第4章 八十人の花嫁
ミハイルは、目の前に置かれた白いドレスを見た。
もう一度見た。
そして、グロモフ親方を見た。
ミハイル「……本当に、これ?」
グロモフ「さっきから何度聞く」
ミハイル「いや、だって」
グロモフ「お前のだ」
逃げ道はなかった。
純白の絹。
銀糸の刺繍。
大きく広がるスカート。
細かなレース。
長いヴェール。
アレクサンドル「ミハイル」
ミハイル「何だよ」
アレクサンドル「諦めろ」
ミハイル「お前は平気なのか?」
アレクサンドル「平気ではない」
アレクサンドルの前にも白い衣装。
ただし、装飾や形は少し違う。
グロモフは全員を同じ服にする気などなかった。
体格。
顔立ち。
年齢。
それぞれに合わせてある。
コーリャ「俺の、妙に可愛くない?」
グロモフ「似合うように作った」
コーリャ「褒められてる気がしない」
ユーラは。
ただ自分の衣装を見つめていた。
ポーリャ「ユーラ」
ユーラ「はい」
ポーリャ「嬉しいのは分かったから、そろそろ着替えなさい」
ユーラ「そんなに顔に出てますか?」
ポーリャ「出てる」
*
そこから先は。
戦争だった。
下着。
ステイズ。
腰回りの骨組み。
何枚もの布。
スカート。
上衣。
袖。
飾り。
靴。
そして髪。
ポーリャ「動かない」
ミハイル「さっきから動いてない」
ポーリャ「口が動いてる」
ミハイル「口はいいだろ」
ポーリャ「顔も作るんだから黙って」
ポーリャの指示で何人もの助手が動く。
髪。
鬘。
花飾り。
ヴェール。
パーシャたち三人娘も今日は応援に回されていた。
パーシャ「ミハイル様、もう少し顎を上げてください」
ミハイル「こう?」
パーシャ「上げすぎです」
ミハイル「みんな同じこと言うな」
パーシャ「同じ顔を相手にしていますから」
*
一方。
女性側。
ヴァリアは鏡の前で、自分の姿を見ていた。
男物の上着。
細身の胴。
ブリーチズ。
長い靴下。
完全に男に見えるわけではない。
だが。
凛々しい。
ヴァリア「……変な感じ」
マーシャ「似合ってるわよ」
ヴァリア「そう?」
マーシャ「ええ。格好いい」
ソフィアもいた。
ソフィア「……どうでしょう」
ヴァリア「可愛いわ」
ソフィア「男らしくは……」
ヴァリア「見えないわね」
ソフィア「やっぱり」
どう見ても。
可愛い女の子が頑張って男物を着ています
という姿だった。
マーシャ「それでいいじゃない」
ソフィア「いいんでしょうか」
マーシャ「今日の花婿役なんて、全員本物の男じゃないんだから」
もっともだった。
そして。
ナターシャ。
これは似合いすぎた。
長身。
姿勢。
歩き方。
男物の宮廷服に着替えると、凛々しい若い貴公子のように見える。
ヴァリア「……ずるいわね」
ナターシャ「何が?」
ヴァリア「似合いすぎ」
ナターシャ「ありがとう」
ヴァリア「褒めてない」
*
男性側。
ポーリャ「最後」
ポーリャがミハイルの頭にヴェールを留めた。
白い薄布が背中へ落ちる。
ポーリャ「はい。終わり」
ミハイルは。
ゆっくり鏡を見た。
固まった。
鏡の中にいるのは自分だった。
だが。
知らない人物に見えた。
白。
ほとんど全身が白い。
巨大なスカート。
銀色の刺繍。
レース。
花飾り。
長いヴェール。
これまでの女性装は。
どれだけ豪華でも「宮廷の女性」だった。
今は違う。
誰が見ても。
花嫁だった。
ミハイル「……俺?」
パーシャ「ミハイル様です」
ミハイル「分かってるけど」
パーシャ「とてもお似合いですよ」
少し離れたところでは。
アレクサンドル。
大人びた端正な花嫁。
そして。
コーリャ。
ミハイル「おい」
コーリャ「何」
ミハイル「似合ってるな」
コーリャ「うるさい」
だが。
本当に似合っていた。
コーリャ「ヴァリア、何て言うかな」
アレクサンドル「さあな」
コーリャ「笑うかな」
ミハイル「笑ったら笑ったでいいじゃないか」
コーリャ「お前はソフィアに見せるの平気なの?」
ミハイル「……」
コーリャ「ほら」
最後にユーラ。
小柄な少年は。
純白のドレス。
やや短めのヴェール。
髪には白い花。
ポーリャ「ユーラ」
ユーラ「はい」
ポーリャ「気に入った?」
ユーラ「……はい」
即答。
ユーラ「だって、綺麗じゃないですか」
ミハイル「それは否定しない」
ユーラ「皆さん、こんなもの着せてもらって、いつも文句ばかり言ってたんですか?」
コーリャ「そのうち分かるよ」
ユーラ「何がです?」
コーリャ「いろいろ」
*
再会。
先に男装した女性たちが広間にいた。
扉が開く。
一人。
また一人。
白い花嫁たちが入ってくる。
妻「まあ!」
夫「笑うな!」
妻「だって!」
別の妻は。
夫の姿を見て固まった。
妻「……あなた?」
夫「俺だよ」
妻「本当に?」
夫「本当に!」
若い恋人同士。
若い女性「可愛い!」
若い男性「可愛いって言うな!」
そして。
コーリャ。
ヴァリアの目が止まった。
コーリャ「……何」
ヴァリア「別に」
コーリャ「何だよ」
ヴァリア「……思ったより」
コーリャ「何?」
ヴァリア「似合ってる」
コーリャ「それ、喜んでいいの?」
ヴァリア「知らない」
ヴァリアは目を逸らした。
少しだけ頬が赤い。
コーリャ「お前も似合ってるよ」
ヴァリア「……そう」
コーリャ「結構格好いい」
ヴァリア「ありがとう」
*
アレクサンドルが現れた。
マーシャは。
一瞬黙った。
そして。
マーシャ「あはははは!」
アレクサンドル「笑いすぎだ!」
マーシャ「ごめん、ごめんなさい!」
アレクサンドル「全然謝ってないだろ!」
マーシャ「だって、すごく綺麗なんだもの!」
アレクサンドル「だから笑うな!」
マーシャ「今日、最高に面白いわ」
ヴァリアは。
その二人を見ていた。
婚約者の男が花嫁姿。
なのに。
マーシャはまったく嫌がっていない。
むしろ。
楽しんでいる。
*
ミハイルとソフィア。
ソフィア「ミハイル様……」
ミハイル「何」
ソフィア「やっぱり、とてもお綺麗です」
ミハイル「またそれか」
ソフィア「だって本当に」
ミハイル「君も似合ってるよ」
ソフィア「本当ですか?」
ミハイル「うん」
少し考え。
ミハイル「男には見えないけど」
ソフィア「……やっぱり」
ミハイル「でも可愛いからいいんじゃない?」
ソフィア「花婿なのに可愛いんですか?」
ミハイル「今日の花嫁が俺なんだから、もう何でもいいだろ」
*
ナターシャの前に。
ユーラが立った。
長身で凛々しい男装のナターシャ。
小柄な純白の花嫁。
他の組では花嫁役の男性の方が大きい。
この二人だけは。
遠目には。
かなり普通の新郎新婦に見えた。
ナターシャ「……うん」
ユーラ「どうでしょう」
ナターシャ「綺麗ね」
ユーラ「ありがとうございます!」
ミハイル「お前、それ狙って選んだ?」
ナターシャ「何が?」
ミハイル「どう見ても一番それっぽいぞ」
ナターシャ「偶然よ」
*
全員が揃った。
男装した女性。
花嫁姿の男性。
壮観だった。
ミハイル「まあ」
コーリャ「何」
ミハイル「ここまで来たら、あとは飯食って踊るだけだろ」
その時。
ナターシャが前へ出た。
ナターシャ「皆さん」
ミハイル「その声やめろ」
ナターシャ「何よ」
ミハイル「絶対まだ何かあるだろ」
ナターシャ「あります」
即答。
ナターシャ「これより皆さんには、宮殿の外へ出ていただきます」
沈黙。
地方貴族「……外?」
ナターシャ「はい」
地方貴族「人に見られるのか?」
ナターシャ「当然でしょう」
地方貴族「聞いてない!」
ナターシャ「今言いました」
軍人風の男「敵の砲火の中を歩けと言われた方がまだましだぞ!」
アレクサンドル「それは言いすぎだろ」
軍人風の男「お前は平気なのか!」
アレクサンドル「平気じゃない」
コーリャ「ナターシャ! 俺、一週間後に結婚するんだぞ!」
ナターシャ「知ってる」
コーリャ「知り合いに見られたらどうする!」
ヴァリア「私は隣にいるわよ」
コーリャ「そういう問題じゃない!」
ユーラだけは。
少し嬉しそうだった。
ミハイル「ユーラ」
ユーラ「はい」
ミハイル「お前、今ちょっと楽しみだろ」
ユーラ「……少しだけ」
コーリャ「裏切り者!」
*
扉が開いた。
外の光。
白いドレスの列が動き始める。
階段。
外。
衛兵。
宮廷人。
役人。
地方貴族。
外国人。
使用人。
完全な一般公開ではない。
だが。
身内だけでもない。
軍人風の男「今笑っただろ!」
衛兵「笑っておりません!」
軍人風の男「絶対笑った!」
地方貴族「……終わった」
隣の男「何が」
地方貴族「人生が」
隣の男「大げさだ」
地方貴族「領地の者が一人でもいたらどうする!」
少し後ろには。
別の花嫁姿の男がいた。
年長の若手貴族「遠縁に、宮廷に憧れてる若いのがいるんだ」
同行者「そうなのか」
年長の若手貴族「これを見たら何て言うかな」
同行者「案外、羨ましがるんじゃないか」
年長の若手貴族「まさか」
彼は笑った。
その遠縁の若者が。
後にカーテシー・クラブと深く関わることになるとは。
まだ誰も知らない。
*
ヴァリアは横のコーリャを見る。
巨大なスカート。
階段。
風。
ヴェール。
それでも。
コーリャは自然に裾を扱う。
姿勢を崩さない。
ヴァリア「……上手ね」
コーリャ「何が」
ヴァリア「歩くの」
コーリャ「練習したからな」
少し間。
コーリャ「こういう時に役に立つんだよ」
ヴァリア「……」
コーリャ「カーテシー・クラブ」
ヴァリアは何も言い返さなかった。
*
見物人の若い男が。
コーリャを見て笑った。
若い男「ずいぶん可愛らしい花嫁だ」
ヴァリア「何がおかしいの?」
コーリャが驚く。
ヴァリア「今日の行事で、陛下の命令通りきちんと役を務めているだけでしょう」
若い男「いや、別に――」
ヴァリア「だったら笑う必要もないわ」
男は離れていった。
コーリャ「……ヴァリア」
ヴァリア「何」
コーリャ「この前、似たようなこと言ってなかった?」
ヴァリア「うるさい」
コーリャ「男が女の格好なんて、とか」
ヴァリア「うるさいって言ってるでしょう!」
コーリャは笑った。
*
途中。
ナターシャが列を離れる。
ユーラ「ナターシャ様?」
ナターシャ「ちょっと行ってくる」
ユーラ「はい」
ナターシャ「言ったでしょう。今日は時々放っておくって」
ユーラ「大丈夫です」
少し高い位置。
エリザヴェータが一行を見ていた。
ナターシャ「どうです?」
エリザヴェータ「何が?」
ナターシャ「この壮観な眺め」
エリザヴェータ「まあまあね」
ナターシャ「まあまあ?」
エリザヴェータ「もう少し嫌そうな顔をするかと思ったのに」
ナターシャ「十分してますよ」
エリザヴェータが列の中を探す。
エリザヴェータ「あなたの花嫁は?」
ナターシャ「あそこです」
ユーラ。
壁際で大人しく待っている。
エリザヴェータ「……放っておかれてるじゃない」
ナターシャ「最初に説明してあります」
エリザヴェータ「かわいそうに」
ナターシャ「本人は楽しそうですよ」
遠くで。
ユーラは自分のヴェールを整えた。
ユーラ「……旦那さんに逃げられた花嫁みたいだな」
そして。
一人で少し笑った。
*
さらに離れた場所。
若い女性が一行を眺めていた。
エカテリーナ・アレクセーエヴナ。
後のエカテリーナ二世。
この時。
まだ十七歳。
彼女は白い花嫁たちを眺める。
全員。
男。
エカテリーナ「……また陛下が」
驚きはした。
だが。
彼女はすでに知っている。
男たちが女物の服を着せられる宮廷を。
今回が。
少し大がかりなだけなのかもしれない。
たぶん。
*
長かった。
とにかく長かった。
ようやく宮殿へ戻る。
ミハイル「……終わった」
アレクサンドル「やっとだな」
コーリャ「もう座りたい」
そこへ係官。
係官「皆様、お疲れさまでございました」
ミハイル「はい」
係官「それでは、このまま祝宴会場へお進みください」
沈黙。
ミハイル「……何?」
係官「祝宴でございます」
コーリャ「まだあるの?」
係官「もちろんでございます」
アレクサンドル「今日、何時までだっけ」
ナターシャ「夜まで」
ミハイル「……まだ終わってないのか」
白い花嫁たちの間から。
深い。
深いため息が。
いくつも同時に漏れた。




