6.5
騒ぐ教室。
主に真知と登菜美と一葉とその他女子から逃げ出し、私はカバンを持って校門まで思いっきり走る。
校門前で待っていた桜花学園生がこちらに気付き手を上げた。私はその平和ボケしたようなその男の顔を見て怒りを覚えた。
そのまま走り続け、手を上げたその男の腕を掴みまた走る。男はつんのめりながらも私の速度に合わせて、掴まれたまま走ってくれた。
学校が見えなくなるぐらいの所まで走り、ゆっくりと速度を弛め、腕を離した。
後ろを振り向く。
「ちぃ、走るの好きなの?」
息が上がった様子もなく、その男、鳴海は微笑した。
私は息を整え口を開く。
「何しに来たんですか?」
「あー…、ちぃ怒ってるの?」
「そうですね。鳴海さんが学校に来たりするから、今教室は誤解と誤解と誤解と誤解と誤解の嵐で大変な事になりましてね。鳴海さんが、学校に、来たり、するから」
怒ってますよ。
えぇ、怒ってますよ。
私があの教室から出るのにどれだけ苦労したか。あんたはきっと解ってないんでしょうねぇ。
「そ、そうなんだ。ごめんね。家に行ったんだけど、まだ帰ってないみたいだったから」
本当に申し訳なさそうな顔をする鳴海に、私は怒りが徐々に風化していくのを感じた。
「……で、何か用事ですか?」
「お礼をね、ちゃんと言っておこうと思って」
小さな時には全く見ることの無かった穏やかな顔で微笑した鳴海に、私はドキリとした。
視線を逸らし、「お礼ですか」と心を落ち着かせようとする。
「うん。ちぃのお陰でもとに戻れたから」
「私は特に何もしてないですよ。………それと、あの、その『ちぃ』って呼ぶのやめて貰えますか?」
心臓に悪いから。
大きくなった鳴海は、すこぶる心臓に悪い。小さくなっていた時も思ってはいたが、大きくなった鳴海は予想以上に破壊力抜群だった。なかなか顔を合わせられない。
「あぁ……えーと、じゃあ如月さん?」
「それで」
鳴海が小さく笑う気配があった。
「如月さんのおかげだから。本当にありがとう」
「いえ、私は本当に何もしてないですから」
鳴海がもとに戻れたのは、鳴海自身が立ち直ったからだ。私もそれに助言はしたが、ただそれだけの事しかしていない。
「まぁ確かに。ち…如月さんは何も『して』ないかな。俺がしたから」
「………?」
その言葉の意味が解らず不信げに鳴海を見る。そこにはにやりと笑う鳴海がいた。
「どういう意味ですか?」
「ん?んーとね……」
何だ?と思う私の顔に鳴海の顔がスッと近付いて来たかと思うと、頬にちゅっとキスされた。
「…………」
頭が真っ白になる、とはこの事だろうか。
ドサリとカバンが落ちる音が聞こえた。
「こういうことー」
にぱー、と笑う鳴海。
ピクリとも動けない私。
次に私の意識が覚醒したのは、鳴海が私の顔の前で手を振っている時だった。
「ちぃ、大丈夫?」
「……今のは」
「ほっぺちゅー」
ちゅー、と鳴海の声が頭の中でエコーがかり聞こえてくる。
「………あの」
「やっぱり俺が言った通りだったね。呪いはキスで解けました」
にっこりと笑って「ありがと」と言う鳴海。
それは小さな時によく見かけたあの見慣れた笑顔で。
「……あの」
「何?」
聞きたくない。
でも聞かないといけないような、そんな変な気持ちに急き立てられ、私は鳴海に聞きたくはないけど聞いた。
「……あの」
「うん」
「昨日の夜なんですけど」
「うん」
「もしかして」
「うん」
「その……ス、したんですか」
恥ずかしくて、その単語はちゃんと言えなかった。にも関わらず、鳴海は確認するかのようにその単語を口にする。
「キス?」
「……っ!!」
「うん。だからこうやって元に戻れたんだよ」
うん、という鳴海の声が頭の中でまたエコーする。
キス
うん
キス
うん
キス
うん。
「…………」
がくり、と私は膝から崩れ落ちた。
ちゅーされた。
寝てる間にちゅーされた。
ちゅーされた。
ちゅーされた。
ちゅーされた。
ちゅー。
あぁそうか、ネズミだな。
ネズミが寝てる間に現れたんだ。で、ちゅーちゅー言いながら部屋の中駆けずり回ってたんだ。
そうか。
そうだよ。
ネズミか。
ネズミなんだよ。
ネズミの鳴き声はちゅーだもんね。
ちゅーちゅー言うのはネズミだもんね。
ねーずみぃー
ねーずみぃー
ねーむーりぃーなぁさーいー♪
かの有名なあのキャラクターも、実はネズミなんだよ。可愛いよね、あのマウスは。大人気だもんね。ネズミランド。
と、目一杯現実逃避していたらカバンの中から携帯の着信音が鳴った。
「…………」
カバンを開けた所で音が鳴りやみ、携帯を取り出し開くと、梓からのメールが1件入っていた。
そういえば今日、会う約束してたんだったな、とどこか遠い記憶のように思い出す。
「ちぃー?」
その呼び方はやめろ、と言う気力もなく立ち上がる。
「ちぃ、お礼に何かしたいんだけど何がいい?」
「……別にいいです」
いらないっす。
「そういうわけにもいかないんだけどなぁ」
なんかもう全部めんどくさいな、とため息をつく。
梓に説明しに行くのも、この男の相手をするのも。
明日学校に行くのさえも。
……押し付けてしまおうか。
「…じゃあ、あの鳴海さん。今からちょっと付き合ってもらえますか?」
「えっ?!お友達からじゃなくてすぐにお付き合い?!」
「ちょっと、『そこ』まで、一緒に、お付き合い、願えますか?」
『そこ』の所を強調し、怒鳴り付けたい気持ちを必死に笑顔で押さえて私は鳴海にそう言った。
梓との待ち合わせ場所まで。
梓に押し付けてしまおう。このふざけた男の相手を。梓も、当の本人から話を聞いた方が解りやすくていいだろうし。
そして私は家に帰ろう。
家に帰って、好きなことをするんだ。
そして全てを抹消しよう。記憶の中からこの一週間ほどの記憶を全て消し去ってやるんだ。
あははははと心の中で現実逃避を続行しながら、私は歩き出した。
『ここ、どこだろ?』
『やあ!』
『………さようなら』
『待って待って!ちょっとだけ待ってっ!』
『…何ですか?私、夢の中でも小人さんと関わる気、ないですよ』
『酷い。夢の中でぐらい助けてあげようとか思わないの?』
『……これ、夢ですよね。やけにリアルな夢だな』
『君に助けて欲しい事があるんだけど』
『お断りします。さようなら』
『待って待って!だから待ってってばっ!』
『……はぁ。何ですか助けて欲しい事って』
『助けてくれるの?』
『早く話さないと気が変わります』
『わ、分かった。分かったからちょっとかがんでっ。ずっと見上げるの首が疲れるから』
『………はい、どーぞ』
『ありがと。じゃあちょっと顔こっちこっち』
『………?』
『(ほっぺちゅーしてから)これはお礼ね。で、助けて欲しいってのは、実は』
『死にさらせ』
6月6日(金)
天気 《くもりのち、雨》
今日みた夢は、
こんな夢でした。
〔第二部 今日見た夢は〕
如月千春、鳴海彩斗の話。 《完》




