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6月11日(水)
天気 《大雨のち、晴れ》
【昨日の深夜から降っていた大雨は、昼前には上がり空には青空が広がっていました。やむんなら朝から降るなって感じですよね。はぁ。…………ため息を書いてしまいました。いや、もう書きたくもなるぐらい最近の私はため息ばかりです。やっとアレが解決したというのに】
いつからだろうか。
鳴海の様子が変だったのは。
電車に乗った時は普通だった。駅で梓に会って、井坂を紹介してもらった時も普通だった。井坂と一緒に待ち合わせ場所の喫茶店へ向かっている時も普通だった。喫茶店に入り、席に座り、珈琲を頼んだ時も普通だった。
井坂が写真を出した時だろうか。それとも森沢さんが喫茶店に来た時だろうか。
森沢さんが鳴海と『別れた』と言った時?
森沢さんが泣き出した時?
森沢さんが泣きながら自分を責めていた時?
森沢さんが。
喫茶店から出た私達。
井坂は不安定な森沢さんを家まで送っていき、私は帰るために駅へと向かっていた。何だか色々とあってずっと鳴海の様子を見ていなかった私は、歩きながらチラリとカバンの中を見る。
小さな鳴海は何も言わず何もせず、ただそこにいた。下を向いていたので表情までは解らなかった。
そんな静かな鳴海を訝しみながらも、自分の彼女のあんな姿を見たら仕方がないのかな、とその時は気にせずにいた。
でも、家に帰っても黙りな鳴海にさすがに心配になった私は、鳴海に声をかけた。
「鳴海さん?大丈夫ですか」
「……うん」
く、暗い……。
「え、えっと、彼女さん綺麗でしたね」
「…そうだね」
明るく能天気で煩い鳴海も困り者だが、反対に、暗くて黙りで静かな鳴海も、これまた不気味すぎて嫌だ。
ど、どうしよう。と何をするでもなくその場に突っ立ってしまっていた私は、カバンの中に『ある物』が入っているのに気付いた。
それは井坂に見せて貰った写真だった。
鳴海と森沢さんが写ったデートの時のであろう写真。持って帰ってきてしまったようだ。
「彼女さん、ホントに美人ですね」
写真を手に取り眺める。
美男美女カップル。後ろに写る海も綺麗で、二人が本当に楽しそうなのが写真でも解った。
「……そうだね」
……………。
私は鳴海の所まで行って、鳴海の目の前にその写真を立ててやる。
「鳴海さん、やっぱり彼女いたんじゃないですか。私に嘘つきましたね?信じちゃいましたよ。やだなぁ、もう騙されちゃった」
あはははは、と笑う。
鳴海にも笑って欲しくてそう言ったのだが、残念ながら鳴海は笑わなかった。
「……………」
これは重症だ。
重苦しい空気が辺りを満たしている。それも無理もないのかもしれない。彼女、森沢乃咲さんは鳴海と別れた、と言っていた。どちらから別れを切り出したのかを森沢さんは言ってはいなかったが、鳴海のこの反応。そして森沢さんが言っていた『私があんなこと言ったから』から予測はできる。
鳴海はフラれたのだ。
あの、6月7日の大雨の日に。
と言うことは、今彼女の話題を出したりしたのはまずかったりしたのだろうか。
「あ、あの、鳴海さん………」
自分でふっといてなんだが話題をすぐに変えようと、鳴海に声をかけるのだがいい話題が思いつかず、そのまま黙りこんでしまう。
暫くそっとしておこうか、とそう考えた時、鳴海の声が聞こえた気がしてそちらを見る。
「…………んだ」
「……すいません。よく聞こえなかったんですけど」
「覚えてないんだ」
「……?何がですか?」
「彼女のこと、覚えてないんだ」
それは一体どうゆうことだ?と無言で鳴海を見る。鳴海はゆっくりと顔を上げ、私の目をまっすぐに見て同じことを言う。
「彼女のこと、覚えてない」
「…それは、えと」
「俺の記憶に、彼女はいない」
家に帰って部屋に入ると、鳴海が定位置である机の上にいた。
「ちぃ、おかえりー」
「…ただ今戻りました。部屋の中は漁らなかったですか?」
「それはどうだろうねぇ。俺を信じてくれるなら漁っても探ってもいない、って事になるかな」
「じゃあ信じますよ」
「ちぃにしては珍しいね」
「鳴海さんの常識ある行動を信じます」
「手厳しいなぁ」
鳴海が笑う。
いつも通りの鳴海に安心しながら、私は部屋で一息つく。すると、鳴海はいつも通り机の上にあるものを物色し始めた。
「………鳴海さん?」
「何?」
「さっき言ったばかりだと思うんですけど」
「何を?」
「常識ある行動」
「今、俺常識ある行動してるつもりだけど」
そう言って鳴海は私の日記帳に手を伸ばそうとした。私は慌てて立ち上がり鳴海を止める。
「それは常識ある行動とは言いません!」
「ちぃが今ここにいるから別に盗み見てるわけじゃないよ?」
「盗み見ないからいい、ってのじゃないですから」
「そうなの?」
「そうです」
そっかぁ、と残念そうに、見るからに『しょんぼり』を前面に押し出してくる鳴海に、やっぱり大人しい鳴海の方が良いと私はさっきの自分に言いたくなった。
「ちぃ、コレには過剰反応するけど、コレって日記か何かなの?」
「…………」
私の日記を指さしながら鳴海は首を傾げる。今度から持ち歩こうかな、と本気で考えながら、私は森沢さんから預かった『手紙』をカバンから取り出した。
「鳴海さん」
「またスルーしたね。何?」
私はスッと机の上、鳴海の近くに手紙を置いた。
「森沢さんから預かりました。鳴海さんが、森沢さん宛てに書いたラブレターです」
鳴海は何も言わず、ただ無言でソレを見ている。
私はそんな鳴海を見て、「中は見てないので安心してください」とだけ言って、ゆっくりとその場を後にし、部屋を出た。
「俺の記憶に、彼女はいない」
「……それは…、記憶喪失、というものですか…?」
鳴海は「多分、そうなんだと思う」と小さく呟いた。
『記憶喪失』
それは、過去の出来事や自分の事、一部の記憶や、重症なら全ての記憶が消えて思い出せないことを指す。鳴海の中に森沢さんの記憶がない。それが事実であり真実なら、それは記憶喪失という事に他ならない。
「ホントに覚えてないんですか?」
鳴海は小さく頷く。
「解らないんだ。写真を見ても、俺にはこの写真を撮った記憶がない。写っているのは確かに俺なのに、これがいつ、何処で、誰によって撮られたものなのか思い出せない」
鳴海はそれでも思い出そうとするかのように、じっと写真を見つめ続ける。
「彼女のことも、思い出せない。でも、写真の彼女を見た時、実際の彼女を見た時、何か変な気持ちにはなったんだ」
鳴海は胸のあたりの服をぎゅっと掴む。
「俺は多分、……何か忘れてる」
部屋に帰ると、鳴海はどうやって移動したのか窓際にいた。窓際にいて、そこから外を眺めていた。
「……鳴海さん、ご飯ここに置いておきますね」
そういって私は鳴海用のご飯を机に置く。机には、あの手紙が置いてあった。
鳴海は手紙を見たのだろうか。そして思い出したのだろうか。それとも、思い出せなかったのだろうか。
どちらにしても、このままでいいとは、とても思えなかった。
「鳴海さん」
鳴海は振り向きこちらを見るが、何も言わなかった。
「手紙は読んだんですか?」
「……読んでない」
「読んだら思い出すかもしれないのに?」
鳴海は押し黙る。
鳴海の気持ちも分からないではない。けど、このまま停滞状態で居続けても、きっと何の解決にもならない。何も、解決しない。鳴海には悪いとは思うが、悠長にのんびりもしていられないのだ。
鳴海が小さくなって今日で6日目。もうすぐ一週間が経とうとしている。井坂には『大丈夫』だと言ってはおいたし、寮の方も鳴海の同室の人がなんとか誤魔化してくれていると信じてはいるが、それも、一週間ともなるとさすがにヤバいだろう。
それに、鳴海を心配している人は井坂や森沢の他、きっとまだたくさんいるだろう。私が知らないだけで、鳴海の帰りを、無事を待っている人はいっぱいいるのだ。
そして森沢さんも。
彼女は後悔していると言った。別れを告げた事を後悔して、あんな事言わなければと自分を責め続けていた。今も責め続けているのだろう。ずっとずっと苦しんで来たのだ。
そんな森沢のためにも、一刻も早く鳴海を元の大きさに戻さないといけないのだ。
だから。
「鳴海さん、いつまで逃げるつもりですか」
鳴海の逃げ道を、私が塞がなければならない。




