白銀の毛並みを持つこの魔物は、この周辺の魔物としてはかなり上位種に入る。普段は北東の険しい岩山にいるというのに、森にまで下りてきている。


「これは……南のエルフ連中が騒ぎそうだな」


 厄介ごとの種を感じ取り、レオンは顎を撫でようとして、止めた。眉間に更に皺が寄った。

 中途半端に動いた手で髪を掻きむしってから、部下たちに声をかける。

「おい、こいつらの痕跡を追うぞ。どこまで動いているか確認する」

 こいつら、と倒したホワイトウルフたちを顎で示しながら言うレオンに、シルヴァーノたちは真剣な顔で頷いた。


 緑にあふれる森の中。やたらと目立つ白い毛皮が、木漏れ日を反射して眩しかった。




***




「――ということで、ホワイトウルフの行動範囲がかなり南下しており、南の森の生態系にも影響を与えています」

 レオンの報告を聞いたテンロフ……ゲトルト=テンロフは、頭を撫でることなく、ただ苦笑した。


「所長が変わったタイミングでとは、良かったのか悪かったのか、分からんな」

 そう呟くゲトルトに、レオンは軽く肩をすくめた。レオンもなんとも言い難いと思っていた。


 ゼペーの南の森奥地のエルフたちと帝国エルフは、あまりにも相性が悪い。

 だが、ドゥーカがエルフであるお陰で、本国からの支援がスムーズなのも確かだ。人的支援はともかく、物資不足には陥ってないのは、間違いなく彼女の人脈だった。


「……前のよりはマシでしょう」

 レオンの言葉に、ゲトルトは以前の上司を思い出したのだろう。ハッキリと嫌そうな顔を浮かべ「それもそうだな」と頷いた。


 上司交代がなければ、人手も物資も情報も不足し、後手後手に回って今頃大混乱に陥っていたかも知れない。


(たぶん、いの一番に逃げてるだろうしな)

 レオンは前所長のことを思い出そうとして……もう顔を覚えていないことに気づいた。


「まぁ、南のエルフの件はこっちで対処する」

 ゲトルトの言葉に、「お願いします」と頭を下げ、ホッとする。


「任せておけ。だから、お前は明日1日休むように」

「では失礼しま……は?」


 部屋を退出しようとしたレオンは、ゲトルトの言葉を聞き間違えたかと振り返った。

 ゲトルトはいつものように書類に埋もれながらも、レオンをまっすぐに見て子供のように笑った。


「そんな辛気臭い顔でおられちゃ叶わん。気分転換でもしてこい」

 彼はそれだけ言うと、また書類仕事へ戻っていった。レオンの抗議など聞く気はなさそうだ。


 レオンは口を閉じ、頭だけを軽く下げて部屋を出る。

 そのまま廊下を歩けば、顔なじみの同僚たちから声をかけられるので軽く応じていく。

 曲がり角。窓ガラスに自身の姿が映る。そこにはいつもどおりの彼がいた。身だしなみも乱れていない。


 しかしレオンは、窓を見て奇妙な顔をした。笑おうとして失敗したような顔だった。


「……ほんと、いつとも変わらねぇな」


 窓に映るレオンの向こうに、見慣れた街並みと巨大な樹があった。




――帝国辺境警備隊の事件ファイルNo.12「変わらない」了――






*おまけ「ゲトルト=テンロフ」*




 ゲトルトは、閉まったドアの音に顔を上げた。そこにはもうレオンはいない。

 しかし、部屋を出ていく直前の、不機嫌そうなレオンの横顔を彼はしっかりと見ていた。


 くく、とゲトルトは笑う。


「まったく……文句があるなら、とっとと出世すればいいというのに。

 頑固なところは治らんな」

 とゲトルトは文句を言った。


 その日。夜遅くに帰宅したゲトルトは、妻に翌日の夕食をもう1人分多めにお願いした。


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